ラグビー日本代表

ラグビー日本代表
2024年10月26日オールブラックス戦で
ユニオン 日本ラグビーフットボール協会
愛称 ブレイブ・ブロッサムズ
ジャパン
エンブレム
ヘッドコーチ オーストラリアの旗 エディー・ジョーンズ(2012-2015, 2024-)
最多キャップ 大野均 (98cap)
最多得点選手 五郎丸歩 (711点)
最多トライ選手 大畑大介 (69回)
ファースト
ジャージ
セカンド
ジャージ
初国際試合
 日本 3 - 3  カナダBC州
(1930年9月24日)
最大差勝利試合
 日本 155 - 3 チャイニーズタイペイ 
(2002年7月6日)
最大差敗戦試合
 ニュージーランド 145 - 17 日本 
(1995年6月4日)
ラグビーワールドカップ
出場回数 10回 (1987年初出場)
最高成績 ベスト8 (2019)
ワールドラグビーランキング
直近 14位 (現在)
最高 6位 (2019年10月19日)
最低 20位 (2003年11月3日-2004年2月9日,
2004年3月1日-5月3日,
2006年6月19日-10月23日)
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ラグビー日本代表(ラグビーにほんだいひょう)は、日本ラグビーフットボール協会が組織するラグビーユニオンナショナルチーム。愛称は「ブレイブ・ブロッサムズ」(Brave Blossoms[注 1][1]。他のスポーツに先駆けて、1966年から現在まで略称として「ジャパン」と呼ばれ[2][3][4]、さらにヘッドコーチ名を冠し[5][6][7][8][9]「エディージャパン」などと呼ぶ。ファーストジャージは赤と白のストライプで、左胸に「全開の桜3弁」を配置し「桜のジャージ」と呼ばれる[10]。日本代表に準じるセカンドチームに、「JAPAN XV(ジャパン・フィフティーン)」がある。

直近の情報は「ラグビー日本代表 2025年メンバー」も参照。

代表資格

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国籍は関係ない

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ラグビーでは、国の代表チームとしてプレーする際に、国籍は問われないため、「所属協会主義」という[11][12]ワールドラグビーレギュレーション8条 により、代表資格は以下の条件で規定されている。

  • 当該国(日本)で出生している、または、
  • 両親、祖父母の1人が当該国(日本)で出生している、または、
  • プレーする時点の直前の60か月間継続して当該国(日本)の 協会もしくはラグビー団体のみ に登録されていた、または
  • プレーする時点までに、通算10年間、当該国(日本)に滞在していた。

U20などジュニア代表では、他国での出場は不問。ただし、7人制ラグビーが行われるオリンピックおよびその予選の場合、ワールドラグビーの代表資格規定は該当せず、その国の国籍を持つ選手のみ(国籍主義)となる[13][14][15]

2024年8月1日から緩和され、それまで「60ヶ月間継続して居住していなければならない」という規定は撤廃され、その国内チームにのみ60か月(5年)在籍していれば条件を満たしていることになった[16][17]。5年以上静岡ブルーレヴズに所属していたマロ・ツイタマは、2024年7月15日から日本代表合宿に召集され[18][19]、8月25日(日本時間26日)に日本代表として初出場した[20]

帰化した選手が少なくない

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「外国人選手が多い」という批判がある[12][21] が、日本は外見的特徴からそのように指摘されやすい。他の国のラグビー代表チームも同様に、異なる国の出身者が多く含まれる[注 2][22][23]

ワールドカップ2023において、自国出身選手のみで構成されたのは、南アフリカ共和国アルゼンチンだけだった[24]

学生時代から日本で生活し、日本に帰化(日本国籍を取得)している日本代表選手も少なくない[25][26][27][28][29][30]

南太平洋諸国に配慮した新条件

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2022年1月1日から、以下の基準を満たす場合に選手が一つの協会(国)から別の協会(国)へ変更できるようになった[31][32][33]。これは、フィジーサモアトンガなどの南太平洋の国々出身の選手(小さな島々の出身ということで「アイランダー」とも呼ばれる[34])が、活躍の場や経済力を求めて外国に行ってしまい、出身国のラグビー運営に支障が出ることへの配慮を主とする規約改正(生得権の枠組みの変更)である[34][35][36]

  • 36ヶ月間、ラグビーの国際試合に参加していない。
  • 選手が移動を希望する国で生まれている、または親や祖父母のうち誰かがその国で生まれている。
  • 選手は一度だけ協会を変更することができ、各ケースはワールドラグビーの承認が必要となる。

所属協会主義

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上述のように、ラグビーユニオンは所属協会主義である。ラグビー発祥の地イギリスは、サッカー同様、イングランドスコットランドウェールズアイルランドの協会に分かれる。また、かつてイギリスは世界中に多くの植民地(南アフリカ共和国フィジー香港など)を持っていた。

現在も、ニュージーランドオーストラリアカナダなど英連邦王国は15か国ある(ただし国家としてそれぞれ独立している)。またアイルランド代表は、イギリス北アイルランドと、アイルランドとの2か国による合同チームである[37]

19世紀の終わり頃から、これら人的交流のなかでは、各国のラグビー代表を国籍でくくることが難しかった背景がある[23][38][39][40][41]

直近の動向

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年ごとに動向をまとめた「ラグビー日本代表 2024年メンバー」「ラグビー日本代表 2025年メンバー」も参照のこと。

