伊木忠識

伊木忠識の墓

伊木 忠識(いぎ ただもと、寛延3年6月11日1750年7月14日) - 文化5年1月5日1808年2月1日))は、岡山藩筆頭家老伊木家10代当主。通称は長門。主君は池田斉政

生涯[編集]

忠識は7代当主・伊木忠知の四男として岡山城下で生まれた。伊木修理知充と名乗り分家の家督を継ぎ、池田家家臣となっていた。

文化4年(1807年)7月、甥である9代忠真が嗣子を得られないまま27歳で没したため、急遽58歳で本家の家督を相続した。家老職に就いて6か月後の文化5年(1808年)1月、59歳で没した。

岡山藩家老・土倉一之の四男が養子となり、11代忠順として伊木家の家督を継いだ。

法名は「信綱院殿前長州心厳静安大居士」。墓所は伊木家長島墓所(岡山県瀬戸内市)。

参考文献[編集]

  • 『茶人伊木三猿斎』 桂又三郎/著 奥山書店、1976年
  • 『備前藩筆頭家老伊木氏と虫明』 邑久町郷土史クラブ/編 1996年