保土ケ谷駅

保土ケ谷駅[* 1]
西口(2011年8月)
ほどがや
Hodogaya
JO 13・JS 13 横浜 (3.0 km)
(4.9 km) 東戸塚 JO 11・JS 11
地図
所在地 横浜市保土ケ谷区岩井町1-7
北緯35度26分48.2秒 東経139度35分58.6秒 / 北緯35.446722度 東経139.599611度 / 35.446722; 139.599611座標: 北緯35度26分48.2秒 東経139度35分58.6秒 / 北緯35.446722度 東経139.599611度 / 35.446722; 139.599611
駅番号 JO12
JS12
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 横須賀線
湘南新宿ライン宇都宮線直通)[* 2]
(いずれも線路名称上は東海道本線
キロ程 31.8 km(東京起点)
東京から品鶴線経由で34.7 km
電報略号 ホト
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
27,634人/日(降車客含まず)
-2022年-
開業年月日 1887年明治20年)7月11日
備考
  1. ^ 1931年に程ヶ谷駅から改称。
  2. ^ 高崎線 - 東海道線系統は通過。
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程ヶ谷駅
ほどがや
Hodogaya
所属事業者 鉄道省(国鉄)
開業年月日
廃止年月日
乗入路線
所属路線 東海道本線
キロ程 4.16 km(横浜(初代)起点)
横浜(初代) (4.16 km)
所属路線 東海道本線貨物支線
キロ程 3.36 km(高島起点)
高島 (3.36 km)
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保土ヶ谷駅
ほどがや
Hodogaya
(1.0 km) 西横浜
所属事業者 相模鉄道(相鉄)
所属路線 貨物支線
キロ程 0.0 km(保土ヶ谷起点)
開業年月日 1948年昭和23年)9月13日
廃止年月日 1979年(昭和54年)10月6日
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東口(2011年8月)

保土ケ谷駅(ほどがやえき)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区岩井町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)のである。

乗り入れ路線[編集]

乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線のみであるが、当駅には横須賀線専用線路上にのみ旅客ホームがあり、同線路を走行する横須賀線電車および湘南新宿ライン宇都宮線 - 横須賀線直通列車のみが停車し、東海道線列車は停車せず、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されていない。湘南新宿ラインの東海道線 - 高崎線系統は全列車が快速運転のため通過する[注釈 1]

また当駅には、各路線ごとに駅番号が与えられている。

  • JO 横須賀線:東海道本線(品鶴線経由)を経て、下り列車は大船駅より線路名称上の横須賀線を走る。上り列車は多くの列車が東京駅を経由し、総武快速線へ直通する。 - 駅番号JO 12
  • JS 湘南新宿ライン:東海道本線(品鶴線経由)を経て、西大井駅まで横須賀線と同一の線路を使用し、新宿駅経由で宇都宮線へ直通する。 - 駅番号「JS 12

また、JRの特定都区市内制度における「横浜市内」に属する。

歴史[編集]

1887年(明治20年)7月11日に東海道本線横浜 - 国府津間開通に合わせて、程ヶ谷駅として開業した。この時点では、横浜駅は現在の桜木町駅の位置にあり、東海道本線は初代横浜駅でスイッチバックをして程ヶ谷に至っていた[1]。開業当初は西欧風のモダンな駅舎が建てられていたが、西口だけであった[2]

この折り返しは輸送上の大きな障害となっていたこともあり、その後日清戦争が勃発して輸送量が増加した折に、陸軍省の依頼で神奈川駅と当駅の間を短絡する路線が1894年(明治27年)9月下旬に開通した[3][4]。この路線は当初暫定のはずであったが、日清戦争が終わり東海道本線の複線化が進展すると、こちらの路線を本線とする計画が生まれた。横浜の商人などは、横浜駅が支線上になって列車本数が減少してしまうことへの懸念からこの計画に反対したが、結局1898年(明治31年)8月1日に短絡線の方が本線となり、こちら経由で神奈川 - 大船間の複線化が実施された。横浜の市民の利便性を考えて、この短絡線上に平沼駅が1901年(明治34年)10月10日に設置されたが、平沼駅周辺は未開で横浜市街地と結ぶ交通も未整備だったことから利用は少なかった[3][5]

