中村初恵

中村 初恵(Nakamura Hatsue)
1st.リサイタル@横浜みなとみらいホール
基本情報
別名 はっちゃん、ハーニャチカ
生誕 8月18日
出身地 日本の旗 日本 東京都
学歴 東京音楽大学 / 財団法人日本オペラ振興会オペラ歌手育成部マスターコース修了 / マリインスキー劇場研修所(The Academy of young singers)修了、及び、劇場ソリストとして所属 / ヴュルツブルク音楽院(ドイツ)に短期留学
ジャンル 音楽 クラシック音楽オペラ・歌曲
職業 歌手
担当楽器 ソプラノ
活動期間 2002年~現在
レーベル プラネティーレーベル 
公式サイト http://www.hatsue-music.jp
著名使用楽器
ピアノ(弾き語り)、アコーディオン
スズキ・メソードでのピアノ恩師、中高時代の合唱クラブ、三輪田学園音楽教師、マリインスキー劇場ラリッサ・ゲルギエワ

中村 初恵(なかむら はつえ、8月18日 -)は、日本のソプラノ歌手・ソーシャルアーティストである。声質はリリコ・コロラトゥーラ。東京室内歌劇場会員[1]東京都生まれ、埼玉県出身。

来歴・音楽歴[編集]

4歳よりスズキ・メソードピアノを習い、音楽に親しみながらも、陸上などのスポーツ、バトンなどのびのびと活発な少女時代を送る。中学より私立三輪田学園中学校・高等学校に入学。同高等学校を卒業。学園時代には、開成中学校・高等学校との合同混声合唱など、音楽活動が盛んな合唱部において、中高共に部長を務める。

東京音楽大学声楽科を経て、(財)財団法人日本オペラ振興会オペラ歌手育成部マスターコースを修了。2002年にモーツァルトレクイエム」ソプラノソロでソリストデビュー。ドイツ・レーゲンスブルクより来日の男声合唱団“レナーアンサンブル”と共演。オペラを中心に活動していたが、ロシア歌曲のCDを聴き、その美しさに衝撃を受けて勉強を始める。

その後、ロシアサンクトペテルブルクにあるロシア国立マリインスキー劇場専属研修生(The Academy of young singers)のオーディションの機会を得てロシアへ渡航。現地にてオーディションに合格。文化交流ビザにて同劇場に所属。コンサートに出演しながら研鑽を積む。

ロシア滞在中には、ロシアだけでなく フィンランドで開催される「国際オペラサマーアカデミー」に、2004年〜2006年マリインスキー劇場の選抜メンバーとして、参加。ディプロマ取得。数多くのコンサートに出演。師事していたグライル・ハネダニアン(元マリインスキー劇場ソリスト・現在作曲家)より、自身が作曲した「Ave Maria」を寄与された。主にマリインスキー劇場、及び、エルミタージュ美術館ホールでのオペラやコンサートに出演。ウィーン宮廷歌手のウィーン宮廷歌手のウラジーミル・アトランタフや、シベリウス音楽院 グスタフ・デュプシュバッカラリッサ・ゲルギエワ、**ウラジーミル・アトランタフや、シベリウス音楽院大学長のグスタフ・デュプシュバッカラリッサ・ゲルギエワ、**イレアナ・コトルバシュなどに師事。

国内では、学生時代よりコンサートやミュージカルに出演。岩田達宗氏の演出による「笠地蔵」タイトルロール、モーツァルト「フィガロの結婚」スザンナ役をはじめ、「ドン・ジョバンニ」ツェルリーナ役、「リゴレット」ジルダ役、「椿姫」ヴィオレッタ役、「雪娘(リムスキー=コルサコフ)」雪娘役、「皇帝の花嫁」マルファ役などを務める。ミュージカルでは、「オペラ座の怪人」クリスティーナ役、「ウェストサイドストーリー」マリア役を務める。国内においてピアノを和気葉子、武渕千枝子各氏に師事。声楽を小川順子持田篤、**中澤桂小泉惠子、山本真弓の各氏に師事。

ベートーベン「第九」ソリストを務めるほか、宗教曲をレパートリーとし、「フォーレレクイエム」、「モーツァルトレクイエム」、ヴィヴァルディ「グローリア ニ長調RV.589」、サンサーンス「クリスマス・オラトリオ」などの宗教曲のソリストを務める。バッハ「カンタータ」、「ソロカンタータ」、「世俗カンタータ」のソリストを長年にわたって務める。

帰国後は、2008年横浜みなとみらい小ホールにて1st.リサイタル「歌-祈り 中村初惠ソロリサイタル リムスキー=コルサコフ没後100年記念」開催される(主催:ブロッサム企画 共催:郵船トラベル株式会社)。

