ロイ・ジェームス

Roy James
ロイ・ジェームス
本名 出生名
ハンナン・サファ (Габделхәннан Сафа)
戸籍名
六条 祐道 1971年 - 1975年
湯浅 祐道 1975年 - 1982年
別名義 ストレート・ロイ
ロイ・H・ジェームス
生年月日 (1929-03-09) 1929年3月9日
没年月日 (1982-12-29) 1982年12月29日(53歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京市下谷区
(現・東京都台東区
国籍 トルコの旗 トルコ[1]
日本の旗 日本 1971年 取得
民族 タタール人
職業 タレント俳優コメンテーター
ジャンル 映画テレビ
活動期間 1953年 - 1982年
活動内容 1953年 日劇の司会でデビュー
1955年 映画界にデビュー
著名な家族 アイナン・サファ
主な作品
ラジオ
ロイ・ジェームスの意地悪ジョッキー
ロイ・ジェームスのミスタースポーツ
不二家歌謡ベストテン
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ロイ・ジェームスRoy James1929年3月9日 - 1982年12月29日)は、日本タレント俳優コメンテーターである。出生名はハンナン・サファ(タタール語: Габделхәннан Сафа)。1971年に日本国籍を取得し、六条 祐道に改名。1975年に結婚し湯浅姓となる。

人物・来歴[編集]

1929年3月9日東京市下谷区(現・東京都台東区)に生まれる。

出自は、ロシア革命後にロシアから日本へと亡命してきたいわゆるカザン・タタール人(カザン・トルコ人)である。父親のアイナン・ムハンマド・サファ(Ainan Muhammad Safa、1898年12月23日 - 1984年1月9日)は、ウラル山脈の西にある都市ペルミ出身で、戦後、東京回教寺院(現在の東京ジャーミイ)の導師イマームを勤めた経験もある人物。

旧制下谷区立竹町小学校(現在の台東区立平成小学校)、旧制郁文館工業学校(現在の郁文館中学校・高等学校)を経て1954年明治大学商学部商学科を卒業した。明大では野球部に在籍したが、秋山登土井淳が入学してきたためレギュラーをあきらめた。戦後、柔拳(柔道とボクシングの異種格闘技戦を見せる興行)に、ボクサーとして、「ストレート・ロイ」のリングネームで出場していたこともある。

大学在学中の1953年にタレントのE・H・エリックの紹介で、日劇ミュージックホール舞台で芸能界入り。エリック(実際は日本人とデンマーク人とのハーフ)とともに日本の「外国人タレント」(外タレ)の草分けとなった。その後は、1955年に成瀬巳喜男監督の『浮雲』に米兵役で出演したことを機に、映画俳優や放送タレントとして活躍、実際にロシア語を話せなかったので、べらんめえ調の達者な日本語を軽妙にこなし、数々のテレビやラジオなどで歯に衣着せぬ辛口トークを展開した。また、CMでも大いに活躍した。

1971年に日本国籍を取得して六条祐道を戸籍名とし、1975年湯浅あつ子との結婚に伴い湯浅と改姓する。あつ子は三島由紀夫の親しい友人として有名だった女性で、三島の著書『鏡子の家』のモデル。

1982年の春頃、体調不良を理由に芸能活動を休業、病気療養に専念する。しかし咽頭がん及び肺炎の併発により、同年末の12月29日に53歳で死去した。墓所は、多磨霊園の外国人墓地の一角のムスリム(イスラム教徒)墓地にある[2]。かつては名前と没年月日が印刷された木の墓碑が立っていたが、現在は黒い墓石となっている。

本名名義で馬主としても活動しており、結婚した年の1975年の第35回桜花賞に出走したイブサンなどを所有していた[3]

出演[編集]

映画デビュー作『浮雲

映画[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Shining a light on Turkish-Japanese ties (ジャパンタイムズ 2005年6月27日の英文記事)
  2. ^ ロイ・ジェームス 歴史が眠る多磨霊園
  3. ^ 「杉本清 競馬名勝負物語」(CBSソニー、1976年発売。現在廃盤)内の「テスコガビー物語」に収録されている第35回桜花賞本馬場入場時の実況アナウンスで確認可能である。
  4. ^ MBS競馬ヒストリー - 毎日放送公式ホームページ。2023年10月26日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]