八味地黄丸

八味地黄丸(はちみじおうがん)とは、漢方薬の一つ。出典は『金匱要略』。別名、八味丸腎気丸八味腎気丸ともいう[1]

効果・効能[編集]

腎(生殖器をも含む)の機能の衰えを目標とする。つまり、下半身の疲労脱力、多尿、頻尿、尿利減少、腰痛、手足の煩熱または厥冷、口渇などを目標とし、膀胱炎前立腺肥大、腎炎、高血圧症糖尿病陰萎などに応用する[2]。この他、腰部脊柱管狭窄症においても効果が得られている。2004年にKoh Iwasakiらは八味地黄丸が認知症患者の認知機能及び日常生活動作を改善したという報告を二重盲検ランダム化比較試験にて行ったが、これは小規模な研究であり、その後追試されていない[3]

保険適用エキス剤の効能・効果[編集]

疲労、倦怠感著しく、尿利減少または頻数、口渇し、手足に交互的に冷感と熱感のあるものの次の諸症:腎炎、糖尿病、陰萎、坐骨神経痛、腰痛、脚気、膀胱カタル、前立腺肥大、高血圧[4]

組成[編集]

地黄(ジオウ)6.0g、山茱萸(サンシュユ)3.0g、山薬(サンヤク)3.0g、沢瀉(タクシャ)3.0g、茯苓(ブクリョウ)3.0g、牡丹皮(ボタンピ)2.5g、桂皮(ケイヒ)1.0g、附子末(ブシ末)0.5g

処方名[編集]

八味とは、本方が地黄、山茱萸、山薬(薯蕷)、沢潟、茯苓、牡丹皮、桂枝、附子の8味で構成されるからであるが、『金匱要略』(『傷寒雑病論』の雑病部分)では「八味地黄丸」という名称は用いられておらず、血痺虚労病篇第6に「八味腎気丸」の名で、疲飲款漱病篇第12、消渇小便利淋病篇第13、婦人雑病篇第22に「腎気丸」の名で記載されている。腎気とは腎の臓の正気のことである。中国伝統医学では腎に生殖器も含み、「腎気丸」は腎の精気を補うことを意味する。五行で水、腎に配当される黒色の生薬である主薬の地黄の名称が後世に配され「八味地黄丸」となったものと考えられている[1]

慎重投与[編集]

  1. 体力の充実している患者
  2. 暑がりで、のぼせが強く、赤ら顔の患者
  3. 著しく胃腸の虚弱な患者
  4. 食欲不振、悪心、嘔吐のある患者

副作用[編集]

発疹、発赤、掻痒、肝機能障害、食欲不振、胃部不快感、悪心、嘔吐、下痢、便秘、心悸亢進、のぼせ、舌のしびれなど[4]

薬効薬理[編集]

示唆される作用機序[4]

薬効を裏付ける試験成績[4]

  • 実験的糖尿病抑制作用:経口投与により、ストレプトゾトシンによる血糖値上昇、摂水量増加、尿量増加、摂餌量増加、膵島B細胞減少が抑制された(ラット)[7]
  • 循環器系に対する作用
    • 高コレステロールモデル(ウサギ)に混餌投与したところ、血管弾性率の低下が抑制された[8]
    • 高コレステロールモデル(マウス)に飲水投与したところ、大動脈中のカルシウム含量、コラーゲン含量の上昇が抑制された[9]
  • 骨代謝に対する作用
    • 経口投与により、卵巣摘出ラットの脛骨のカルシウム含量低下が抑制された[10]
    • GnRH作動薬による低エストロゲンモデルラットに経口投与したところ、大腿骨の骨量低下が抑制され、脛骨の骨形成率が上昇した[11]
  • 造精機能に対する作用
  • 利尿作用:飲水投与により、老齢ラットの尿量、尿中ナトリウム排泄量が増加した[14]
  • 血圧降下作用
    • 高血圧モデル(ラット)の血圧上昇期に飲水投与したところ、血圧上昇が抑制された[15]
    • 食塩感受性モデル(ラット)に混餌投与したところ、血圧の上昇が抑制された[16]
  • 腎臓に対する作用:食塩感受性モデル(ラット)に混餌投与したところ、糸球体濾過量の低下が抑制され、糸球体、腎血管の組織障害が改善された[16]

八味地黄丸の変方と家康[編集]

江戸幕府初代将軍の徳川家康は体に気を使っていたため医薬品に強い興味を持ち、薬も自ら調合していた。静岡市駿河区にある久能山東照宮には、家康が使った薬箱や薬研がある。家康は、八味地黄丸の変方で和剤局方に掲載されている処方「無比山薬丸」(地黄、山茱萸、山薬、沢瀉、茯苓、五味子、ニクジュヨウ、杜仲、牛膝、巴戟(天)、免絲子などで構成。太字が八味地黄丸と重複)に、松前慶広から慶長15年(1610年)と慶長17年(1612年)の二回にわたり献上された[17][18]海狗腎(カイクジン:オットセイのペニス)を加えた処方を愛用し[19][20][21]、専用の薬箱の8段目に保管していたといわれる[19]。「八の字」の通称を生んだことで、覚えやすく、かつ他薬との間違いをなくすこと、いわば医療事故防止につながったと見られる[18][22][23]