国代表となる条件の緩和

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2024年8月1日から、ワールドラグビーは国代表となる条件を緩和した。これまでの条件のうち、「プレーする時点の直前の60ヶ月間継続して当該国を居住地としていた」という項目が撤廃された[16][17]。外国籍の選手であっても、日本国内チームに60か月在籍していれば(他国のチームに在籍していなければ)、オフシーズンに数か月ほど故郷に帰国していても、日本代表の条件を満たす[16]

テストマッチの大敗が続く

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  • 2024年10月26日のニュージーランド代表戦(オールブラックス戦) は、19-64で大敗した[42][43]
  • 10月30日からヨーロッパ遠征[44]。初戦フランスに8トライを奪われ、12-52(前半0-31)で大敗した[45][46][47][48]
  • 11月16日のウルグアイ戦では、日本ラグビーフットボール協会名誉総裁を務める彬子女王の祖母、崇仁親王妃百合子が前日に薨去したことへの弔意を表し、左腕に黒い喪章をつけて戦った[49]。日本がイエローとレッドのカードを1枚ずつ出した苦戦のなか、36-20で勝利した[50][51][52][53]
  • 11月24日のイングランド戦では、ラインアウト・スクラム・モールなどセットプレーの多くが崩壊し、多くのミスを出し、9トライを奪われ、14-59(前半7-35)で大敗した[54][55][56]

日本代表の現状に関する意見

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  • 2024年11月24日の試合後、WTBでリザーブ出場した梶村祐介は、「失点の多さについて、選手からは改善策の声が挙がっているが、練習には反映されていない。選手たちは、コーチから指示が降りてきたものしか出来ない。プランの変更はあまりなくて、もっと修正してゲームに臨めたのにな、と感じる」と、攻撃面の練習が中心で、大量失点を防ぐ守備対策がほとんどなされていないことを明かした[57][58]
  • 11月24日、試合後の会見でエディー・ジョーンズは「シーズンを通じて、特にここが伸びたという成長点もなければここがひどくなった、という点もない。プロセスを信じてやり続けることが大事だ」と語った[59]。11月26日に帰国した際の会見では、選手からの不満の声が出ていることに対して、「結果が出ず、選手から反発があるかもしれないが、新チームのスタート時は起こりがち。選手とのコミュニケーションの問題」だとして一蹴。「アタックがよくなれば、おのずとディフェンスもよくなる。アタックで世界一になることには自信を持っている」と述べた[60]
  • 11月25日、横浜キヤノンイーグルス監督の沢木敬介は、「日本代表は、日本の選手全員が『そこでプレーしたい』と目指し、憧れる場所であってほしい。テストマッチは国を代表して戦う。選手育成はテストマッチの前段階で行うべきだ。テストマッチは、『試した結果、負けてもいい』という感覚でやる試合ではない」と述べ、現状が「キャップの安売り」であると指摘した[61]
  • 11月25日、元日本代表の坂田正彰は、「テストマッチ経験の少ない選手を多く起用し、国際舞台で経験を積ませることで実力アップを図る狙いは理解できる。第2次エディージャパンに結果は出ていないが、それでも目先の結果にこだわるよりも、先々を見据えたチーム作りは間違いないと考える」と、現状を肯定的に捉えた[62]
  • 11月25日、元U23日本代表監督の砂村光信は、「強豪国では20歳前後の一番伸び盛りの選手を育成するシステムが整備されているが、大学ラグビーが中心の日本は、大きく遅れを取っている」と、かつて大学ラグビーが日本のラグビー人気を支えていた伝統への改革を求めた[63]

新ルールの導入

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2025年1月1日、ワールドラグビーは、世界的試験実施ルール(コンバージョンキックまでの時間を90秒から60秒に短縮、ラインアウト形成は30秒以内、スクラム・ラック・モールでのスクラムハーフの保護、争われないラインアウトでのノットストレートの許容)を施行した。

日本国内では2025年4月1日から施行する[64]。社会人大会ジャパンラグビーリーグワンでは、2024年12月21日のシーズン開幕戦から導入済み[65]

用語の変更

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2025年1月6日、日本ラグビーフットボール協会は「新たにラグビー競技を観戦する人たちにわかりやすく伝えるため」として、用語の変更を発表した。主なものは、ノックオン→ノックフォワード、ジャッカル→スティール、 ゴールライン→トライライン、インゴールエリア→トライゾーン/トライエリアなど[64]

