ローレンス・オリヴィエ

Sir Laurence Kerr Olivier, Baron Olivier, OM
ローレンス・オリヴィエ
ローレンス・オリヴィエ
1939年に撮影
本名 Laurence Kerr Olivier
生年月日 (1907-05-22) 1907年5月22日
没年月日 (1989-07-11) 1989年7月11日(82歳没)
出生地 イギリスの旗 イギリス イングランドの旗 イングランドサリー
職業 俳優映画監督
配偶者 ジル・エズモンド(1930年 - 1940年)
ヴィヴィアン・リー(1940年 - 1960年)
ジョーン・プロウライト(1961年 - 1989年)
主な作品
レベッカ』(1940年)
ヘンリィ五世』(1945年、兼監督)
ハムレット』(1948年、兼監督)
リチャード三世』(1955年、兼監督)
スパルタカス』(1960年)
探偵スルース』(1972年)
マラソンマン』(1978年)
 
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1948年ハムレット
名誉賞
1946年ヘンリィ五世』の製作・監督・演技で示した才能に対して
1978年 作品全体とキャリア全体におけるユニークな業績、そして映画芸術への貢献に対して
ヴェネツィア国際映画祭
金獅子賞
1948年『ハムレット』
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(国際賞)
1956年リチャード三世
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演男優賞
1946年『ヘンリィ五世』
1948年『ハムレット』
1972年探偵スルース
AFI賞
映画スターベスト100
1999年(男優部門第14位)
アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100(悪役第34位)
2003年『マラソンマン
英国アカデミー賞
英国男優賞
1955年リチャード三世
助演男優賞
1969年素晴らしき戦争
フェローシップ賞
1975年
エミー賞
男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
1960年『月と六ペンス
1973年『夜への長い旅路』
1975年『恋の旅路』
1984年『リア王』
助演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
1982年『華麗なる貴族』
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1948年『ハムレット』
助演男優賞
1976年マラソンマン
外国語映画賞
1948年『ハムレット』
1955年『リチャード三世』
セシル・B・デミル賞
1983年
ゴールデンラズベリー賞
最低主演男優賞
1982年『インチョン!
最低助演男優賞
1980年『ジャズ・シンガー
ローレンス・オリヴィエ賞
特別賞
1979年
その他の賞
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ブライトンのオリヴィエ男爵ローレンス・オリヴィエ(Laurence Kerr Olivier, Baron Olivier of Brighton OM, 1907年5月22日 - 1989年7月11日)は、イギリス俳優映画監督一代貴族アカデミー賞を受賞し、シェイクスピア俳優としても有名。20世紀の名優として多くの映画人から称賛される。本名はローレンス・カー・オリヴィエ(Laurence Kerr Olivier)。愛称はラリー(Larry)。3度の結婚歴があり、妻の一人にはヴィヴィアン・リーがいる[1]

生涯[編集]

寄席芸人』(1960年)の宣材写真

サリーのドーキングに生まれる。父はイングランド国教会牧師であったジェラルド・カー・オリヴィエ[2]。のちにオリヴィエは自伝において「上品だが貧しく、野心を抱くには最も適した環境に育った」と記している。3歳の時にロンドンへ移り、母の希望で9歳でオール・セインツ教会聖歌隊に所属し、音楽を学ぶかたわら演技の勉強もした[3]。12歳で母を病気で亡くす。1921年オックスフォードのセント・エドワーズ・スクールに学び、1922年にはオリヴィエの最初のシェイクスピア劇出演となる聖歌隊の公演である『じゃじゃ馬ならし』でケイト役に扮し、続いて1923年に学校劇で『夏の夜の夢』のパック役を演じて大成功を収める。この頃から俳優になることを決心し、また貧しい家庭環境で息子が世に出るには演劇の道しかないと判断した父親から風呂の中で「お前は俳優になるのだろう?」と言われたこともあり、1924年に17歳でロンドンのセントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマに入学した[4]

1925年にプロとしてスタートを切り、同年の秋にブライトンのヒポドローム劇場での『幽霊列車』で初舞台。1926年バーミンガムのバーミンガム・レパートリー・シアターの『農夫の妻』の巡業に参加し、そのまま同劇団と契約する[5]。最初は端役しか貰えなかったが、後に『ハムレット』や『マクベス』の古典劇から新作劇まで数々の舞台をこなし、舞台俳優として着実に実績を重ねていく。この頃には生涯の友となるラルフ・リチャードソンと出会う。

