世良田東照宮

世良田東照宮


鳥居と拝殿

地図
所在地 群馬県太田市世良田町3119番地1
位置 北緯36度15分43.02秒 東経139度16分31.61秒 / 北緯36.2619500度 東経139.2754472度 / 36.2619500; 139.2754472座標: 北緯36度15分43.02秒 東経139度16分31.61秒 / 北緯36.2619500度 東経139.2754472度 / 36.2619500; 139.2754472
主祭神 徳川家康公
社格 郷社
創建 寛永21年(1644年)
本殿の様式 一間社流造
例祭 4月17日
テンプレートを表示

世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)は、群馬県太田市世良田町にある神社である。「東照大権現」としての徳川家康を祭神とする東照宮の1つである。1617年元和3年)に駿河国久能山久能山東照宮)より下野国日光日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、1644年寛永21年)に上野国世良田へ移築し、創建された。太田市内の他の社寺、館跡とともに「新田荘遺跡」として国の史跡に指定されている。

歴史[編集]

この地は新田氏の開祖・新田義重の居館跡とされ、隣接する長楽寺は義重の供養塔もあり、歴代新田氏本宗家惣領が厚く庇護を与え、大いに栄えていた。関東に入った徳川氏は、新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称していたため、徳川氏ゆかりの地ともされた。

寛永21年(1644年)、3代将軍徳川家光の命により、徳川氏の遠祖の世良田義季の墓があり、天海僧正が住職をしていた長楽寺の境内に創建された。歴代徳川将軍から信仰され、江戸時代は大いに栄えた。明治8年(1875年)、神仏分離によって長楽寺から分離し、明治12年(1879年)に郷社に列格した。

社殿[編集]

社殿は、創建の際に日光東照宮の古社殿を移築したもので、一間社流造の本殿、入母屋造の拝殿、唐門は国の重要文化財に指定されている。他に、元和4年作の大鉄燈籠等が重要文化財の附(つけたり)指定となっている。

文化財[編集]

拝殿

重要文化財[編集]

建造物

  • 本殿 (附 厨子及び須弥壇、鉄燈籠、棟札7枚) - 江戸時代前期(1644年)の建立。一間社流造、銅瓦葺。昭和31年(1956年)06月28日指定。
  • 唐門 - 江戸時代前期(1644年)の建立。四脚平唐門、銅瓦葺。昭和31年(1956年)06月28日指定。
  • 拝殿 - 江戸時代前期(1615年-1624年)の建立。桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、前後軒唐破風付、銅瓦葺。昭和31年(1956年)06月28日指定。

工芸品

  • 太刀(銘了戒)(附 銀造沃懸地太刀拵) - 後水尾天皇より日光東照宮に寄進されたと伝えられるもので、天海大僧正の発願により、徳川氏が先祖ゆかりの地とした世良田に、日光東照宮の旧奥社拝殿を移築した際に移されたもの。刀身は、作刀者「了戒」銘のある、長さ72.7cm、反り2.5cm、目釘穴一個、刃文は直刃、地鉄は柾目がかかった小杢目で小沸。作刀者の了戒は、正応から永仁の頃(13世紀末期)に活躍した山城 (京都)の刀工で、鎌倉時代中期から南北朝にかけて活躍した刀工諸派来派の来国俊の子または弟子といわれます。拵は全長1m弱、金具は銀磨地で、鞘は革下地で金の沃懸地、菊御紋散 しの蒔絵を施したものです。大正10年(1921年)04月30日指定。

交通[編集]

倉賀野宿中仙道から分岐する日光例幣使街道の境宿と木崎宿のほぼ中間地点にある。

自動車[編集]

電車[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]