直近の対戦日程

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日付 開始時間 対戦 結果 会場 特記事項 備考
2025年5月20日(火) 16:00 ニュージーランドの旗ニュージーランド学生代表(NZU) vs JAPAN XV(若手中心チーム) ○78-28 別府市営実相寺多目的グラウンド(大分県別府市) ニュージーランド学生代表遠征 第2戦 [66][67]
2025年5月24日(土) 14:00 ニュージーランドの旗ニュージーランド学生代表(NZU) vs JAPAN XV(若手中心チーム) ○30-21 大分スポーツ公園クラサスサッカー・ラグビー場Aコート(大分県大分市) ニュージーランド学生代表遠征 第3戦 [66][68]
2025年5月31日(土) 15:00 香港の旗ホンコン・チャイナ代表 vs JAPAN XV(若手中心チーム) ○64-12 豊後企画フィールド(大分県大分市) トレーニングマッチ [69][70][71]
6月28日(土) 18:00 ニュージーランドの旗マオリ・オールブラックス vs JAPAN XV 秩父宮ラグビー場(東京都港区) リポビタンDチャレンジカップ2025 [72][73]
7月5日(土) 14:00 ウェールズの旗ウェールズ代表 vs 日本代表 ミクニワールドスタジアム北九州(福岡県北九州市) リポビタンDチャレンジカップ2025 [72][73]
7月12日(土) 14:50 ウェールズの旗ウェールズ代表 vs 日本代表 ノエビアスタジアム神戸(兵庫県神戸市) リポビタンDチャレンジカップ2025 [72][73]
8月30日(土) 17:00 カナダの旗カナダ代表 vs 日本代表 ユアテックスタジアム仙台(宮城県仙台市泉区) パシフィックネーションズカップ2025 [74][75][76]
9月5日(金) アメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国代表 vs 日本代表 ハート・ヘルス・パークアメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント パシフィックネーションズカップ2025
9月13日(土) 準決勝 ディックス・スポーティング・グッズ・パーク(アメリカ合衆国、コロラド州コマースシティ パシフィックネーションズカップ2025
9月20日(土) 決勝 アメリカ・ファースト・フィールド(アメリカ合衆国、ユタ州サンディ パシフィックネーションズカップ2025
10月25日(土) ウェールズの旗オーストラリア代表 vs 日本代表 国立競技場(東京都新宿区) リポビタンDチャレンジカップ2025 [72][73]
11月8日(土)12:40
日本時間21:40
アイルランドの旗アイルランド代表 vs 日本代表 アビバ・スタジアムアイルランドダブリン オータム・ネーションズ・シリーズ2025 [77][78][79]
11月15日(土)17:40
日本時間16日(日)2:40
ウェールズの旗ウェールズ代表 vs 日本代表 プリンシパリティ・スタジアムウェールズカーディフ オータム・ネーションズ・シリーズ2025 [77][78][79]
11月22日(土) ジョージア (国)の旗ジョージア代表 vs 日本代表 ジョージア [79]

新しい国際大会

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2023年10月24日、ワールドラグビーは、上述「パシフィックネーションズカップ」刷新のほか、2026年からの男子新国際大会創設などを発表した[84]

日本代表選手・スタッフ

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2025年の日本代表候補は、2025年6月1日にジャパンラグビーリーグワンが終了してから発表される見込み。

ワールドラグビー男子ランキング

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ラグビー日本代表 世界ランキングの推移(2025年1月6日現在)
世界ランキングの推移(2025年1月6日現在)
上位30チーム(2025年5月26日時点)[91]
順位 変動* チーム ポイント
1 増減なし  南アフリカ共和国 092.78
2 増減なし  ニュージーランド 090.36
3 増減なし  アイルランド 089.83
4 増減なし  フランス 089.51
5 増減なし  アルゼンチン 084.97
6 増減なし  イングランド 084.73
7 増減なし  スコットランド 082.36
8 増減なし  オーストラリア 081.52
9 増減なし  フィジー 080.07
10 増減なし  イタリア 077.77
11 増減なし  ジョージア 074.69
12 増減なし  ウェールズ 073.39
13 増減なし  日本 072.95
14 増減なし  サモア 072.68
15 増減なし  アメリカ合衆国 070.02
16 増減なし  スペイン 067.34
17 増減なし  ウルグアイ 067.06
18 増減なし  ポルトガル 066.44
19 増減なし  トンガ 065.46
20 増減なし  ルーマニア 064.61
21 増減なし  チリ 061.72
22 増減なし  ベルギー 059.98
23 増減なし  カナダ 059.49
24 増減なし  香港 059.18
25 増減なし  ナミビア 057.87
26 増減なし  ジンバブエ 057.16
27 増減なし  オランダ 057.01
28 増減なし  ブラジル 056.53
29 増減なし  スイス 055.26
30 増加1  ポーランド 054.06
*前週からの変動
日本のランキングの推移

生のグラフデータを参照/編集してください.

出典: ワールドラグビー[91]
推移グラフの最終更新: 2025年5月26日

毎週月曜の日中(アイルランド時間。日本時間では同日夜)までに ワールドラグビーが発表するデータ にもとづく。ワールドカップ中は毎日ランキングが更新されるが、右表の元データは週1回の更新となる。

ホームでの敗戦(アウェイでの勝利)では、ポイントが大きく動く[92]。また、ワールドカップ時は、通常テストマッチの2倍ポイントが動く。このシステムは2003年10月に日本は18位から始まり、直後に開催のワールドカップ2003で全敗したため20位に落ちた。

日本代表の過去最高ランクは、ワールドカップ2019準々決勝南アフリカ戦の前日、2019年10月19日(土)に記録した6位[93][94][95]。翌日、南アフリカに敗れて8位になった[96]

新型コロナウイルス感染症の世界的流行2020年は、強豪国が早期にテストマッチを再開したが、日本はこの年まったく試合を行なわず、2020年11月16日付けで10位に落ちた。

2023年7月24日付けで10位から12位へ落ちた。12位サモアにホームで敗戦したため[97][98]。2016年11月7日付け以来、6年9か月ぶり[99]。8月7日付けで、秩父宮ラグビー場フィジーに敗れた[100] ため14位に転落。2015年8月31日付け以来約8年ぶり。9月25日付けで、不振ジョージア[101] と入れ替わり、13位に浮上。9月28日にワールドカップ2023プール戦でサモアに勝利し12位となった[102]

