ロジャー・コーツ

ロジャー・コーツ

ロジャー・コーツ(Roger Cotes 、1682年7月10日 - 1716年6月5日)はイギリス数学者である。

アイザック・ニュートンと密接に協力して研究した。『プリンキピア』の第2版を校正し、ニュートン・コーツの公式などを導いた。ケンブリッジ大学の初代のプルミアン教授職を1707年から没するまで務めた。

レスターシャー州のバービッジに生まれた。天文学を研究し、1707年に26歳でケンブリッジ大学の天文学実験物理学のプルミアン教授職に任じられると、トリニティ・カレッジ天文台を建設しようとした。しかし完成は彼の没後となり、さらに1797年に天文台は取り壊された。ニュートンと協力して、時計仕掛けで鏡が回転するヘリオスタット式の望遠鏡を設計した。ジョヴァンニ・カッシーニジョン・フラムスティードによる太陽惑星の運動表を再計算し、ニュートンの法則に基づいての運動の表の作成を試みた。1709年から1713年に『プリンキピア』第2版の校正をニュートンと3年半かけて行った。コーツの主な業績は数学、特に積分法対数数値解析の分野にあり、区分求積法に関するニュートン・コーツの公式に名前が残されている。1716年に33歳で病没した。

ニュートンはその死を惜しんで、If he had lived we would have known something.(彼が生きていれば、人類に重大な発見をもたらしていただろう[1])と述べた。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • マリオ・リヴィオ、千葉敏生(訳)、2017、『神は数学者か?: 数学の不可思議な歴史』、早川書房 ISBN 978-4-15-050507-3