中立法

中立法(ちゅうりつほう、Neutrality Act)は、1935年アメリカで制定された法律。大統領戦争状態にある国が存在していること、または内乱状態にある国が存在していることを宣言した場合には、その国に対して武器や軍需物資の輸出を禁じるというものである。

沿革[編集]

中立法支持のジャネット・ランキン議員。

狂騒の20年代のアメリカの好景気は、1929年の暗黒の木曜日恐慌によって終了していた。

同法は、孤立主義世論に基づき、ルーズベルト大統領の時期の1935年に成立し、1~2年ごとに見直されていたが、日中戦争が勃発した1937年の改正時には、大統領によって、イギリス国籍の船によるアメリカ製軍事物資の中国への輸出が許可された。

また、ナチス・ドイツヨーロッパでの勢力拡大の影響で、1939年11月3日の議会では武器禁輸条項を撤廃した新中立法が成立(上院55票対24票、下院220票対189票でいずれも可決)[1]。 政府の許可に基づき「現金引き換えかつ現地への輸送は相手国負担」 (Cash and carryによるという条件で、戦争の当事国に対しても軍事物資の輸出が行えるようになった。

条文だけを解釈すればドイツにも取引の機会を与えてしまうことになるが、ドイツ商船がイギリス海軍の警戒をくぐり抜けてアメリカとの安定した航路を維持することなど非現実的であり、実質的には連合国(イギリス、フランス)側への援助を約束したも同様であった。

1941年3月には、孤立主義の議員らの反対活動は実らずにレンドリース法が設置され、アメリカ政府は支援国(フランス、イギリス、中国、ソビエト、カナダその他同盟国)に武器等の供給ができるようになリ、8月には、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトと、イギリス首相ウィンストン・チャーチルにより、ナチスとの戦いとその後の平和的指針を示した大西洋憲章が調印された。ルーズベルト大統領は9月、「防衛を必要とする海域において」ドイツとイタリアの船を攻撃するよう命令し、10月には駆逐艦ルーベン・ジェームズが撃沈された。

このことにより、11月には中立法の多くの条が廃止され、商船も武装できるようになり、また戦争状態にある国に対する軍事物資の輸出規制は撤廃された。

この中立法に関しては、孤立主義の筆頭であった共和党出身の政治家からも批判の声が上がった。ハミルトン・フィッシュ3世やジョセフ・w・マーチン、イーディス・ロジャース議員らはワシントン決議(HJ242号、1937年3月1日)において、この中立法は「中立を守るために」や「和平実現のために」といった枕詞を使って大統領が議会から宣戦布告の権限を取り上げようとすることは許されないと前置きした後、中立法では大統領が勝手に敵国を認定し、大統領の判断だけで貿易を制限したり、禁輸するようなことは大統領の権限を上回る行為であり、戦争を起こす危険がある。これは議会の宣戦布告の権限を形骸化するものだ。として批判している。第二次世界大戦後、ハミルトン・フィッシュ3世は自身の著書で中立法によって禁輸やハルノートが行われたと考えている。

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 武器禁輸条項を撤廃、新中立法成立(『東京日日新聞』昭和14年11月5日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p401 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

参考文献[編集]

  • ハミルトン・フィッシュ 『ルーズベルトの開戦責任』 草思社文庫 2019年6月26日 ISBN 978-4794-22062-2