三辻富貴朗

三辻富貴朗(みつじ ふきお、1960年[1]8月6日[2] - 2008年12月11日)は日本のゲームデザイナー東京都港区出身。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。

略歴[編集]

タイトーに入社、アーケードゲームの企画・ディレクション・グラフィックを担当。関与したタイトルでは、スタッフロールや初期状態でのスコアランキングに「MTJ」という名称を用いていた。スタッフロールでは本名を併記することもあった。

バブルボブル』や『レインボーアイランド』、『サイバリオン』といったヒット作を生みだした。その傍ら、雑誌「ゲーメスト」において、No.30(1989年3月号)より水谷潤名義で「ゲームデザイナー入門」を連載。一年間に渡り、現役のゲームデザイナーが制作手法を公開するという、当時としては異例の記事となった。

タイトー退社後、UPLで『オメガファイター』開発[3]を経て、フリーランスとして活動。1994年頃にヒューマンクリエイティブスクールで講師を務め、その後かねてより開講していたゲームデザイナー志望者向けの私塾を発展させ、MTJゲームデザイナーズスクールを2000年に設立。校長・講師として後進の指導に当たっていた。

2005年に海外でのみ販売された『Taito Legends英語版』には、三辻のインタビュー動画が多数収録されており、そこで自らはゲーム制作から退き、人材育成に専念していることが語られていた。

2008年12月11日、腎臓疾患により胸水がたまり、心肺停止となり死去[4]。48歳没。

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ MTJゲームデザイナーズスクールへようこそ”. 2009年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月4日閲覧。
  2. ^ ★えむてぃーじぇー★さん | 8月になると思い出すこと”. mixi (2005年8月2日). 2014年12月5日閲覧。
  3. ^ 見城こうじ(シナプティック・ドライブ発売中) [@KenjohKohji] (2013年6月6日). "#4 『オメガファイター』は三辻さんがタイトーを辞めてすぐUPLで作った作品です。三辻さんはタイトーからUPLを経てフリーランスになられたと記憶していますが、正確なところUPLで社員として仕事をされていたのか僕は知りません。フリーランスとして期間契約をされていたのかもしれません。". X(旧Twitter)より2021年5月26日閲覧
  4. ^ [mixi] BUBBLE BOBBLE バブルボブル wii | MTJさんが亡くなりました”. mixi (2009年1月7日). 2014年12月5日閲覧。

外部リンク[編集]