1928年にフリーに戻り、1929年に『三階の殺人』のニューヨーク公演にも参加する。

1930年ドイツウーファ社の『The Temporary Widow』にて映画デビュー、また同年には女優のジル・エズモンドと2年間の交際が実って結婚する。結婚後出演したノエル・カワードの舞台劇『私生活』がヒットし、ブロードウェイに進出。1931年、ブロードウェイ公演終了後にハリウッドへ呼ばれ、『Fred and Lovers』など3作品に映画出演、2年近く滞在することになった。

1933年に帰国し、ロンドンの舞台に復帰する。1937年には映画『無敵艦隊』で共演したヴィヴィアン・リーと恋に落ち、人目を忍ぶ仲がしばらく続いた。同年にシェイクスピア劇の本拠オールド・ヴィック・シアターに加わり、『ハムレット』や『十二夜』の舞台が成功したのを機にスター俳優としての声価も確立するようになる。1938年に『嵐が丘』の撮影のため渡米。撮影の合間に『風と共に去りぬ』の映画化が決定したことから、スカーレット・オハラ役を熱望していたリーを呼び寄せて製作者のデヴィッド・O・セルズニックに紹介する。

1940年8月に『美女ありき』の撮影中にエズモンドとの離婚が成立、撮影終了後に晴れてリーと再婚し、帰国する。

帰国後は海軍に志願、航空隊のパイロットとして海軍に在籍中の1943年に、命じられて国威発揚映画『The Demi-Paradise』と『ヘンリィ五世』を監督・主演。特に『ヘンリィ五世』はシェイクスピア劇の完璧な映画化と絶賛される。1944年にはラルフ・リチャードソンとともに、ドイツ空軍ロンドン爆撃で劇場が破壊されて以来、停止していたオールド・ヴィク座の再建に尽力。

終戦後はヨーロッパ各地やニューヨークに巡業し、批評家から絶賛される。これらの功績により、1947年ナイト位を授けられる。この年に製作・監督・脚色・主演した映画『ハムレット』が1948年度のアカデミー作品賞主演男優賞を受賞。名実共にイギリスを代表する名優にまでのし上がる。

しかし、私生活ではリーのニンフォマニアの症状と躁鬱病の発作に悩まされ続け、1957年に舞台や映画『The Entertainer』で共演した新進女優ジョーン・プロウライトとの生活に安らぎを見出して、ついに1960年にリーと離婚、プロウライトと再婚する(3度目にして最後)。1962年から1963年までナショナル・シアターのディレクターを務め、1970年には俳優として初めて一代貴族に叙され、「ブライトンのオリヴィエ男爵」となる[6][7]

1972年

1989年7月11日腎不全のため死去。墓所はウェストミンスター寺院。子供はエドモンズの間に1男、プロウライトとの間に1男2女を儲ける。アカデミー賞には、俳優として10回(主演賞9回、助演賞1回)ノミネートされ、特に主演賞9回ノミネートは、スペンサー・トレイシーと並んで歴代1位である。また、1947年1979年には名誉賞を受賞した。一方、『インチョン!』という迷作に関わってしまったために1982年にはゴールデンラズベリー賞の最低主演男優賞を受賞することとなった。1984年に自伝『一俳優の告白』を発表した。本人が最も気に入っている作品は、意外にも残忍なナチスの残党を演じた1976年の映画『マラソンマン』だという。

オリヴィエの死後に出版された伝記などには、オリヴィエがバイセクシュアルであった可能性が示唆されている[8]。3番目の妻であったジョーン・プロウライトは、オリヴィエは彼女との結婚前にダニー・ケイと関係を持っていたと仄めかしている[9]。また、俳優のデヴィッド・ニーヴンは、ある時オリヴィエとマーロン・ブランドがプールでキスしているところを目撃したと語っている[10]