2024年7月13日、ランキング14位のジョージアにホーム(ユアテックスタジアム仙台)で敗れ、2024年7月15日付けで2ランク落ちて14位になった[103]。14位は約1年ぶり。

パシフィックネーションズカップ2024準決勝で13位のサモアに勝利し、2024年9月16日付けで1ランクアップし13位となったが、翌週の決勝戦でフィジーに敗れて9月23日付けで14位。13位サモアが秋遠征を行わずポイントが動かない中[104]、日本はウルグアイに勝利し11月18日付けでサモアと入れ替わり13位に戻った[105]

対戦相手別 テストマッチ勝敗表

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1930年から現在までの全テストマッチ(国代表どうしの試合)を対戦相手ごとに集計した[106]

現在ではテストマッチ扱いにしない対戦相手(XV・Aなどの二軍チーム、学生・U23などの若年チームなどの限定チーム)について、1989年までは日本側だけがテストマッチ扱いにしていた[107] ことに留意されたい。

1989年5月28日のスコットランド戦では、スコットランド代表メンバーのうち、中心選手9名はブリティッシュ・ライオンズのメンバーとしてニュージーランド遠征中で不在だったため[108]、日本との対戦では、代表扱いではないチームとして「スコットランドXV(フィフティーン)」と名乗っていた[109]。しかし日本側ではこれを「スコットランド代表」としてテストマッチ扱いとし、28-24で勝利した[110][111]。試合後、宿澤広朗監督は胴上げをされ[112][113]、スポーツ新聞ほかメディアはこれを「金星」として大々的に報道した[114][115]。日本とスコットランドの双方がテストマッチとして対戦し、日本が勝利するのは、ワールドカップ2019でのことだった。

マオリ・オールブラックス戦は、2008年はパシフィックネーションズカップで行われ、テストマッチとして対戦した[116]。2024年ではキャップ非対象となり、日本は「JAPAN XV」で対戦したのでこの表には含まれない[117]

黄色背景は、「ティア1(tier 1)」[注 3] の国代表チーム[118]。濃いグレー背景は、国代表チームではないもの(現在ではほぼテストマッチ扱いにならないもの[注 4])。

2024年11月25日イングランド代表戦までを反映。出典:[106]