2009年より現在まで、「ロシア文化フェスティバル in JAPAN(ロシア外務省主催)」に出演、参画。

2010年、東京文化会館にてソロリサイタル「高みから舞う風のように」(主催:東京労音)開催。同時にCD「高みから舞う風のように」をリリース(プラネット・ワイ)。これまで、各地主要ホールにて多数のソロリサイタルが開催されている。

2011年 東日本大地震の後、被災地からのリクエストを受けて被災地にてボランティア演奏を行う。その後も、学校や仮設住宅など通い続けた。

2012年、アメリカ ニューヨークにて、音楽療育の研鑽を積む。同時に、カーネギーホールでのコンサートにゲスト出演。

2015年、ドイツ ヴュルツブルク音楽院に短期留学。バッハやヘンデル、ハイドンなどのバロック音楽を学ぶ。モニカ・ヴュルグナーに師事。音楽院内でのコンサートに出演。

2016年、ロシアへのトラベルツアーにて、ナビゲーターを務める(「中村初惠と行く音楽三昧の1週間」)。ロシア国立の由緒あるホール「ドム・アーヒテクトラ」でのコンサートに出演。

2017年、ロシア国立マリインスキー劇場のソリスト達と日本各地7公演で共演。在日ロシア連邦大使館での公演にも出演(「ロシア文化フェスティバル in JAPAN」による共催)。コンサートノートや歌曲の翻訳なども務めた。

2018年、ロシア サンクトペテルブルクにて毎年開催されている白夜の音楽フェスティバルにゲスト出演。ほか、コンサート出演。

2019年、ロシアマリインスキー劇場ソリスト、ミハイロフスキー劇場ソリストと共演。国内各地全9公演に出演。コンサートノートや歌曲の翻訳なども務めた。

現在は、歌手としての幅広いレパートリーで多方面で活動。朗読家としても活躍の場を広げる傍ら、ロシア歌曲分野におけるスペシャリストとして、ロシア歌曲やロシアオペラを日本に広める活動を続けている。『音楽現代』などの音楽誌にインタビュー掲載多数。「ロシア検定」の【音楽】を担当し、60ページにわたり執筆。障碍を持つ子どもたちや、支援センターなどでの音楽療育にも力を注ぐ。           

人物[編集]

合唱からソリストへ[編集]

両親の影響で幼いころから音楽、歌が大好きで、ピアノを続けていた。同時に、陸上やバトン部に所属するなど、活発な少女時代を過ごしていた。中学高校でもバトンや陸上を続けたかったそうだが、入学した学校にはバトン部がなかった。学内の様々な部活を見学したところ合唱の魅力にひかれ、入部。ハーモニーの美しさに感動し、合唱に打ち込んだ。中学高校の年月は、現在の音楽活動に大きな影響を与える6年間となる。中学2年生の頃に薬の副作用から体の病気を患って通院。3年間ほど学校に半分ほどしか通えないつらい時期を過ごした。その間にもよき友人や先輩・後輩、先生に恵まれ、音楽部では、中学・高校共に部長を務める。中学3年生のときに合唱で小さなソロを歌い、それがきっかけで高校時代の音楽の恩師から音大の受験を勧められた。自分を助けてくれた音楽に恩返しをしたい、との強い想いから音大受験を決意。高校一年生から声楽の勉強を始めた。小学生の頃からジャーナリストや弁護士として世界の平和のために活動したいという夢を持っていた中村初惠は、ソリストとなってチャリティーコンサートを開き、笑顔いっぱいの社会にしたいとの夢を叶えることを決意した(HP、会報誌「ハーニャチカ」、コンサート内の本人談話など参考)。                                     

留学・葛藤[編集]

大学でのオーディションや国内のコンクールに挑んだが、一次選考で落とされることもあり、難しい世界に不安を抱えていた。大学卒業後はイタリアオペラを中心に学ぶが、日本の歌、宗教曲、ミュージカル音楽、映画音楽などの音楽に合う声質を持つことを恩師より指導され、オペラと同時に様々な曲を学ぶ。ソリストとしてデビューしてからのある日、音楽活動をする中でロシア歌曲に出会う。音楽の美しさ、詩の深さに魅力を感じ、ほぼ独学でロシア語を学び始める。その後、現地にてロシア国立マリインスキー劇場のオーディションを受ける機会を得て留学を決意。劇場にて研鑽を積みながら、コンサートに出演。現在に至るまで日本でロシア音楽を紹介し、日露の文化交流に貢献している。

転機[編集]