その後、東海道本線のすべての列車が横浜駅を経由できるように改良することになり、1915年(大正4年)8月15日に高島町交差点付近に2代目の横浜駅が開設された。これと同時に初代の横浜駅は桜木町駅に改称した。東海道本線は、神奈川駅から南へ向かって2代目横浜駅を経由し、石崎川に沿って当駅に至る弓なりの経路を通るようになり、同時に桜木町駅と当駅を結ぶ路線、神奈川駅と当駅を結ぶ短絡線は廃止となった[6][7]。また2代目横浜駅の東側に貨物駅として設置された高島駅と当駅を結ぶ複線の貨物線が1915年(大正4年)12月30日に開通した。その後1917年(大正6年)6月17日に鶴見駅と高島駅を結ぶ貨物線、通称高島線が開通したことで鶴見から当駅までの貨物線がつながり、旅客と貨物が別線路を走行するようになった[8][9][10]。またこの年に西口駅舎が改築されている[2]

しかし1923年(大正12年)9月1日の関東大震災により2代目横浜駅は焼失した。その後の横浜の鉄道網再建計画にあたって、東海道本線を再び直線化する方向でまとまり、現在の位置に3代目の横浜駅が建設された。これにより、一度廃止された神奈川 - 程ヶ谷間の短絡線が再び本線となることになった[11]。3代目横浜駅に着工する前の1925年(大正14年)12月13日に東海道本線東京 - 国府津間が電化され、当駅を通る列車も多くが電気機関車の牽引に移行した[12]。1928年(昭和3年)10月15日に3代目横浜駅が開業し、2代目横浜駅を経由する弓なりの経路は廃止されて短絡線が再開通した[13]。またその後貨物線の再編も行われ、1929年(昭和4年)8月21日に品川 - 鶴見間の通称品鶴線が開通して新鶴見操車場が開業し、また鶴見から程ヶ谷まで本線に沿った貨物線が開通して、程ヶ谷から平塚まで前年の3月31日までに順次開通していた貨物線と合わせて品川 - 平塚間の客貨分離が完成した。この線路の品川 - 東戸塚間が後に横須賀線の電車を運転するために利用されることになる。この貨物線完成により、不要となった高島と当駅を結ぶ貨物線は同年9月16日に廃止となった[13][14]

1929年(昭和4年)2月14日、後に相鉄本線となる神中鉄道西横浜駅まで開通した際に、当駅と西横浜を結ぶ連絡線が開通し、砂利輸送が行われるようになった[15][16]。この連絡線を経由した運転は終始入換の扱いとされていた。1948年(昭和23年)9月13日[17]にこの路線は貨物支線として正式に開業し、営業キロは0.8 kmとされた。引き続き砂利輸送が行われた他、厚木海軍飛行場に進駐した米軍向けの燃料輸送も実施された。1964年(昭和39年)からは厚木駅付近に小野田セメントのセメント基地が建設され、セメント輸送も行われるようになった。一方でこの年、相模川の砂利資源枯渇に伴い、砂利輸送は全廃された。また当駅構内には相鉄所属の専用線も存在していた[16]

1930年(昭和5年)3月15日から横須賀線の列車が電車化され、当駅に電車が運行されるようになった[18]。これに伴い、東海道線は全列車が当駅を通過となり、横須賀線の電車のみが停車するようになった[19]。1931年(昭和6年)10月1日に保土ケ谷駅に改称され、1938年(昭和13年)3月には東口駅舎が開設された[2]

