仁宇布駅

仁宇布駅
仁宇布駅跡(2004年撮影)
にうぷ
Niupu
辺渓 (14.9 km)
所在地 北海道中川郡美深町字仁宇布
北緯44度32分50.61秒 東経142度34分08.89秒 / 北緯44.5473917度 東経142.5691361度 / 44.5473917; 142.5691361
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 美幸線
キロ程 21.2 km(美深起点)
電報略号 ウフ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度-
20人/日
-1981年(昭和56年)-
開業年月日 1964年昭和39年)10月5日[1]
廃止年月日 1985年(昭和60年)9月17日[1]
備考 美幸線廃線に伴い廃駅
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駅周辺を写した航空写真。画像中央が仁宇布駅、左下方向が美深駅方面、右上方向が北見枝幸駅方面。1977年度撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

仁宇布駅(にうぷえき)は、北海道中川郡美深町字仁宇布にあった日本国有鉄道(国鉄)美幸線廃駅)である。事務管理コードは▲122706[2]

歴史[編集]

1964年(昭和39年)に美幸線の当面の終着駅として開業し、その後も当駅から興浜北線北見枝幸駅までの建設工事が進められ、路盤やトンネル、橋梁が全て完成したものの、1980年(昭和55年)に国鉄再建法の施行に伴い、工事は凍結されて未成に終わるとともに、開業区間も廃線となった。

また、貨物取り扱い駅だったが、1979年度(昭和54年度)以降は取り扱い実績がほとんどなく、1984年(昭和59年)2月1日で貨物取り扱いは廃止された[3]

駅名の由来[編集]

地名より[4]アイヌ語の「ニウプ(niupu)」に由来するが、諸説あり、更科源蔵は「森林がある川」の意である、としている[5]。国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』には「『ペンケニウプ』(小川の上流の森)[4]」から、とされている。

駅構造[編集]

廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北東側(仁宇布方面に向かって左手側)に存在した。列車の発着に使用する駅舎側の1番線だけではなく、駅舎と反対側の乗り場(2番線)の線路も敷設され側線扱いとなっていた[6]。2線はホームの先で収束し、路線延長時には列車交換が可能な構造となっていた。ほかに2番線の外側に貨物用の側線(3番線)を1本有した[7]

職員配置駅となっており、木造プレハブ造りの駅舎が存在した。駅舎は構内の南東側に位置し、ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[6]。1981年(昭和56年)時点で職員は合計6人が配置されていた[6]

また、1980年(昭和55年)時点では、駅裏に日本鉄道建設公団の線路敷設基地が置かれており[8]、構内にはレールや枕木が積まれていた[6]

利用状況[編集]

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は20人[6]

駅周辺[編集]

駅跡[編集]

駅舎は廃止直後の1985年(昭和60年)12月19日から21日にかけて解体された[9]。駅跡は1998年(平成10年)より美深町のNPO法人トロッコ王国美深の施設として使われている。2000年(平成12年)時点で駅舎は既に撤去されているが[10]、2010年(平成22年)時点でホームや線路は残存している。駅舎跡にログハウス風の事務所が置かれ、当駅跡から辺渓駅方、高広の滝附近へ約5kmの線路が再利用され、エンジン付き保線用軌道自転車の運転体験ができる[11]

施設内には国鉄583系電車の中間車両サハネ581-19が置かれている。外観は塗装の剥離や錆が目立つものの、内部は保存状態良好である(車内公開はされていない)。また、廃駅となった智東駅貨車駅舎(ヨ3500形車掌車を改造)が2006年(平成18年)7月3日に移動されて設置されている[12]。沿線に残存している保線小屋が資材置き場に転用されている[13]

また、旧駅前広場部分には蒸気機関車車輪[13]のモニュメント付きの石碑、「美幸線記念碑」が建立されている[10]。2000年(平成12年)時点では北見枝幸方へも、北へ0.1kmほどの線路が残存していたが[10]、2010年(平成22年)時点では駅跡の北側までで終わっていた。路盤は2010年時点でもさらに北に続いている[11]

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
美幸線
辺渓駅 - 仁宇布駅 - (未成区間)北見大曲駅(計画・仮称)[11]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、904頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年1月15日閲覧 
  3. ^ a b 「来月からの国鉄貨物廃止 9線区を認定 本道11線区に」『北海道新聞』、1984年1月20日、朝刊。
  4. ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、184頁。ASIN B000J9RBUY 
  5. ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 69. ISBN 4893637606. OCLC 40491505. https://www.worldcat.org/oclc/40491505 2018年10月16日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)192ページより。
  7. ^ 書籍『廃線終着駅を訊ねる 国鉄・JR編』(著:三宅俊彦JTBパブリッシング2010年4月発行)36ページより。
  8. ^ 書籍『終着駅 国鉄全132』(雄鶏社1980年10月発行)28ページより。
  9. ^ 「美幸線廃止から3カ月 主役の代替バスは… 仁宇布駅舎も撤去」『名寄新聞』、1985年12月24日。
  10. ^ a b c 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング2000年1月発行)27-29ページより。
  11. ^ a b c 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)29-30ページより。
  12. ^ 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫2007年5月発行)29-30ページより。
  13. ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)258ページより。
  14. ^ 『北海道の鉄道廃線跡』373ページより。

外部リンク[編集]