脚注[編集]

  1. ^ a b 小曽戸洋「漢方一話:処方名のいわれ6:八味地黄丸(八味腎気丸)」『漢方診療』第13巻第5号、1994年、p37、ISSN 0288-3643 
  2. ^ 大塚敬節『漢方医学』(第3版)創元社〈創元医学新書〉、1990年2月1日(原著1956年7月25日)、139頁。ISBN 4-422-41110-1 
  3. ^ Iwasaki, Koh; Kobayashi, Seiichi; Chimura, Yuri; Taguchi, Mayumi; Inoue, Kazumi; Cho, Shigehumi; Akiba, Tetsuo; Arai, Hiroyuki et al. (2004). “A Randomized, Double-Blind, Placebo-Controlled Clinical Trial of the Chinese Herbal Medicine “Ba Wei Di Huang Wan” in the Treatment of Dementia” (英語). Journal of the American Geriatrics Society 52 (9): 1518–1521. doi:10.1111/j.1532-5415.2004.52415.x. ISSN 1532-5415. https://agsjournals.onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1532-5415.2004.52415.x. 
  4. ^ a b c d 株式会社ツムラ『医薬品インタビューフォーム:ツムラ八味地黄丸エキス顆粒(医療用)』、2006年11月改訂版
  5. ^ 会田薫ほか『ホルモンと臨床』第33巻第12号、1985年、p163、ISSN 0045-7167 
  6. ^ 臼杵悊「漢方製剤の testicular steroidogenesis に及ぼす影響」『和漢医薬学会誌』第3巻第3号、1986年、p.p.362-363、ISSN 0289-730X 
  7. ^ Luo,W.,Q., Kanno,T. et al. (1998). “AN EXPERIMENTAL ANALYSIS OF THERAPEUTIC EFFECTS OF A CHINESE HERBAL PRESCRIPTION IN STREPTOZOCIN-TREATED RATS”. Biomed. Res. 19 (2): p.p.127-133. ISSN 0388-6107. 
  8. ^ 雨谷栄、梅田雅臣ほか「漢方処方の解析:第29報:実験的動脈硬化に及ぼす漢方方剤の効果」『和漢医薬学会誌』第3巻第3号、1986年、p.p.338-339、ISSN 0289-730X 
  9. ^ 原中瑠璃子、長谷川律子ほか「八味地黄丸、柴胡加竜骨牡蛎湯、大柴胡湯、黄連解毒湯エキスの動脈硬化に及ぼす影響に関する実験研究」『和漢医薬学会誌』第3巻第1号、1986年、p.p.51-57、ISSN 0289-730X 
  10. ^ 左雨秀治、張洪ほか、「去勢メスラットの老化モデルに対する八味地黄丸(TJ-7)の効果検討」、『産婦人科漢方研究のあゆみ:No.10』診断と治療社、1993年、p.p.46-53
  11. ^ 金子均ほか「GnRH agonist によるラットの骨量減少に対する八味地黄丸の抑制効果」『日本更年期医学会雑誌』第3巻第2号、1995年、p225、ISSN 0919-5033 
  12. ^ 熊井昭彦、岡本良平ほか、「雄ラット性腺系へ与える八味地黄丸の影響」『産婦人科漢方研究のあゆみ:No.4』診断と治療社、1987年、p.p.98-103
  13. ^ 須藤和彦ほか『東邦医学会雑誌』第38巻第4号、1991年、p476、ISSN 0040-8670 
  14. ^ 原中瑠璃子ほか『Proc. Symp. WAKAN-YAKU』1982年、15巻、15号
  15. ^ 丁宗鐵、荒川和男ほか「実験的高血圧成立過程に及ぼす各種漢方薬の影響:新高血圧ラットMHR:その12」『和漢医薬学会誌』第6巻第3号、1989年、p.p.416-417、ISSN 0289-730X 
  16. ^ a b 上原譽志夫ほか「食塩感受性高血圧モデルラット(DAHL)における八味地黄丸の血圧ならびに心腎血管系および糸球体障害の保護作用について」『Prog. Med.』第14巻第6号、1994年、p.p.1761-1776、ISSN 0287-3648 
  17. ^ 宮本義己「徳川家康公と医学」、『大日光』66号、1995年
  18. ^ a b 宮本義己「徳川家康と本草学」、笠谷和比古編『徳川家康―その政治と文化・芸能―』宮帯出版社、2016年
  19. ^ a b 宗田一「徳川家康と『八之字薬』」『和漢薬』第400号、1986年、p.p.121-124、ISSN 0913-1183 
  20. ^ 難波恒雄「なぜ富山に売薬業がおこったのか:反魂丹の謎」『薬史学雑誌』第31巻第2号、1996年、p.p.155-156、ISSN 0285-2314 
  21. ^ 原敬二郎「丸剤の歴史と当院における丸薬の治療について」『漢方の臨床』第45巻第4号、1998年、p479、ISSN 0451-307X 
  22. ^ 宮本義己『戦国武将の健康法』、新人物往来社、1982年、ISBN 9784404011169
  23. ^ 宮本義己「徳川家康公と医学」、『大日光』66号、1995年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]