中川貞長

 
中川貞長
時代 江戸時代
生誕 慶長20年6月2日1615年6月27日[1]
死没 延宝5年10月12日1677年11月7日[1]
別名 堤貞長
戒名 乾徳院雪峯空雲[1]
官位 正四位下縫殿頭
主君 後水尾天皇明正天皇後光明天皇後西天皇霊元天皇
氏族 堤家
父母 父:中川貞秀
兄弟 甘露寺時長甘露寺嗣長中川貞長
中川業長堤輝長、娘(稲葉正則室)、娘
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中川 貞長(なかがわ さだなが)は、江戸時代公家公卿堤家当主。

生涯[編集]

1615年元和元年)に正親町三条公仲の子である中川貞秀の三男として生まれる[2]右兵衛佐甘露寺豊長の息子として生まれたとする説もある[3]が、豊長の没年(1606年)と合致しない)。

公家の名家である堤家の家祖とされており、貞長の息子である堤輝長によって家名を「堤」と改称した[4]

1677年延宝5年)、死去。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 系図纂要』第4冊 下(名著出版、1992年)p.809
  2. ^ 系図纂要』第4冊 下(名著出版、1992年)p.809
  3. ^ 『諸家伝』
  4. ^ 1988年『公卿諸家系図 増補諸家知譜拙記』