主な出演作[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1935 勇気ある男
Moscow Nights
イヴァン・イグナトフ
1936 お気に召すまま
As You Like It
オーランドー
1937 無敵艦隊
Fire Over England
マイケル・インゴルビー
淑女は離婚がお好き
The Divorce of Lady X
エバラード・ローガン
1939 スパイは暗躍する
Q Planes
トニー
嵐ケ丘
Wuthering Heights
ヒースクリフ
1940 21日間
21 Days
ラリー
レベッカ
Rebecca
マクシム・ド・ウィンター
高慢と偏見
Pride and Prejudice
ダーシー
1941 美女ありき
That Hamilton Woman
ホレーショ・ネルソン
潜水艦轟沈す
49th Parallel
ジョニー
1944 ヘンリィ五世
Henry V
ヘンリー五世 製作・監督・出演
1948 ハムレット
Hamlet
ハムレット 監督・製作・脚本・出演
1952 黄昏
Carrie
ジョージ・ハーストウッド
1953 三文オペラ
The Beggar's Opera
マクヒース 製作・出演
1955 リチャード三世
Richard III
リチャード三世 製作・監督・出演
1957 王子と踊子
The Prince and the Showgirl
チャールズ大公 製作・監督・出演
1959 悪魔の弟子
The Devil's Disciple
ジョン・バーゴイン
1960 寄席芸人
The Entertainer
アーチー
スパルタカス
Spartacus
マルクス・リキニウス・クラッスス
1962 可愛い妖精
Term of Trial
グラハム・ウィアー
1965 バニー・レークは行方不明
Bunny Lake Is Missing
ニューハウス
オセロ
Othello
オセロー
1966 カーツーム
Khartoum
マフディー
栄光の座
The Shoes of the Fisherman
カメネフ
1969 素晴らしき戦争
Oh! What a Lovely War
ジョン・フレンチ卿
空軍大戦略
Battle of Britain
サー=ヒュー・ダウディング大将(空軍最高司令官)
さすらいの旅路
David Copperfield
クリークル氏 テレビ映画
1970 三人姉妹
Three Sisters
Ivan Chebutikin
1971 ニコライとアレクサンドラ
Nicholas and Alexandra
セルゲイ・ヴィッテ
1972 探偵スルース
Sleuth
アンドリュー
レディ・カロライン
Lady Caroline Lamb
アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)
1975 恋の旅路
Love Among the Ruins
Arthur Glanville-Jones テレビ映画
1976 マラソンマン
Marathon Man
クリスチャン・スツェル
シャーロック・ホームズの素敵な挑戦
The Seven-Per-Cent Solution
ジェームズ・モリアーティ教授
1977 遠すぎた橋
A Bridge Too Far
スパンダー
1978 ブラジルから来た少年
The Boys from Brazil
エズラ・リーベルマン
ベッツィー
The Betsy
ローレン・ハードマン
1979 リトル・ロマンス
A Little Romance
ユリウス
ドラキュラ
Dracula
エイブラハム・ヴァン・ヘルシング
1980 ジャズ・シンガー
The Jazz Singer
カンター・ラビノビッチ
1981 インチョン!
Inchon
ダグラス・マッカーサー
タイタンの戦い
Clash of the Titans
ゼウス
華麗なる貴族
Brideshead Revisited
Lord Marchmain テレビ・ミニシリーズ
1983 ミセス・アン/殺しのシナリオ
A Talent for Murder
トニー・ウェインライト テレビ映画
リア王英語版
King Lear
リア王 テレビ映画
ワーグナー/偉大なる生涯
Wagner
プフォイファー テレビミニシリーズ、5エピソードに出演
1984 わが父を巡る航海
A Voyage Round My Father
クリフォード・モーティマー テレビ映画
バウンティ/愛と反乱の航海
The Bounty
フッド提督
ジグソーマン
The Jigsaw Man
Sir Gerald Scaith
1985 ワイルド・ギースII
Wild Geese II
ルドルフ・ヘス
画家と美女と素敵な生活
The Ebony Tower
ヘンリー
1986 愛と戦いの日々 ロマノフ王朝 大帝ピョートルの生涯
Peter the Great
ウィリアム3世 (イングランド王) テレビ・ミニシリーズ
1988 ウォー・レクイエム
War Requiem
老兵士

受賞歴[編集]