2003年、ロシア国立マリインスキー劇場専属研修生のオーディションの機会を得て現地にて受験。世界の劇場でも5本の指に入ると言われるこの劇場のオーディションに合格したことは、中村初惠にとって大きな転機となった。劇場では、コレペティートゥアの指導や劇場ソリストや講師陣による歌唱指導のほか、演劇・ダンス・フェンシング・独伊英仏の語学指導など、オペラ歌手として必要な指導を日々学んだ。毎日の研鑽や演奏を重ねる中で得た国際的な芸術家や歌手たちとの出会い、劇場でのオペラ出演やコンサート出演の経験は、掛け替えのない時間となった。そして、国際コンクールでの受賞や一流の指導人、特に憧れの存在だったイレアナ・コトルバシュや指揮者ヴァレリー・ゲルギエフ、ウラジーミル・アトランタフ、ラリッサ・ゲルギエワ(指揮者ゲルギエフの姉)から得た指導や言葉は、彼女の音楽活動に大きな影響を与え続けている。

主要公演記録[編集]

  • 2002年 モーツァルトレクイエムソプラノソロにてソリストデビュー(彩の国芸術劇場、久保田洋指揮)。ドイツ・レーゲンスブルクより来日したア・カペラ男声アンサンブル「レナー・アンサンブル」と共演。
    • オペラフィガロの結婚スザンナ役でオペラデビュー(八王子市芸術文化会館、全幕・オーケストラ、角武史指揮)
    • 日本初演のオペラ「笠地蔵」(松井和彦作曲)に地蔵役で出演(中野ゼロホール。岩田達宗による演出)
  • 2004年 * フィンランドのミッケリにて開催「サマーオペラアカデミー」、及び、「オペラフェスティバル」にマリインスキー劇場からの選抜にて出演。
  • 2004ー2006年 フィンランドのサヴォリンナ城で開催「サマー音楽祭」に出演。指揮者ゲルギエフと共演。
    • モーツァルトレクイエムソプラノソロ出演。サンアゼリア大ホール:和光市文化振興公社
    • フィガロの結婚スザンナ役出演(全幕・オーケストラ)。浦安市民文化会館大ホール。
    • 豊洲ららぽーとプロデュースオペラ座の怪人クリスティーヌ役で出演。米国人歌手と共演。
    • 日本財団コンサート「ランチコンサート」、及び、「夜のコンサート」に連続出演。日本財団主催・日本財団ビル内にて開催。
  • 2007年 サロンホールでのソロコンサートに出演(茗荷谷ラ・リールにて3か月に1度、フロレスタン株式会社主催)
    • グリエール「コロラトゥーラソプラノのための協奏曲」ソプラノソロ出演。大田区アプリコ大ホール・オーケストラ「ダヴァイ」主催。
    • 東京室内歌劇場 新人コンサートに出演(上野旧奏楽堂)。その後、東京室内歌劇場主催のオペラやコンサートに多数出演(演出・指揮:青島広志の舞台やオペラ「星の王子様」世界初演など)
  • 2008年 青島広志版「フィガロの結婚」3公演に出演。東京FMホール・東京室内歌劇場主催。
    • 日本初演星の王子様に出演(アルベルト・カルーソ作曲・栗山昌良演出、紀尾井ホール/2回公演・東京室内歌劇場主催)。
    • 中村初恵1st.リサイタル『 歌—祈り ~リムスキー=コルサコフ没後100年にちなんで~ 』が開催される(横浜みなとみらいホール小ホール・主催:フロレスタン・中村初惠リサイタル事務局 スポンサー/郵船トラベル株式会社 後援:ロシア連邦大使館)
  • 2009年 「ロシア文化フェスティバル IN JAPAN 2009年」に初出演(ロシア連邦外務省などの主催による日ロ文化交流の主要イベント。ロシア組織委員長はロシア連邦大統領府長官のS.ナルイシュキン、日本組織委員長は衆議院議員・元首相の羽田孜
  • 2009年よりロシア文化フェスティバル IN JAPAN(現日本組織委員長高村正彦(自由民主党副総裁)に携わり、参画している。
  • 2010年 「ロシア文化フェスティバル IN JAPAN 2009年」公式プログラム<グレゴリー・セドフリサイタル>に出演(ヤマハホール)。
    • にほんのうたコンサート(日比谷公会堂)に出演。
    • 東京文化会館デビューリサイタル【高みから舞う風のように】が開催される。
    • 1st.ソロ・アルバム【歌-祈り】がプラネティーレーベルにより発売される。リサイタルのライブによる12曲を収録。ロシア歌曲が中心に収録された日本では珍しいアルバムである。ロシア歌曲詩訳も中村初恵本人による。
  • 2011年 東日本大震災ののち、『星々の音楽隊』を結成。アーティスト50名を集め、都内各所で数回にわたりチャリティーコンサートを開催。
    • 東日本大震災同年の5月・7月、現地の方からの呼びかけで被災地避難所へ出向き、ボランティア演奏。以降、たびたび訪れ、小学校での演奏、仮設住宅での演奏をはじめ、リユースした楽器を贈る活動を続ける。{[釜石]、[宮古市]など沿岸部数ヵ所の100ヶ所以上の避難所を訪れ演奏した。) 
  • 2011年**東京文化会館にてみつとみ俊郎レクチュア&コンサート「健康と音楽」出演。
  • 2011年 **杉並公会堂中村初恵ソロコンサート「歌はすべての壁を超えて」開催(プラネットワイ主催)。

