京極高行

 
京極高行
京極高行像
時代 江戸時代後期
生誕 寛政6年6月16日1794年7月12日
死没 弘化4年9月29日1847年11月6日
改名 六丸(幼名)、高行
戒名 成義院殿泰誉伝習善道大居士
墓所 東京都文京区向丘瑞泰寺
官位 従五位下甲斐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
但馬豊岡藩
氏族 京極氏
父母 京極高有脇坂安親の娘・直
正室五島盛運の娘・静子
継室永井直方の娘
継々室本多忠知の娘・佐多
側室:古山氏
高厚ら1男2女
テンプレートを表示

京極 高行(きょうごく たかゆき)は、但馬国豊岡藩の第8代藩主。豊岡藩京極家10代。

略歴[編集]

寛政6年(1794年)6月16日、第7代藩主・京極高有の長男として江戸麹町邸で生まれる。天保2年(1831年)5月10日、父の隠居にともない家督を継いだ。 天保4年(1833年)に藩校・稽古堂を創設。小藩ながら優秀な人材(猪子止戈之助和田垣謙三河本重次郎古島一雄など)を輩出する原動力となった[1]。天保12年(1841年)からは大坂加番となる。さらに天保の改革に倣って、家臣の知行削減やリストラなどの財政改革を行なった。

弘化4年(1847年)9月29日に江戸麹町邸で死去した。享年54。跡を長男の高厚が継いだ。

系譜[編集]

子女は1男2女

脚注[編集]

  1. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、320頁。ISBN 978-4-06-288001-5