共和暦11年システム

1813年にドゥエー で製造された、共和暦11年式6ポンド砲
共和暦11年式短12ポンド砲。1824年にドゥエー で製造。 口径:120mm(1858年にライフル化)、全長:210cm、重量:880kg。砲弾:6kg鉄製実体弾
共和暦11年システムの11インチ榴弾砲。1810年、ドゥエーにて製造。口径:297mm、全長:2.56m、重量:6,174kg。砲弾:榴弾

共和暦11年システム(仏語:Système An XI、英語:Year XI system。共和暦(フランス革命暦)11年は1803年に該当する)は、ナポレオン1世時代のフランスの砲兵システム。共和暦11年システムは非常に成功したグリボーバル・システムに各種の改良を加えたものであり、ナポレオン戦争での成功に貢献した。本質的に、既存のグリボーバル・システムを合理化したものであった[1]。この新システムの推進者はオーギュスト・ド・マルモン将軍であった[2]

定義[編集]

フランス革命戦争において、中型野戦砲としてはグリボーバル4ポンド砲は軽量にすぎ、逆に8ポンド砲は重すぎて[3]、これら2種類の砲は敵の6ポンド砲に十分に対抗できなかった[4]

新システムを制定するにあたって、ナポレオンは1801年12月29日に、オーギュスタン・ガブリエル・ダボヴィル(Augustin Gabriel d'Aboville)将軍を委員長とする大砲委員会を設置した。翌年1月11日から7月21日まで、委員会は研究を行い[3]、ナポレオン自身も報告書作成に参加した:

「大砲の口径は4種類に統一すべきである、6ポンド、12ポンド、24ポンド、それに5.5インチ榴弾砲である。これによって、他の4種類の口径の砲を整理できる。山砲としては3ポンドを追加すべきである。ロスタン砲は問題ばかりで価値のない、頑固な獣のようなものであり、これも排除する。3ポンドを最小の口径とする」-グリボーバル砲システムに対して、ナポレオン・ボナパルト[5]

委員会は、1803年5月2日に結果報告を行った[6]。報告書の主な内容は以下のとおりであった。

324 mm臼砲ストラスブール、1811年
  • 6ポンド砲を導入し、4ポンド及び8ポンド砲を廃止する。
  • 従って、野戦砲は 12ポンド砲、6ポンド砲および24ポンド(5.72インチ)榴弾砲となる。
  • 山砲は、短3ポンド砲、短6ポンド砲および24ポンド榴弾砲とする。
  • 攻城砲も更新し、新型の長24ポンド砲と短24ポンド砲を導入する。
  • 基地砲も更新し、長24ポンド砲、長12ポンド砲及び長6ポンド砲とする。
  • 新型臼砲として、324mm、216mm及び152mm、及び405mmペリエ砲を導入する[7]

その後[編集]

共和暦11年システムは、1828年にヴァレ・システムによってさらに改良された。

脚注[編集]

  1. ^ McConachy - 2001 [1]
  2. ^ Chartrand (1) pp.23-34
  3. ^ a b Dawson et al (2007) p 70
  4. ^ Napoleon's Guns, 1792-1815 - René Chartrand p.21
  5. ^ Dawson et al (2007) p 73
  6. ^ Dawson et al (2007) p 74
  7. ^ Dawson et al (2007) p 74, 173 and 177-179

参考資料[編集]

  • Bruce McConachy, The Roots of Artillery Doctrine: Napoleonic Artillery Tactics Reconsidered, The Journal of Military History, Vol. 65, No. 3 (Jul., 2001), pp. 617-640
  • Dawson, A.L., Dawson P.L. and Summerfield S. (2007) Napoleonic Artillery, Crowood Press, ISBN 978-1-86126-923-2
  • Smith, Digby (trans) (2011) "The Austrian Cavalry Gun in Comparison to the Horse Artillery of Other States by Smola in 1827," Smoothbore Ordnance Journal, Issue 1, Ken Trotman Publishing, ISBN 978-1-907417-13-9

関連項目[編集]