東海道線と横須賀線の列車は同じ線路を共用してきたが、貨物線を利用して分離を行うことになり(SM分離)、まず1979年(昭和54年)10月1日に横浜羽沢駅経由で新設された貨物線に貨物列車の運転が移行し、当駅では貨物扱いが廃止となって、貨物線が空くことになった[20]。これに伴い、10月6日付で相模鉄道の貨物支線も廃止となり、残っていたセメント輸送や米軍燃料輸送は厚木駅を経由したものに移行した。廃止の時点ではこの連絡線の営業キロは1.0 kmとなっていたが、改キロがいつ実施されたかは不明である[17][16]。それから1年をかけて橋梁の改築などの旅客化工事が行われ、1980年(昭和55年)10月1日から旧貨物線を経由して横須賀線電車の運転が開始された。1981年(昭和56年)2月1日に現行の橋上駅舎が供用開始されている[20]

年表[編集]

駅名の由来[編集]

「保土ケ谷」という地名の由来は複数説がある。有力なのは民俗学者の柳田國男の主張する女性器(ほと)の形に似た谷という説と、古代で、旭区から保土ケ谷区にかけて広大な榛谷御厨(はんがやみくりや)[注釈 2]が存在し、「はんがや」が「ほどがや」に転訛したという説である。

駅構造[編集]

島式ホーム1面2線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。島式ホームの東側には、ホームのない東海道線が通っている。北側には着発線1本と機回し線1本があり、横浜方面からの折り返しに使用されている。さらに横浜寄りには保線基地がある。貨物ホームがあった名残から横浜寄りには出発信号機(第1・第2)がある。このため電車が発車する際、出発信号機の表示が赤である場合は発車待ちが生じる。

横浜統括センター(横浜駅)管理のJR東日本ステーションサービス受託の業務委託駅。

横浜羽沢駅経由の東海道貨物線が開通する前は、本線西側と駅舎北側にコンテナホーム・有蓋車用ホーム各1面1線の貨物ホームが存在していた。

ホームの柱一本おきに、明治大正期のガス灯を彷彿とさせる形状の電灯が設置されている。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先
1 JO 横須賀・総武線(快速) 上り 横浜品川東京千葉方面
JS 湘南新宿ライン 北行 渋谷新宿大宮方面
2 JO 横須賀線 下り 大船逗子久里浜方面

(出典:JR東日本:駅構内図

駅構内設備[編集]

駅弁[編集]

主な駅弁は下記の通り[26]

  • 横濱中華弁当
  • 幕の内弁当
  • かながわ味わい弁当(季節により内容が変わる:春・初夏・夏・秋・冬)
  • シウマイ弁当
  • しょうが焼弁当
  • おべんとう(季節により内容が変わる春・初夏・夏・秋・冬)
  • 横濱チャーハン
  • お赤飯弁当
  • 横濱ピラフ
  • いなり寿司

利用状況[編集]

2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員27,634人である[利用客数 1]

近年の推移は下記の通り。

年度別1日平均乗車人員[統計 1]
年度 1日平均
乗車人員
出典
1991年(平成03年) 29,997
1992年(平成04年) 30,612
1993年(平成05年) 30,868
1994年(平成06年) 31,022
1995年(平成07年) 30,860 [統計 2]
1996年(平成08年) 31,114
1997年(平成09年) 31,039
1998年(平成10年) 30,756 [* 1]
1999年(平成11年) 31,105 [* 2]
2000年(平成12年) [JR 1]31,218 [* 2]
2001年(平成13年) [JR 2]31,425 [* 3]
2002年(平成14年) [JR 3]31,465 [* 4]
2003年(平成15年) [JR 4]31,434 [* 5]
2004年(平成16年) [JR 5]30,974 [* 6]
2005年(平成17年) [JR 6]30,810 [* 7]
2006年(平成18年) [JR 7]31,261 [* 8]
2007年(平成19年) [JR 8]31,472 [* 9]
2008年(平成20年) [JR 9]31,511 [* 10]
2009年(平成21年) [JR 10]31,612 [* 11]
2010年(平成22年) [JR 11]31,855 [* 12]
2011年(平成23年) [JR 12]31,932 [* 13]
2012年(平成24年) [JR 13]32,412 [* 14]
2013年(平成25年) [JR 14]32,764 [* 15]
2014年(平成26年) [JR 15]32,422 [* 16]
2015年(平成27年) [JR 16]33,001 [* 17]
2016年(平成28年) [JR 17]33,613 [* 18]
2017年(平成29年) [JR 18]34,035 [* 19]
2018年(平成30年) [JR 19]34,365 [* 20]
2019年(令和元年) [JR 20]34,029 [* 21]
2020年(令和02年) [JR 21]26,038
2021年(令和03年) [JR 22]26,250
2022年(令和04年) [JR 23]27,634