部門 作品 結果
アカデミー賞 1939年 主演男優賞 嵐が丘 ノミネート
1940年 主演男優賞 レベッカ ノミネート
1946年 作品賞 ヘンリィ五世 ノミネート
主演男優賞 ノミネート
名誉賞 - 受賞
1948年 作品賞 ハムレット 受賞
監督賞 ノミネート
主演男優賞 受賞
1956年 主演男優賞 リチャード三世 ノミネート
1960年 主演男優賞 寄席芸人 ノミネート
1965年 主演男優賞 オセロ ノミネート
1972年 主演男優賞 探偵スルース ノミネート
1976年 助演男優賞 マラソンマン ノミネート
1978年 主演男優賞 ブラジルから来た少年 ノミネート
名誉賞 - 受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 1939年 演技賞 『嵐が丘』 受賞
1946年 男優賞 『ヘンリィ五世』 受賞
1978年 男優賞 『ブラジルから来た少年』 受賞
ヴェネツィア国際映画祭 1946年 国際賞 『ヘンリィ五世』 受賞
1948年 金獅子賞 『ハムレット』 受賞
イタリア批評家賞 受賞
ニューヨーク映画批評家協会賞 1946年 主演男優賞 『ヘンリィ五世』 受賞
1948年 主演男優賞 『ハムレット』 受賞
1972年 主演男優賞 『探偵スルース』 受賞
ゴールデングローブ賞 1948年 主演男優賞 『ハムレット』 受賞
1960年 主演男優賞 (ドラマ部門) スパルタカス ノミネート
1972年 主演男優賞 (ドラマ部門) 『探偵スルース』 ノミネート
1976年 助演男優賞 『マラソンマン』 受賞
1979年 助演男優賞 リトル・ロマンス ノミネート
1982年 セシル・B・デミル賞 - 受賞
英国アカデミー賞 1948年 総合作品賞 『ハムレット』 受賞
英国作品賞 ノミネート
1952年 英国男優賞 黄昏 ノミネート
1955年 総合作品賞 『リチャード三世』 受賞
英国作品賞 受賞
英国男優賞 受賞
1957年 英国男優賞 王子と踊子 ノミネート
1959年 英国男優賞 『悪魔の弟子』 ノミネート
1960年 英国男優賞 『寄席芸人』 ノミネート
1962年 英国男優賞 『可愛い妖精』 ノミネート
1969年 助演男優賞 『素晴らしき戦争』 受賞
1973年 主演男優賞 『探偵スルース』 ノミネート
1975年 フェローシップ賞 - 受賞
ボディル賞 1949年 非アメリカ映画賞 『ハムレット』 受賞
ナストロ・ダルジェント賞 1950年 外国監督賞イタリア語版 『ヘンリィ五世』 受賞
ベルリン国際映画祭 1956年 審査員特別賞 『リチャード三世』 受賞
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 1957年 外国男優賞イタリア語版 『リチャード三世』 受賞
1973年 外国男優賞 『探偵スルース』 受賞
カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭 1960年 男優賞 『寄席芸人』 受賞
BFIフェローシップ賞英語版 1985年 - - 受賞
ゴールデンラズベリー賞 1980年 最低助演男優賞 ジャズ・シンガー 受賞
1982年 最低主演男優賞 インチョン! 受賞

著書[編集]

参照[編集]

  1. ^ “往年の海外ムービースター 写真特集”. 時事ドットコム. https://www.jiji.com/jc/d4?p=oms012-000_SAPA990705713060&d=d4_ent 2020年7月10日閲覧。 
  2. ^ Olivier, Laurence (1985). Confessions of an Actor: An Autobiography. New York: Simon and Schuster. ISBN 0-671-41701-0 
  3. ^ All Saints Margaret Street: Music”. London: All Saints Church. 2010年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月26日閲覧。
  4. ^ Agee, James. "Masterpiece". James Agee: Film Writing and Selected Journalism New York: Library of America, 2005; ISBN 1-931082-82-0. pp 412–20. A review of Henry V, first published in Time (8 April 1946) and from there reprinted within Agee on Film, which is reprinted in toto within the newer book. The second part of this article is reproduced as Laurence Olivier Biography.
  5. ^ A short summary of Olivier's life, found on his official site, laurenceolivier.com
  6. ^ "No. 45117". The London Gazette (Supplement) (英語). 5 June 1970. p. 6365. 2007年12月18日閲覧
  7. ^ "No. 45319". The London Gazette (英語). 9 March 1971. p. 2001. 2011年9月23日閲覧
  8. ^ Coleman, Terry (2005). Olivier. Henry Hilt and Co.. ISBN 0805075364 
  9. ^ Filmbug Laurence Olivier Page
  10. ^ Thornton, Michael. TV & showbiz, Daily Mail, 1 September 2006. Retrieved on 2006 December 30.

外部リンク[編集]