入来院重頼

 
入来院重頼
時代 江戸時代前期
生誕 寛永6年(1629年
死没 寛永7年7月10日1667年8月29日
改名 又菊(幼名)→重頼
別名 通称:石見
戒名 壽昌寺殿梅岑清香大居士
主君 島津光久
薩摩藩
氏族 入来院氏
父母 父:入来院重通、母:川上久国
正室:島津忠恒
継室:川上久運
重治島津久理正室
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入来院 重頼(いりきいん しげより)は、江戸時代前期の薩摩藩士。薩摩入来領主、入来院氏18代当主。

生涯[編集]

寛永6年(1629年)、島津氏の家臣・入来院重通の子として生まれる。寛永16年(1639年)、藩主・島津光久の祖父入来院重高邸御成の際に、光久が加冠役、宮之城島津家島津久通が理髪役となり元服する。以後光久に近侍した。

寛永20年(1643年)、光久の命で、犬追物が行われ射手を務める。正保元年(1645年)、川上久慶を師として鎌倉流馬術を修める。正保4年(1647年)、江戸に下り、光久が武蔵国王子村で行った犬追物に射手として参加する。観覧した将軍徳川家光に拝謁し、時服を賜る。

慶安元年(1648年)、鹿児島に帰国する。同年、川上久慶より、犬追物の免状を受ける。同年清色地頭職。慶安3年(1650年)、藩主光久の妹を正室に迎える。同年、江戸に下り、江戸城で将軍家光に拝謁する。

寛文元年(1661年)、藩主光久の参勤に随行し江戸に下る。同年、病により暇を賜り帰国する。

寛文7年(1667年)7月10日没。享年39。

参考文献[編集]

  • 「入来村史」