出羽弁

出羽弁(でわのべん[1]/いでわのべん[2]正体字:出羽辨、寛弘4年(1007年)頃? - 没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。父は出羽守平季信、あるいは加賀守平秀信

一条天皇中宮藤原彰子(上東門院)、その妹で後一条天皇の中宮藤原威子、さらにその所生の章子内親王に仕えた。長元6年(1033年)には源倫子の70歳の祝賀で屏風歌を進詠したほか、多くの歌合で活躍した。

後拾遺和歌集』以後の勅撰和歌集に入集。家集に「出羽弁集」がある。

なお『栄花物語』続編の巻31から巻37まではこの出羽弁の作という説がある。また『六条斎院禖子内親王家物語合』には、物語『あらば逢ふ夜の』の作者はこの出羽弁だと記されている。

出典・参考文献[編集]

  1. ^ 「出羽弁」、デジタル版日本人名大辞典+Plus、コトバンク(2022年8月6日閲覧)
  2. ^ 「出羽弁」、朝日日本歴史人物事典、コトバンク(2022年8月6日閲覧)