井上達次

 
井上達次
時代 幕末 - 明治時代
生誕 文政10年(1827年
死没 明治20年(1887年12月4日
別名 :孝義、孝廉
:棣斎
墓所 福田寺山口県周南市
主君 毛利元蕃
周防徳山藩
氏族 安芸井上氏
父母 父:井上之祐、母:井上之孝の娘
兄弟 快雪、男子、達次
テンプレートを表示

井上 達次(いのうえ たつじ)は、幕末から明治時代にかけての徳山藩士。孝義孝廉。兄は漢学者井上快雪

生涯[編集]

文政10年(1827年)、徳山藩士・井上之祐の三男として生まれる。達次の生まれた井上家は安芸井上氏の一族で、井上元有の次男・就正の流れをくみ、徳山藩士としての家祖は井上就正の孫である井上家正である。

兄の快雪漢学の道を進んだが、達次は剣術に力を入れた。徳山藩の藩校鳴鳳館神道無念流の指南役を務めた小田勘衛門から剣術を学び、嘉永3年(1850年)には藩命により常陸笠間藩へ遊学する。次いで江戸に出て桃井春蔵士学館に入門し、塾監となって鏡新明智流の奥義を極めた。文久元年(1861年)に徳山藩へ帰って道場を開き、門下生に神道無念流と鏡新明智流の二流を教えた。

明治20年(1887年12月4日に死去。享年61。

参考文献[編集]