ピアノ:安達朋博 ゲスト出演:池山由香(アルパ)、古舘由佳子(ジプシーバイオリン)

  • 2012年-2013 NYで音楽療育・音楽知育について学ぶ。(現在も療育講師、療育アドバイザー・知育アドバイザーを務める)

日本初演ソープオペラ「Love Triangle」に出演。

  • 2015年 *ドイツ **ヴュルツブルク音楽院に短期留学。バッハやヘンデル、ハイドンなどのバロック音楽を学ぶ。モニカ・ヴュルグナーに師事。音楽院内でのコンサートに出演。
  • 2016年ロシアへのトラベルツアーにて、ナビゲーターを務める(「中村初惠と行く音楽三昧の1週間」)。ロシア国立の由緒あるホール「ドム・アーヒテクトラ」でのコンサートに出演。
  • 2018年サンクトペテルブルクにて毎年開催されている白夜の音楽フェスティバルにゲスト出演。ほか、コンサート出演。
  • 2019年 ロシアマリインスキー劇場ソリスト、ミハイロフスキー劇場ソリストと共演。国内各地全10公演に出演。コンサートノートや歌曲の翻訳なども務め

た。 

受賞歴[編集]

  • 2004年「第6回国際リムスキーコルサコフ オペラコンクール」 
    • ディプロマ 及び、リムスキー=コルサコフ特別賞受賞。取材を受け、演奏などがTVで大きく放映された。ヨーロッパでは特別な意味を持つ「13番」の受験番号をひいたにも関わらず、シンデレラとなった日本人歌手としても話題になり、新聞やTVから多くの取材を受けた。(VI International Rimsky-Korsakov Young Opera Singers´ Competition)。
  • 2005年「第4回エレーナ・オブラスツォワ 国際オペラコンクール」 
  • 2006年「名演奏家コンクール」(全日本演奏家協会主催) 最優秀賞受賞(第2位不在)

ディスコグラフィー[編集]

  • 【 歌-祈り ~ Песня-Молитва ~】中村初恵ソプラノリサイタル(2010年9月1日発売)

著作[編集]

  • 2008年 書籍「みんなの未来の仕事」"声楽家"ページを担当し執筆。写真と共に掲載(学研ホールディングス(旧・学習研究社))。
  • 2011年 構想日本(JAPAN INTIATIVE)メールマガジン、2011年7月7日号に「祈りをこめて、被災地へ」記事掲載。
  • 2016年 「ロシア検定」(国際知識普及協会)テキスト『音楽』を60ページにわたり担当・執筆[2]
  • 2016年 コラム「はっち先生、音楽療育の現場より“音楽はすべての壁を超えて”」一般社団法人青少年自助自立支援機構発行「コンパスナビ」へ特別寄稿、連載終了。第4回[3]
  • 2017年 「音楽現代」(現代音楽社出版)インタビュー記事に掲載。
  • 2018年「音楽現代 10月号」(現代音楽社出版)、中村初恵執筆のコンサート後記が掲載。
  • 2018年渋沢栄一記念財団「青淵」9月号に寄稿。
  • 2019年「音楽現代 9月号」(現代音楽社出版)インタビュー記事に掲載。

収録・掲載[編集]