駅周辺[編集]

当駅周辺は東海道宿場の一つである保土ヶ谷宿があった所であり、駅の周辺にはいくつかの史跡が散在している。本陣跡をはじめ、高札場問屋場・金沢横町道標4基などの史跡、神社仏閣なども多く散在している。西口付近を通る道路はかつての旧東海道であり、当駅から約1km(徒歩15分圏内)の位置にある相鉄本線天王町駅方面に続いている。また、西口周辺には保土ケ谷税務署も所在している。ただし、保土ケ谷区役所をはじめとした区の主要な官公庁は相鉄本線の星川駅周辺に置かれている。

西口
東口

バス路線[編集]

東口[編集]

神奈川中央交通相鉄バス横浜市営バスが運行する路線バスが発着する。改札口から、国道1号を歩道橋で越えた先にターミナルが設置されており、1 - 8番のりばはこのターミナル内に設置されているが、9番乗り場については国道1号線上に設置されている。

のりば 運行事業者 系統・行先 備考
1 神奈川中央交通
 
2 相鉄バス 旭4:美立橋 / 二俣川駅北口  
横浜市営バス 106境木中学校  
3
  • 53:平和台折返場
  • 212:保土ヶ谷車庫前方面(循環含む)
 
4・5 (降車専用)
7 神奈川中央交通 11(YAMATE LINER)桜木町駅  
横浜市営バス 9磯子駅前 / 滝頭  
8 相鉄バス
 
横浜市営バス 「288(聖隷横浜病院循環)」は平日運行
9 神奈川中央交通
  • 横17横46:横浜駅西口
  • 77:横浜駅東口
  • 東21:水道道
 
相鉄バス 旭4:横浜駅西口  
横浜市営バス
  • 9:横浜駅前
  • 32212:保土ヶ谷車庫前
  • 53:保土ヶ谷車庫前 / 横浜駅西口
  • 106:本牧車庫前
  • 「9」の藤棚行きは平日運行
  • 「212」「53」は日中運行

西口[編集]

神奈川中央交通・相鉄バス・横浜市営バスが運行する路線バスが発着する。

のりば 運行事業者 系統・行先 備考
1 神奈川中央交通 121新横浜駅  
横浜市営バス
  • 25:明神台 / 横浜駅西口
  • 127星川駅 / 保土ヶ谷車庫前
「25」の明神台行きは平日朝のみ運行
2 相鉄バス 旭45:美立橋  
横浜市営バス
  • 22:星川駅 / 保土ヶ谷車庫前
  • 33125220:星川駅
「125」は平日朝のみ運行

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道(JR東日本)
JO 横須賀線
横浜駅 (JO 13) - 保土ケ谷駅 (JO 12) - 東戸塚駅 (JO 11)
JS 湘南新宿ライン
特別快速・快速(いずれも高崎線直通)
通過
普通(宇都宮線直通、一部は宇都宮線内快速)
横浜駅 (JS 13) - 保土ケ谷駅 (JS 12) - 東戸塚駅 (JS 11)

かつて存在した路線[編集]

鉄道省(国鉄)
東海道本線
横浜駅(初代) - 程ヶ谷駅
1915年(大正4年)8月15日廃止、2.5マイル(約4.16 km)
東海道本線貨物支線
高島駅 - 程ヶ谷駅
1929年(昭和4年)9月16日廃止、1.3マイル(約3.36 km)
相模鉄道
貨物支線
保土ヶ谷駅 - 西横浜駅
1979年(昭和54年)10月6日廃止

脚注[編集]

記事本文[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ただし、人身事故などの影響でダイヤ乱れや列車運休があった場合、当駅に臨時停車をすることもある。また、東海道線列車も同じ理由で当駅に臨時停車することがあるが、この場合は横浜 - 戸塚間で横須賀線の線路を使用する。
  2. ^ 榛谷氏も参照

