井上就貞 (忠兵衛)

 
井上就貞
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 文禄2年(1593年
死没 承応2年8月6日1653年9月27日
別名 通称:平三(平蔵)→忠兵衛尉
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 清和源氏頼季流安芸井上氏
父母 父:井上景家
兄弟 元宅就貞就通就勝
養子:就資椋梨就次の子)
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井上 就貞(いのうえ なりさだ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士毛利氏の家臣で長州藩士。父は井上景家

生涯[編集]

文禄2年(1593年)、毛利氏家臣である井上景家の次男として生まれ、毛利秀就綱広の二代に仕える。

慶長17年(1612年7月17日、所領の内の54石6斗余りの地を就貞に譲るという父・景家の願い出に対し、毛利輝元は景家の校了次第であると答えている。また、同年7月19日に秀就から「就」の偏諱と「忠兵衛尉」の官途名を与えられる。

承応2年(1653年8月6日に死去。享年61。養子の就資が後を継いだ。

参考文献[編集]