  • 2004年 JRA(日本中央競馬会)50周年記念DVDでのイメージソング、BGMを担当。
  • 2008年 一条ゆかり原作・金子修介監督の映画「プライド」の主人公オペラアリアの歌唱吹き替え。
  • 2008年 竹浪明監督の映画「のら暦 *ねこ休みネコ遊ビ*」の主題歌(佃良次郎作曲)、挿入歌を担当。UPLINKよりDVD発売。 
  • 2009年 フジテレビ 「ハピふる」の<益田由美のとうきょう歩き>にて、コンサートでのインタビューや演奏が放映(午前9時55分~11時25分)。
    • 2009年 みつとみ俊郎Pod Cast第一回目のゲストで出演。
  • 2010年 J:COMの全国ネット生放送番組『つながるセブン』に出演。小倉淳さん司会。
  • 2012年 「東武新聞」2012年1月24日号『著名な若手指揮者と声楽家たち!』掲載
  • 2014年 「ロシアの声」(ロシア国営ラジオ日本語放送)のインタビューを受け、出演。
    • 銀座FM「ソラトニワ銀座」ゲスト出演。パーソナリティー:小高千枝
  • 2015年 「音楽現代」(芸術現代社出版)より取材を受け、インタビュー記事1ページ掲載[4]
    • 「音楽現代」コンサート講評にソロリサイタルの評論が掲載(福田滋 執筆)[5]
    • 「MOSTLY CLASSIC」(産経新聞社出版)より取材を受け、インタビュー記事1ページ掲載[6]
    • 2017年 「音楽現代」(芸術現代社出版)[7]
    • 2017年「日経ベリスタ」(日本経済新聞社)コンサート記事掲載。
    • 2017年 「日本経済新聞」コンサート記事掲載。
  • TBS「ピラミッドダービー」出演。
    • 2018年 「音楽現代」(芸術現代社出版)[8]
    • 2018年「青淵」(渋沢栄一財団)[9]
    • 2019年「MOSTLY CLASSIC」(産経新聞社出版)インタビュー記事掲載[10]
  • NHKロシア語講座テキスト「まいにちロシア語」にコンサート情報など掲載。
    • 「佛教タイムズ」より、「インドの子ども達への楽器支援」への取り組みに関する取材を受け、インタビュー記事掲載。  

著作[編集]

  • 2008年 書籍「みんなの未来の仕事」"声楽家"ページを担当し執筆。写真と共に掲載(学研ホールディングス(旧・学習研究社))。
  • 2011年 構想日本(JAPAN INTIATIVE)メールマガジン、2011年7月7日号に「祈りをこめて、被災地へ」記事掲載。
  • 2016年 「ロシア検定」(国際知識普及協会)テキスト『音楽』を60ページにわたり担当・執筆[2]
  • 2016年 コラム「はっち先生、音楽療育の現場より“音楽はすべての壁を超えて”」一般社団法人青少年自助自立支援機構発行「コンパスナビ」へ特別寄稿、連載終了。第4回[3]
  • 2017年 「音楽現代」(現代音楽社出版)インタビュー記事に掲載。
  • 2018年「音楽現代 10月号」(現代音楽社出版)、中村初恵執筆のコンサート後記が掲載。
  • 2018年渋沢栄一記念財団「青淵」9月号に寄稿。
  • 2019年「音楽現代 9月号」(現代音楽社出版)インタビュー記事に掲載。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ the tokyo chamber opera theatre
  2. ^ a b 武田洋平編「ロシア検定 テキストブック」国際知識普及協会発行、2016年5月、pp.135-206
  3. ^ a b The 音楽療育!!~音楽はすべての壁を超えて~④はっち先生、コンサートで歌う!音楽療育を通して出会った人々と音楽
  4. ^ プレビュー・インタビュー「中村初惠ソプラノ・リサイタル ~高みから舞うやさしい風のように~」訊き手=横谷貴一(芸術現代社「音楽現代」2015年3月号 Vol.45, No.3, pp.29)
  5. ^ 演奏会批評「中村初惠 ソプラノ・リサイタル」福田滋(芸術現代社「音楽現代」2015年5月号 Vol.45, No.5, pp.152)
  6. ^ STAGE 「ソプラノ・ソーシャルアーティスト 中村初惠」(産経新聞社「MOSTLY CLASSIC」2015年4月号 No.215, pp.107)
  7. ^ マリインスキー劇場ソリストと共演の国内コンサートツアー「中村初恵と仲間たち」、取材による記事掲載。(芸術現代社「音楽現代」2017年9月号)
  8. ^ 【白夜に響いた日本の歌曲たち〜日露の架け橋 中村初恵〜】へ寄稿。(芸術現代社「音楽現代」2018年10月号pp.131〜132)
  9. ^ 【東西南北】へ3ページにわたり寄稿。(渋沢栄一財団「青淵」第八三四号 2018年9月号
  10. ^ STAGE 「ソプラノ・ソーシャルアーティスト 中村初惠」(産経新聞社「MOSTLY CLASSIC」2019年9月号 No.268, pp.98)

 

外部リンク[編集]