ヴィタリー・グロマツキー

ヴィタリー・アレクサンドロヴィチ・グロマツキーロシア語: Вита́лий Алекса́ндрович Грома́дскийVitalii Aleksandrovich Gromadsky, ウクライナ語: Віталій Олександрович Громадський1928年12月10日 - )はソビエト連邦バス歌手ウクライナに生まれロシアで活躍した。ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国功労芸術家1979年授与)。1964年よりソビエト連邦共産党党員。

1961年モスクワ音楽院を卒業する。在学中の1960年ベルリンで開催されたロベルト・シューマン国際音楽コンクールに出場し優勝している。1961年から1988年までモスクワ・フィルハーモニー協会のソリストを務めた[1][2]

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ交響曲第13番『バビ・ヤール』の初演(1962年12月18日)の際の独唱者として広く知られている。当局の圧力により、独唱を依頼したバス歌手に断られ、初演を承諾した歌手も当日のゲネプロに現れず[3]、結局、代役に用意されていたグロマツキーが会場入りできたため、初演者として記録されることとなった。

ショスタコーヴィチ作品では、1964年の『ステパン・ラージンの処刑』でも初演時の独唱を務めているが、この時も交響曲の場合と同様に、予定されていたバス歌手のゲネプロ不参加[4]により初演者となっている。

脚注[編集]

  1. ^ 現代ウクライナエンサイクロペディア
  2. ^ ファーイ『ある生涯』p.567では「モスクワ交響楽団のソリスト」とされている。
  3. ^ ボリス・グムイリャロシア語版は早々に辞退し、ヴィクトル・ネチパイロロシア語版は理由不明ながら当日欠席した(ファーイ『ある生涯』p.286,290-292)。
  4. ^ イヴァン・ペトロフ (バス歌手)ロシア語版が気分がすぐれないという理由で欠席(森田稔『ステパン・ラージンの処刑』p.58)。

参考文献[編集]