対戦相手 試合数 勝率 対戦
最終年
対戦年(太字は日本勝利)
【外部リンク先は 試合詳細】
 アイルランド 12 1 11 0 8.3% 2021 1985, 85, 91, 95, 2000, 05, 05, 17, 17, 19, 21, 21
 アイルランド学生選抜 1 0 1 0 0% 1987 1987
 アメリカ合衆国 25 11 13 1 44% 2024 1985, 86, 87, 90, 91, 91, 96, 96, 97, 97, 98, 98, 99, 2000, 03, 03, 08, 08, 11, 13, 14, 15, 15, 19, 24
アラビアンガルフ 3 3 0 0 100% 2010 2006, 08, 10
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 3 3 0 0 100% 2013 2011, 12, 13
 アルゼンチン 7 1 6 0 14.3% 2023 1993, 93, 98, 99, 2005, 16, 23
 イタリア 10 2 8 0 20% 2023 1976, 2004, 06, 07, 11, 14, 18, 18, 23, 24
 イングランド 6 0 6 0 0% 2024 1987, 2018, 22, 23, 24, 24
イングランドの旗 イングランドXV 7 0 7 0 0% 2003 1971, 71, 79, 79, 86, 2003, 03
イングランドの旗 イングランド学生選抜 1 0 1 0 0% 1982 1982
イングランドの旗 イングランドU23 2 0 2 0 0% 1976 1973, 76
イギリスの旗 オックスフォード大学&ケンブリッジ大学 3 0 3 0 0% 1983 1959, 59, 83
イギリスの旗 オックスフォード大学 4 0 4 0 0% 1988 1952, 52, 77, 88
イギリスの旗 ケンブリッジ大学 4 1 3 0 25% 1979 1953, 53, 75, 79
 ウェールズ 10 1 9 0 10% 2016 1993, 95, 99, 2001, 01, 04, 07, 13, 13, 16
ウェールズの旗 ウェールズXV 4 0 4 0 0% 1983 1973, 75, 75, 83
ウェールズの旗 ウェールズクラブ連合 1 0 1 0 0% 1976 1976
 ウルグアイ 6 5 1 0 83.3% 2024 2005, 15, 15, 22, 22, 24
 オーストラリア 6 0 6 0 0% 2021 1975, 75, 87, 2007, 17, 21
オーストラリアの旗 オーストラリアA 4 0 4 0 0% 2008 2003, 03, 07, 08
オーストラリアの旗 オーストラリア学生選抜 6 2 4 0 33.3% 1981 1934, 34, 56, 56, 56, 81
オーストラリアの旗 クイーンズランド州 1 0 1 0 0% 1978 1978
オーストラリアの旗 オーストラリア・コルツ(U23) 2 1 0 1 50% 1972 1972, 72
 オランダ 1 0 1 0 0% 1980 1980
 カザフスタン 5 5 0 0 100% 2012 2008, 09, 10, 11, 12
 カナダ 26 16 8 2 61.5% 2024 1932, 32, 82, 82, 86, 91, 96, 96, 97, 97, 98, 98, 99, 2000, 01, 04, 05, 07, 09, 09, 11, 13, 14, 15, 16, 24
カナダの旗 ブリティッシュコロンビア州(BC州) 6 2 2 2 33.3% 1976 1930, 59, 59, 63, 70, 76
 韓国 36 29 6 1 80.6% 2017 1976, 78, 80, 82, 84, 86, 88, 90, 90, 94, 96, 98, 98, 2000, 01, 02, 02, 02, 03, 04, 05, 06, 06, 07, 08, 09, 10, 12, 13, 14, 15, 15, 16, 16, 17, 17
 サモア 19 7 12 0 36.8% 2024 1990, 99, 99, 2000, 01, 06, 07, 08, 09, 10, 10, 11, 12, 14, 15, 19, 23, 23, 24
 ジョージア 7 5 2 0 71.4% 2024 2006, 12, 14, 15, 16, 18, 24
シンガポールの旗 シンガポール 1 1 0 0 100% 2009 2009
 ジンバブエ 1 1 0 0 100% 1991 1991
 スコットランド 9 1 8 0 11.1% 2021 1991, 2003, 04, 13, 15, 16, 16, 19, 21
スコットランドの旗 スコットランドXV 4 1 3 0 25% 1989 1976, 77, 86, 89
 スペイン 3 3 0 0 100% 2013 1999, 2005, 13
スリランカの旗 スリランカ 3 3 0 0 100% 2014 1974, 2011, 14
タイ王国の旗 タイ 1 1 0 0 100% 1970 1970
 チャイニーズタイペイ 4 4 0 0 100% 2002 1998, 2001, 02, 02
 チリ 1 1 0 0 100% 2023 2023
 トンガ 19 10 9 0 52.6% 2023 1990, 95, 95, 99, 2000, 02, 06, 07, 08, 09, 10, 11, 11, 12, 13, 15, 17, 19, 23
 ニュージーランド 6 0 6 0 0% 2024 1995, 2011, 13, 18, 22, 24
ニュージーランドの旗 ニュージーランドXV 2 0 2 0 0% 1987 1987, 87
ニュージーランドの旗 ジュニア・オールブラックス 5 0 5 0 0% 2009 1968, 74, 2006, 07, 09
ニュージーランドの旗 マオリ・オールブラックス 1 0 1 0 0% 2008 2008
ニュージーランドの旗 ニュージーランド大学選抜(NZU) 15 2 11 2 13.3% 1982 1936, 36, 67, 67, 68, 70, 70, 70, 74, 74, 76, 80, 82, 82, 82
ニュージーランドの旗 ニュージーランド・コルツ(U23) 5 1 4 0 20% 1972 1958, 58, 58, 72, 72
 フィジー 20 4 16 0 20% 2024 1990, 94, 94, 99, 2000, 03, 06, 07, 07, 08, 09, 10, 11, 12, 13, 15, 16, 19, 23, 24
 フィリピン 2 2 0 0 100% 2014 2013, 14
 フランス 7 0 6 1 0% 2024 2003, 11, 17, 22, 22, 22, 24
フランスの旗 フランスXV 7 0 7 0 0% 1985 1973, 78, 80, 84, 84, 85, 85
ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズの旗 ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ 1 0 1 0 0% 2021 2021
 ポルトガル 1 1 0 0 100% 2021 2021
 香港 29 24 4 1 82.8% 2017 1969, 72, 82, 91, 92, 94, 96, 96, 97, 97, 98, 98, 98, 2005, 06, 07, 08, 09, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 15, 16, 16, 17, 17
 南アフリカ共和国 3 1 2 0 33.3% 2019 2015, 19, 19
 ルーマニア 6 5 1 0 83.3% 2017 1995, 2004, 05, 12, 14, 17
 ロシア 7 6 1 0 85.7% 2019 2002, 03, 04, 10, 13, 18, 19

大会成績(ワールドカップ、太平洋地区、アジア地区)

