ルーン (槍)

ルーン[1]ルインとも)は、ケルト神話に登場する武器であり、アイルランド古文学を代表する名槍である[2]。広くは「槍」の意味を持つ[3]が、特にアルスターの戦士「ケルトハル・マク・ウテヒル英語版」特有の槍をさす[3]ドゥフタフ[1]など、他人が使用する場合もやはり「ケルトハルのルーン」と称される。

ルーンは、その穂先をどす黒い液(血の煮液、毒液)に浸しておかないと柄が燃焼し、手に持つ人間を危険にさらすという特徴がある[2]

その由緒は、かつて長腕のルーの持っていた魔槍であり、のちにはコルマク・マク・アルト英語版上王が所有し、オェンガスに振るわれて片目を失明させられた槍だと、古文書に明記される。

性質[編集]

この発火性の槍を、ケルトハルが取りに現れる戦記(『ロスナリーの戦い[4])もあるが、一般に知られるのは、ドゥフタハ・ダイル・テンガが、この「ケルトハルのルーン」を借用し、その発火性の槍を大釜につけて御しているところを目撃される描写である(『ダ・デルガの館の崩壊 』)[5]

ダ・デルガの館の見張り役は目撃情報を提供し、物識り役は槍の正体を言い当て、それがマグ・トゥレドの戦いで見つかったものだと付け加える[6][注 1]。それは、この槍がトゥアハ・デ・ダナーン神族の所持品だったことを示している[7]

ルーの槍との符合[編集]

『ダ・デルガの館の崩壊』には明言されないものの、ケルトハルのルーンは、具体的なには長腕のルーの槍であると解き明かされている[注 2]

ルーが持つ槍とていくつかあるが、ルーが賠償として得た槍は、近世の物語『トゥレンの子らの最期』では[注 3]、「殺戮者」と呼ばれ[10][注 4]、水を張った窯につけておかないと都市を燃焼させるという、ルーンに酷似した性質であるので、これと同一考察される[12][注 5]

だがマグ・トゥレドの遺物といういことや、性質の類似性だけで同一視するのではなく、れっきとした根拠もあることは、W・M・ヘネシー英語版が、15–16世紀の書物『トリニティ・カレッジ (ダブリン大学)所蔵H 3.17写本(現1336写本)』[14]の第723欄にある一節を紹介したことであきらかになった。一節のくだりによれば、

「トゥアハ・デ・ダナーンの長のひとりルー・マク・エスリンの槍は〈森の名だたるイチイの樹〉として知られ..、コンホヴァル・マク・ネサの時代は〈ケルトハルのルーン〉、また、コルマク・マク・アルトの時代は、〈毒槍のクリヴァルと呼ばれていた。(以下略)」[15]

ブラウンの論文は、ルーンが登場する典拠に詳しいが、その主論は、アーサー伝説の聖杯・血槍・剣の原点がアイルランドの神々の四秘宝であるというものであり、ルーンを長腕のルーの槍ばかりか、鍛冶師ゴヴニウの槍ネスとも同一視する[16]

クリヴァル[編集]

さらにはコルマク・マク・アルト英語版上王の片目を失明させた張本人「毒槍の」オェングスが使用した槍クリヴァル(「血みどろ」の槍)[注 6]とも同一であることが、上で引用した文献に示されている[17]。これはヘネシー(1889年)より以前に、つとにオカリー(1862年没)の講義集で説かれていた事項である[18]。ちなみにこの槍は王の所持品であった。少し説明を要するが、オェングスは王子に対する恨みを抱えて王に謁見したが、当然、丸腰でなくては通してはもらえなかった。しかし王の愛好の槍クリヴァルをひっつかんだ時、その鎖が王の眼球をつぶした。槍は「毒槍」と名付けられ、咎人も「毒槍の」オィングスの二つ名を得た[19]

自滅の凶器[編集]

ケルトハルは、自分の飼っていた黒犬ダイルクー(Daolcú)が近所迷惑となったため、この槍を使ってしかたなく退治したが、その時に犬の血が槍をつたって彼を貫通し落命している(『ケルトハル・マク・ウテヒルの最期』)[20]。さらにはドゥフタハも、フェドリウィド(Fedlimid)が振るったこの槍によって斃されたという記述がある[21]