出典[編集]

  1. ^ 『横浜の鉄道物語』p.29
  2. ^ a b c 『かながわの鉄道』p.84
  3. ^ a b 『横浜の鉄道物語』pp.30 - 31
  4. ^ 『停車場変遷大事典』
  5. ^ 『「地図」で探る横浜の鉄道』pp.20 - 21
  6. ^ 『横浜の鉄道物語』pp.31 - 32
  7. ^ 『「地図」で探る横浜の鉄道』pp.40 - 41
  8. ^ 『横浜の鉄道物語』p.32
  9. ^ 山田亮「横浜臨港線の歴史と現状」『鉄道ピクトリアル』第714号、電気車研究会、2002年3月、41 - 49頁。 
  10. ^ 『日本国有鉄道百年史』第6巻 pp.205 - 212
  11. ^ 『「地図」で探る横浜の鉄道』p.64
  12. ^ 『かながわの鉄道』pp.54 - 55
  13. ^ a b 『横浜の鉄道物語』p.33
  14. ^ 『日本国有鉄道百年史』第9巻 pp.183 - 184
  15. ^ 『横浜の鉄道物語』p.134
  16. ^ a b c 渡辺一策「相模鉄道の貨物輸送」『鉄道ピクトリアル臨時増刊号』第672号、電気車研究会、1999年7月、102 - 107頁。 
  17. ^ a b 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』(第2刷)電気車研究会、1995年12月20日、78頁。 
  18. ^ 『かながわの鉄道』p.75
  19. ^ 『「地図」で探る横浜の鉄道』p.78
  20. ^ a b 『横浜の鉄道物語』p.53
  21. ^ 柴田重利 『カラーブックス562 日本の私鉄13 相模鉄道』 保育社、1982年、52-53ページ
  22. ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '92年版』ジェー・アール・アール、1992年7月1日、181頁。ISBN 4-88283-113-9 
  23. ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '94年版』ジェー・アール・アール、1994年7月1日、186頁。ISBN 4-88283-115-5 
  24. ^ 駅の情報(保土ケ谷駅):JR東日本”. 東日本旅客鉄道. 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。
  25. ^ a b 「2021年度駅業務執行体制の再構築について」提案受ける!②” (PDF). JR東労組横浜地本 (2021年6月2日). 2021年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月3日閲覧。
  26. ^ 『JTB時刻表 2024年3月号』JTBパブリッシング、2024年、233,234頁。 

利用状況[編集]

JR東日本の1日平均利用客数
  1. ^ 各駅の乗車人員 - JR東日本
JR東日本の統計データ
JR東日本の2000年度以降の乗車人員
神奈川県県勢要覧
  1. ^ 平成12年 - 220ページ
  2. ^ a b 平成13年 (PDF) - 222ページ
  3. ^ 平成14年 (PDF) - 220ページ
  4. ^ 平成15年 (PDF) - 220ページ
  5. ^ 平成16年 (PDF) - 220ページ
  6. ^ 平成17年 (PDF) - 222ページ
  7. ^ 平成18年 (PDF) - 222ページ
  8. ^ 平成19年 (PDF) - 224ページ
  9. ^ 平成20年 (PDF) - 228ページ
  10. ^ 平成21年 (PDF) - 238ページ
  11. ^ 平成22年 (PDF) - 236ページ
  12. ^ 平成23年 (PDF) - 236ページ
  13. ^ 平成24年 (PDF) - 232ページ
  14. ^ 平成25年 (PDF) - 234ページ
  15. ^ 平成26年 (PDF) - 236ページ
  16. ^ 平成27年 (PDF) - 236ページ
  17. ^ 平成28年 (PDF) - 244ページ
  18. ^ 平成29年 (PDF) - 236ページ
  19. ^ 平成30年 (PDF) - 220ページ
  20. ^ 平成31年 (PDF) - 220ページ
  21. ^ 令和2年 (PDF) - 220ページ

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]