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ラグビーワールドカップ

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回数(開催年) ラウンド 日付 開催地 対戦相手 勝敗 スコア 監督・ヘッドコーチ メンバー
第1回(1987年) 1次リーグ 5月24日 オーストラリアの旗ブリスベン  アメリカ合衆国 18-21 宮地克実
5月30日 オーストラリアの旗シドニー  イングランド 7-60
6月3日 オーストラリアの旗シドニー  オーストラリア 23-42
第2回(1991年) 1次リーグ 10月5日 スコットランドの旗エディンバラ  スコットランド 9-47 宿澤広朗
10月9日 アイルランドの旗ダブリン  アイルランド 16-32
10月14日 アイルランドの旗ベルファスト  ジンバブエ 52-8
第3回(1995年) 1次リーグ 5月27日 南アフリカ共和国の旗ブルームフォンテーン  ウェールズ 10-57 小藪修
5月31日 南アフリカ共和国の旗ブルームフォンテーン  アイルランド 28-50
6月4日 南アフリカ共和国の旗ブルームフォンテーン  ニュージーランド 17-145
第4回(1999年) 1次リーグ 10月3日 ウェールズの旗レクサム  サモア 9-43 平尾誠二
10月9日 ウェールズの旗カーディフ  ウェールズ 15-64
10月16日 ウェールズの旗カーディフ  アルゼンチン 12-33
第5回(2003年) 1次リーグ 10月12日 オーストラリアの旗タウンズビル  スコットランド 11-32 向井昭吾
10月18日 オーストラリアの旗タウンズビル  フランス 29-51
10月23日 オーストラリアの旗タウンズビル  フィジー 13-41
10月27日 オーストラリアの旗ゴスフォード  アメリカ合衆国 26-39
第6回(2007年) 1次リーグ 9月8日 フランスの旗リヨン  オーストラリア 3-91 ジョン・カーワン
9月12日 フランスの旗トゥールーズ  フィジー 31-35
9月20日 ウェールズの旗カーディフ  ウェールズ 18-72
9月25日 フランスの旗ボルドー  カナダ 12-12
第7回(2011年) 1次リーグ 9月10日 ニュージーランドの旗オークランド  フランス 21-47
9月16日 ニュージーランドの旗ハミルトン  ニュージーランド 7-83
9月21日 ニュージーランドの旗ファンガレイ  トンガ 18-31
9月27日 ニュージーランドの旗ネーピア  カナダ 23-23
第8回(2015年) 1次リーグ 9月19日 イングランドの旗ブライトン  南アフリカ共和国 34-32 エディー・ジョーンズ
9月23日 イングランドの旗グロスター  スコットランド 10-45
10月3日 イングランドの旗ミルトン・キーンズ  サモア 26-5
10月11日 イングランドの旗グロスター  アメリカ合衆国 28-18
第9回(2019年) 1次リーグ 9月20日 日本の旗東京都調布市  ロシア 30-10 ジェイミー・ジョセフ
9月28日 日本の旗静岡県袋井市  アイルランド 19-12
10月5日 日本の旗愛知県豊田市  サモア 38-19
10月13日 日本の旗神奈川県横浜市  スコットランド 28-21
準々決勝 10月20日 日本の旗東京都調布市  南アフリカ共和国 3-26
第10回(2023年) 1次リーグ 9月10日 フランスの旗トゥールーズ  チリ 42-12
9月17日 フランスの旗ニース  イングランド 12-34
9月28日 フランスの旗トゥールーズ  サモア 28-22
10月8日 フランスの旗ナント  アルゼンチン 27-39

パシフィックネーションズカップ

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環太平洋の国々が、強豪国との格差を縮める目的で設立された。

日本も、かつては適度な難度の国際大会として毎回参加していたが、2016年以降は不参加が多かった。2019年にはワールドカップ2019の前哨戦として参加した。2022年はフランスとのテストマッチ2連戦のため参加していない。

2023年7月~8月、パシフィックネーションズカップ2023は、日本はワールドカップ2023の前哨戦として参加し、フィジー、サモア、トンガとの4か国で開催された。日本代表は、出場する3試合すべてを日本国内(ホーム)で開催したが、2敗したため世界ランキングが10位から14位に大きく落ちた[98][100][120]

2024年から大会フォーマットが刷新され、日本、カナダ、アメリカ、フィジー、サモア、トンガの6か国によるプール戦と順位決定トーナメントを行う[121][84][122]

アジアラグビーチャンピオンシップ

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しばしばワールドカップのアジア地区出場権1枠を決める大会となる。そのため、2014年まで日本にとって重要な大会だった。現在の日本代表は、アジア相手で常勝し、ワールドカップでは次回出場権を得る結果を出しているため、2017年を最後に参加していない。

★は、日本が翌年のラグビーワールドカップへの出場権を得られたもの。第1回ワールドカップ1987は、日本を含む招待開催のため、アジア地区予選は行われなかった。

ジャージの変遷

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桜のエンブレムと赤白ストライプ

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Wikipedia上の図では省略されているが、いずれも、左胸部分に桜のエンブレムが入っている[123]。ファーストジャージの赤白ストライプは伝統的な柄であり、途中2003年から2014年までの大きなデザイン変更期でも、一部に赤白ストライプが使われている[123]。2003年版から、左袖に日の丸(日本国旗)が入る[124]。2015年版から、ショーツの右もも正面にも桜のエンブレムが入る[125]

1930年にカナダへ初の海外遠征が行われ[126][127][128]、日本代表ジャージが作られた。その初戦は9月1日、スタンレー・パーク競技場での全バンクーバー戦で、赤白ストライプの長袖ジャージの左胸には「つぼみ、半開き、全開」の3弁の桜がデザインされていた[126][129][130]。ショーツ、ソックスは白だった。現在のような3弁とも全開したデザインは、1952年10月1日花園ラグビー場で行われたオックスフォード大学[131] からである[132]

カンタベリーが提供

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1982年のジャージは、スズキスポーツ製であることが分かっている[133]

1987年ワールドカップ第1回から第3回(1995年)までは、セプター製だった[134]

1997年からはカンタベリーが提供[135]。1999年以降、ワールドカップ開催年の春から夏にかけてリニューアルされている[135][136][137][138][139]日本ラグビーフットボール協会では「ファーストジャージ/セカンドジャージ」と呼ぶ[139][140] が、そのレプリカジャージを一般販売するカンタベリーでは「ホームジャージ/オルタネイトジャージ」という商品名にしている[141][142]

1999年版は綿55%、ポリエステル45%と重かったが、2003年版からはポリエステル100%となった[143]。襟(えり)が、2007年版から折り返せないほど小さくなっていき、2015年版から完全に無くなった[144]

