今治髙島屋
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 | 日本 愛媛県今治市大正町1-1-2[1] |
設立 | 1958年(昭和33年)9月17日[1] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店の運営 |
代表者 | 代表取締役社長 井本義秀[1] |
資本金 | 2400万円[1] |
売上高 | 12億9000万円 (1967年(昭和42年))[1] ↓ 15億円 (1968年(昭和43年))[1] |
従業員数 | 237[1] |
主要子会社 | 今治センター不動産(株)[1]、石鎚登山ロープウェイ(株)[1]、鈍川観光開発(株)[1] |
今治ショッピングセンター[5] ↓ 百貨店今治センター[1] ↓ 百貨店 せとうち[2] ↓ せとうち髙島屋[3] ↓ 今治髙島屋[4] | |
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店舗概要 | |
所在地 | 愛媛県今治市大正町1-1-2[1] |
開業日 | 1958年(昭和33年)9月1日[5] |
閉業日 | 1984年(昭和59年)6月17日[6] |
延床面積 | 6,160 m²[1] |
商業施設面積 | 4,163m2[1] ↓ 8,960 m²[5] |
営業時間 | 9:30-18:00[1] |
最寄駅 | 今治駅 |
今治髙島屋(いまばりたかしまや)は、愛媛県今治市大正町1-1-2に存在した日本の百貨店。
沿革[編集]
ハイランドグループ加盟。
- 1974年(昭和49年)10月9日 - 新装開店と同時に「せとうち髙島屋」に社名変更[3]。
- 1976年(昭和51年)12月1日 - 「今治髙島屋」に社名変更[4]。
- 1984年(昭和59年)6月17日 - 閉店[6]。
- 1985年(昭和60年)2月18日 - 解散。跡地は「今治キハラパーキング」[7]
概要[編集]
今治市大正町1丁目と広小路の交差点角にバスターミナル併設の形で[8]、1958年(昭和33年)9月1日に「今治ショッピングセンター」として開業[5]。開業時の売場面積は1,657m2で、今治市内初の大型小売店舗であった[8]。
ところが、1962年(昭和37年)に本町1丁目と広小路の交差点角に売場面積4,720m2の「大洋デパート」が開店[8]。 1972年(昭和47年)には、共栄町3丁目に売場面積2,650m2の「フジ今治店」が、旭町1丁目に売場面積7,000m2の「ダイエー今治ショッパーズプラザ」と相次いで出店[9]。 いずれも当店の開業時の売場面積を上回る規模で競合店が出店した。
1972年(昭和47年)に高島屋ハイランドグループに参加して商品の拡充を図ると共に[5]、瀬戸内運輸と高島屋の資本参加も得て増床を図り[9]、1974年(昭和49年)10月9日に「せとうち髙島屋」として新装開店した[3]。
しかし、その後も1976年(昭和51年)に当店に隣接して売場面積7,878m2のニチイ今治店が進出するなど、今治市は全国有数の流通激戦地となった[9]。
そのため、業績不振が続いて累積赤字が47億店に達したことから[10]、1984年(昭和59年)6月17日に閉店した[6]。
周辺[編集]
- 今治市役所・公会堂・市民会館
- 四国電力今治営業所
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『デパート・ニューズ調査年鑑 1969年度版』 デパートニューズ社、1969年。pp307
- ^ a b c “会員消息”. 日本百貨店協会通報 1973年8月号 (日本百貨店協会) (1973年8月).pp14
- ^ a b c d 『愛媛年鑑 昭和50年版』 愛媛新聞社、1975年3月15日。pp235
- ^ a b c “会員消息”. 日本百貨店協会会報 1976年12月号 (日本百貨店協会) (1976年12月).pp57
- ^ a b c d e f g “会員消息”. 日本百貨店協会会報 1978年8月号 (日本百貨店協会) (1978年8月).pp47
- ^ a b c “全国中小企業の活躍レポート”. 近代中小企業 1984年7月号 (中小企業経営研究会) (1984年7月1日).pp73
- ^ 瀬戸内運輸株式会社
- ^ a b c 愛媛県史編さん委員会 『愛媛県史 地誌 2 東予西部』 愛媛県、1986年12月3日。pp189
- ^ a b c 愛媛県史編さん委員会 『愛媛県史 地誌 2 東予西部』 愛媛県、1986年12月3日。pp190
- ^ 星野舜一郎 “デパートスクランブル 百貨店業界を支える一〇〇人の旦那たち(その一六) 高島屋は君臨できるか、傍系の赤字が足引っ張る”. 総合食品 1984年10月号 (総合食品研究所) (1984年10月).pp109