ローレンス・コリングウッド

ローレンス・アーサー・コリングウッド(Lawrance Arthur Collingwood, 1887年3月14日 - 1982年12月19日)は、イギリス出身の指揮者作曲家[1][2]

ロンドンの生まれ。ギルドホール音楽学校を経てエクセター大学を1911年に卒業後、1912年からロシアに遊学し、ニコライ・チェレプニンマクシミリアン・シテインベルクに音楽を学ぶ。その後、マリインスキー劇場アルバート・コーツの助手を務めたが、1917年にロシア革命のために帰国し、1919年までウィンストン・チャーチルロシア語通訳として働いた。

1920年からロンドンのオールド・ヴィック劇場の指揮者となり、1931年にはサドラーズ・ウェルズ劇場の首席指揮者に就任した。1933年にはリムスキー=コルサコフの《皇帝サルタンの物語》、1935年にはムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》原典版をイギリスに紹介している。1941年には同劇場の音楽監督に昇格している。また、指揮者としての仕事と並行して録音プロデューサーも務め、1938年から1974年までEMIの音楽顧問を務めた。1946年にサドラーズ・ウェルズ劇場の指揮者を辞任し、1948年にCBEを受勲している。

作曲家としても作品を残し、オペラ《ティンタギレスの死》(1950年)やピアノ協奏曲、いくつかの室内楽曲がある。

キリン英語版にて死去。

脚注[編集]

  1. ^ Naxos
  2. ^ bach-cantatas.com