2003年版からの11年間は「赤と黒」が基調となり、上体部分をえんじ色に近い赤で埋め、ストライプは腹または胸に白2本のみの配置で、ショーツとソックスは黒になった。軽量化が進んだが[143]、かなりルーズフィットなデザインだった[143][145][146][147]2007年版からは上体をぴっちり包むコンプレッション機能が加わり[143][148]、現在まで継承されている。

2015年版は、ワールドカップ2015開幕68日前の7月12日に発表された[149]。2002年までのストライプ主体の原点回帰になり、ショーツとソックスも白に戻った。ストライプに幅の変化やカーブをつけ、スピード感など錯視効果を持たせている。肩部分に赤を広く配置。ショーツとソックスの背面から側面にかけては、ファーストジャージでは赤い曲線、セカンドジャージでは青い曲線を配置[125]。選手の体型の3Dデータをとり、選手用はFW1列目とそれ以外とで型紙が異なる[135]。4種類の素材を部位ごとに使い分け、耐久性・軽量性・着用感・運動追随性の向上を図った[150]

2015年版デザインのジャージは、2023年3月の高校日本代表の試合[151]、同8月のU17日本代表の試合[152] でも使われた

2019年版は、ワールドカップ2019開幕78日前の7月4日に発表された[153]。「」をコンセプトに、縁起の良さを表す吉祥文様が全体を覆っている[154]。赤白ストライプ(セカンドジャージは紺と青のストライプ)の間にゴールドを配色した[155]。正面は谷型ストライプで上体を大きく見せ、背面は山型ストライプで背後から追う敵に遠く見せる効果を持たせている[156]。ショーツの背面に赤い直線(セカンドジャージは青い直線)を配置し、2015年版にあったソックスの赤いラインは無くなった[157]。選手用ジャージは、布の強度の違いなどで、FW1列目用、FW2~3列目用、BK用の3種類がある[156][158]

2019年版デザインのジャージは、2023年秋も女子日本代表が引き続き使用している[159][160][161]

2023年版は、ワールドカップ2023開幕77日前の6月23日に発表された[140]。柄は、2019年版の兜のコンセプトや吉祥文様などをほぼ継承したが、胴体部分の赤いストライプが細くなり1本増え、2015年版のように水平線の印象を強めた。大きな特徴として、襟なし丸首となり、首周りに沿って赤い線が一本通り丸首を強調、みぞおち部分に「ドラえもんの鈴」のような赤いアクセントがあり胸の赤いストライプとつながっている。また、胸に大きな白いスペースをとって上体の厚みを強調した。肩部分にも白を広く配置し、全体でも白が目立つ配色になった。ワールドカップ2023着用バージョンでは、開催国フランスの伝統的なアヤメの紋章「フルール・ド・リス」が胸の中央に入り[162]、右胸に大会マーク、左胸に桜、首下にカンタベリーのロゴを配置[163]。ワールドカップ以外の試合では、胸の下の赤いライン上に「リポビタンD」、左胸に桜、右胸にカンタベリーのロゴ、背中の白い部分に「TOSHIBA」のロゴが入る[164]。2022年7月にカンタベリーの店頭や試合会場などでファンからポリエステル100%の衣類を1,266枚回収し[165][166]、選手用にはそのケミカル素材をリサイクル使用した[167]。また、リーグワン選手84人の体型を3Dデジタルデータ化して開発に役立てた[140][167]。2024年3 月使用の高校日本代表ジャージでもこのデザインが使われたが、「ドラえもんの鈴」のような首のアクセントは無くなった[168]

セカンドジャージの着用機会

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ラグビーでは、原則としてホームやアウェイに関係なく、両チームとも第一候補であるファーストジャージを着用する[169][170] が、相手チームとまぎらわしい場合、話し合いで片方あるいは両方のチームが、第二候補としてのセカンドジャージを着用する[169]

日本代表の試合では、相手ジャージが赤または白が主体の場合に、セカンドジャージが選択されることが多い。逆に、自国を訪問してくれた相手チームの負担軽減や敬意を表す意味で、ホームチームがセカンドジャージを着るという判断もある[169]

ワールドカップ2023では、日本代表はプール戦4試合ともファーストジャージで戦うことを大会開幕直前に発表した[171]

ファーストジャージ

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[157][169]

1960年代–2002
2003–2006
2007–2009
2011–2014
2015–2018
2019–2022
2023–

セカンドジャージ

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[157][169]

1960年代–2002
2003–2006
2007–2009
2011–2014
2015–2018
2019–2022
2023–

歴史

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黎明期

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1899年(明治32年)慶應義塾大学にラグビーが伝えられて[172][173] 以来、各大学を中心に競技が広まった。その大学OBの活動を元に、1924年(大正13年)関東ラグビー蹴球協会1925年(大正14年)に西部ラグビー蹴球協会ができ、1926年(大正15年)11月30日に日本ラグビー蹴球協会(現在の日本ラグビーフットボール協会)が発足した[174]

1930年 日本代表誕生、初の海外遠征へ

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初の海外遠征を行った日本代表。右端のニッカーボッカーズ姿は、監督の香山蕃(1930年)