アルスター王コンホヴァルの息子クースクリド・メンまでも[注 7]、この槍を振るったコナハトの勇士マク・ケヒト英語版によって殺されている(キナイド・ ウア・アルタカーン英語版(975年没)作「アイルランドの諸侯の死について」)[22][注 8]。アルスターにとっては、いわば諸刃の剣だったようだ。

予兆の槍[編集]

コノートの見張り役はドゥフタハを見知らないが「槍がその発作(興奮)に取り憑かれたとき、そいつは大槍の石突を手のひらを横なぞりに打ち、すると穀袋いっぱいほどの嵩の、煌々とした火の粉火花が槍の穂先と尖端に噴出した」と目撃情報を報告した。また、興奮した槍を漬け込んだ、血黒い釜の中の液体(毒液)の正体は「夜中に魔法を使い、犬と猫とドルイド僧の血を使って作られたもの」だったという[23]

報告を受けたクーロイは「(前略)真赤な鮮血の釜が直前に置かれるのは、もしその毒血のなかに漬けこんでおかないと、槍の柄か、槍を持つ人間を焼いてしまうからだ。そしてその槍は、戦が間近だと予兆している」と説明した[23]。槍が発作(興奮)にかられるというのは具体的に「感受性のある槍は..その震動によって、戦や殺戮が間近だと予兆する」ことだと編者ヘネシーにより解釈されている[24]

一次資料[編集]

以下は、ルーンの言及がある文献である。

注釈[編集]

  1. ^ この描写は『ダ・デルガの館の崩壊』の最古の写本赤牛の書に所収される
  2. ^ 明言される文献については、以下のH 3.17写本の抜粋を参照。
  3. ^ 『トゥレンの子らの最期』は、ブラウンの認識では18世紀以降の写本しか残存していなかったが[8]、のちの研究では1684年の写本があり、断片だが1600年頃のラテン訳の存在が確認される[9]
  4. ^ 英訳名 "Slaughterer"、アイルランド語: Aréadbhair.[11]
  5. ^ 賠償に求めた槍は『来寇の書』では「アッサルの槍」とされる以外に特に名や号はなく、その血傷を負わせれば必ず死に至らしめる必殺の槍であり、「イチイ(イヴァル)」の呪文で投げれば必中し「再イチイ(アスィヴァル)」と唱えれば手に戻る魔槍と説明される[13]。後述の文献では、ケルトハルのルーンは、ルーの「森の名だたるイチイの樹」という槍と同じとされている。
  6. ^ アイルランド語 Crimall。
  7. ^ 発音:/'ku:skrid m'eN 'maxa / (Maier) /cŏŏs'crĭ/ (Cross) /KOOS-kridh/ (Paddy Brown's old site)
  8. ^ O'Curry 1862, (箇所上述)は、殺した側の人名をケト・マク・マーガハ英語版と取り違えている。
  9. ^ ただし「ルーンはルーの槍」と明記される肝心のくだり("h"稿本の附記)は、いまだ編集・刊行されていない。ちなみに本項で注目したい写本("h"本)は、Meyer 1907, pp. 15–24編本の底本ではなく異本である。
  10. ^ 底本のレンスターの書版で無題なので、第一行目"Fianna bátar i nEmain.."(エヴァンに棲まいし勇士たち)"が仮題として用いられる文献もあるが、ストークスは異本(Egerton 1752 写本)の表記題名(Aidheda forni do huáislib Erenn 「アイルランドの諸侯の死について」)を用いる。)。

出典[編集]

脚注
  1. ^ a b ベルンハルト・マイヤー(鶴岡真弓監修、平島直一郎訳)『ケルト事典』 創元社 p.158「ドゥフタハ Dubthach」の項(幻想武器博物館「ルーン(Lúin)」より
  2. ^ a b James Mackillop, Dictionary of Celtic Mythology (Oxford, 1998), Lúin: "One of the most famous spears of early Irish literature, belonging most often to Celtchar."
  3. ^ a b Dictionary of the Irish Language, "lúin f. lance.. Usually (and originally?) of a specific weapon, the lance of Celtchar mac Uthidir"
  4. ^ 『ロスナリーの戦い』近代版(略号 CRR2), Hogan 1892編訳, pp. 36, 7。古写本と近代写本版が収録されるが、より新しい稿本(CRR2)のみが槍の描写に詳しい。ただし「大槍」manaois mhór と記述されるだけでルーンと明記されないことと、事実関係が分かりにくい文なので、ここでの引用には適しない
  5. ^ 『ダ・デルガの館の崩壊 』(略号 TogailBDD), Stokes 1902編訳
  6. ^ Brown 1910, pp. 18–19.
  7. ^ Brown 1910, p. 19.
  8. ^ Brown, Arthur C. L. (August 1924), “The Grail and the English Sir Perceval. V”, Modern Philology 22 (1): 87–88, JSTOR 433319 
  9. ^ Bruford, Alan (1966), “Gaelic Folk-Tales and Mediæval Romances: A Study of the Early Modern Irish 'Romantic Tales' and Their Oral Derivatives”, Béaloideas 34: 264, JSTOR 20521320, https://books.google.com/books?id=9xTaAAAAMAAJ&q=%22Ghaibhleann%22 
  10. ^ 小辻梅子「トゥレンの子たちの運命」『ケルト魔法民話集』、社会思想社、1995年。 
  11. ^ O'Curry, Eugene, ed. (1863), “Aoidhe Chloinne Tuireann (Fate of the Children of Tuireann), the third tale of The 'Tri Thruaighe na Scéalaigheachta (the 'Three Most Sorrowful Tales') of Erinn”, The Atlantis (London) 4: 188–189, 294–205, https://books.google.co.jp/books?id=y5MEAAAAQAAJ&pg=RA1-PA189&redir_esc=y&hl=ja 
  12. ^ Brown (1910), p. 18, note 2: "The LUIN is evidently identical with the venomed spear of Pezar.. which Lugh obtained.. The name of this spear was Slaughterer.. See The Fate of the Chidren of Tuirenn."
  13. ^ Macalister, R.A.S., ed. (1941), “Section VII: Invasion of the Tuatha De Danann”, Lebor gabála Érenn, Part IV, https://archive.org/details/leborgablare04macauoft/page/134  ¶319, pp. 134–137; Poem LXVI, pp. 282–289 (str. 10–11, p. 286–7)
  14. ^ Catalogue of the Irish manuscripts in the Library of Trinity College, Dublin (1921) p.125-138, "1336 (H 3.17) 4to membrame, ss xv, xvi."
  15. ^ Hennessy 1889, p. xiv: "According to a Tract in the ms. H. 3. 17 (T. C. D.), col. 723, the formidable weapon is said to have been known by the name of ibar alai fhidbaidha (" the famous yew of the wood,"..(後略)"
  16. ^ Brown 1910, pp. 21–23.
  17. ^ Hennessy 1889, pp. xiv–xvi; Brown 1910, p. 23, note 1でもヘネシーの考察として紹介。
  18. ^ O'Curry 1873, Manners and Customs 2, p. 325
  19. ^ O'Curry 1873, Manners and Customs 2, pp. 326–327
  20. ^ 『ケルトハル・マク・ウテヒルの最期』, Kuno Meyer 1906編訳, Death-Tales of the Ulster Heroes, pp.24-
  21. ^ Stokes, Whitley, 編訳 "Da Choca's Hostel [Bruiden Da Chocae]", Revue Celtique, 21 (1900), 注 p.401に、A本(TCD H. 3. 18 写本 現1337写本)では物語『ダ・コガの館(の崩壊)』本編(メインストーリー)の終了後(写本 p. 724前後あたり)に "ドゥフタハが、ケルトハルのルーンという有名な槍を使ったフェドリウィドによって殺されたという記述(a notice .. of the slaying of Dubhtach by Fedlimid with the famous spear called Luin Celtchair)"があると指摘する。
  22. ^ Stokes 1902 編訳 "On the Deaths of Some Irish heroes" RC 23, p. 308(第16詩節)。
  23. ^ a b Hennessy 1889編訳『ウラドの武者たちの酩酊』(MU) p.39
  24. ^ Hennessy 1889序文、p.xv. "sensitive spears ... by their vibration, portended the imminence of battle and slaughter."
  25. ^ Stokes 1901, pp. 9–61, 165–215, 282–329, 390–437.
  26. ^ Hennessy 1889.
  27. ^ Hogan 1892.
  28. ^ Meyer 1906, pp. 24–3.
  29. ^ Cináed Ua Hartacáin 1902.
参考文献