初めて日本代表が編成されたのは1930年(昭和5年)8月~10月のカナダ遠征である[175]香山蕃が初代監督に就任し、全7戦のうち6戦目、9月24日に行われたブリティッシュコロンビア州代表戦 (カナダBC戦)が初のテストマッチ認定試合となり[176]、双方1トライずつで3-3の引き分け(当時のトライは3点[177])となった。この試合には、後に映画俳優となる藤井貢も出場した[178]。日本代表は、この海外遠征で6勝1分の成績を残した[175]

国内での初テストマッチは、1932年(昭和7年)1月31日のカナダ代表戦。戦績は日本の2戦2勝だった[179][180]。この試合から、後に日本代表の国際試合における最多得点記録(33点)を1970年代まで持ち続けた笠原恒彦が加わった。

その後、海外遠征はなく、国内開催になった[181]1934年(昭和9年)2月にオーストラリア学生代表戦[注 5][182][183]1936年(昭和11年)2月には北島忠治が監督となりニュージーランド学生代表(NZU)[184][185] を行い、これが戦前最後のテストマッチとなった。

1952年、テストマッチ再開

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1952年(昭和27年)10月、来日したオックスフォード大学と対戦[186][187]、これが戦後初、16年8か月ぶりのテストマッチとなる。2戦とも得点できず、完敗した[186][187]1953年(昭和28年)のケンブリッジ大学戦との2戦でも敗れた[188][189]

1956年から1959年までにも、来日チームとのテストマッチを計10回行ない、1分け9敗だった[190]。そして、1960年から1962年まではテストマッチが行われていない。

当時は、年によって日本代表の体制がまちまちだった。1958年に来日したニュージーランドU23代表(コルツ)に対しては、監督のほかにコーチ3人と選手29人のスコッドを構成して準備万端だったが[191]1959年のオックスフォード・ケンブリッジ大学連合との試合では、日本代表側はその時だけ招集した臨時チームになっていたという[192]

1962年(昭和37年)に来日したフランス学生選抜と、テストマッチ不認定ながら日本代表チームとして戦ったが、2敗した[193]

1963年、戦後初の海外遠征

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1963年葛西泰二郎が監督に就任し、戦後初の海外遠征として33年ぶりにカナダ遠征を行った。4月13日にブリティッシュコロンビア州代表戦(カナダBC戦)を33-6で制し、海外遠征テストマッチ初勝利を挙げたほか、通算成績4勝1敗の成績を残した[194]。遠征メンバーの中に、後にプロレスラー グレート草津となる草津正武もいた[195]

1966年~ 大西ジャパン

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1966年早稲田大の監督を務めていた大西鐡之祐が監督就任。

それまではラグビーでも「全日本」という言い方をしていたが、それではただの寄せ集めチームの名前に過ぎないとして[196]、1966年、代表選手を集めたミーティングで、「いいか、君らは日本を代表して戦うんだ!これから『ジャパン』ということにする。」と説いた[2]。当時は「ジャパン」だけで、ラグビー日本代表を意味していた[注 6]。大学ラグビーで「大西早稲田」「北島明治」など監督名を冠する呼称が一般的だったので、日本代表は「大西ジャパン」と呼ばれた[2]。 現在もヘッドコーチの名前をつけて「〇〇ジャパン」と呼ぶ、そのルーツとなった[2]

大西は、スター選手の寄せ集め的な日本代表チームの編成に異議を唱え、大胆な選手起用を行った[197]。パスにかかる時間などを計測、客観的な数値を選手に示し、作戦を練った[198]。戦法を統一し、日本人の俊敏さを生かす戦術として「展開・接近・連続」を掲げた[199]

1か月のニュージーランド遠征

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1968年ニュージーランドオーストラリアへ遠征し、1か月間で11試合を行った。6月3日のオールブラックスジュニア戦[200] と6月8日のNZU(ニュージーランド学生代表)[201]テストマッチ対象試合となった。23歳以下で構成するオールブラックスジュニアとの試合では、坂田好弘が4トライを挙げるなどの活躍を見せて23-19で撃破する大金星を挙げた[200]。地元新聞では「NZラグビー暗黒の日」と報道された[202]。この長期遠征は5勝6敗だった[203]

日本選手権出場辞退事件

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1969年3月に開催された第1回のアジアラグビーフットボール大会(アジア選手権ともいう)で優勝[204][205]

1970年、タイ・バンコクで開催の第2回アジア選手権は1月10日から18日までの開催で、1月15日の第7回日本ラグビーフットボール選手権大会(日本選手権)と日程が重なった。このため、アジア選手権の開幕直前に、前年優勝の近鉄、準優勝のトヨタ自工、同3位の三菱自工京都の3チームは、アジア選手権に主力選手を投入するため、日本選手権出場を辞退する騒動が起きた(詳しくは、日本ラグビーフットボール選手権大会#日本選手権の辞退を参照)。結果、第2回アジア選手権で日本代表は連覇を果たした[206] が、第7回日本選手権では社会人チームが勝利できなかった[207]

1970年3月にNZU(ニュージーランド学生代表)とカナダBC代表(ブリティッシュコロンビア州代表)を日本に招いたが、エース坂田好弘は当時ニュージーランド留学中のため、NZUのメンバーとして出場した。結果、BC代表には32-3で快勝したが[208]、NZUには3戦全敗[209][210][211]。大西ジャパン時代は、NZUに勝つことができなかった。

イングランド相手に大健闘

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1971年9月、イングランド代表が来日。アジア大会以外で、ナショナルチームとの対戦が初めて実現した[212]。24日の花園での試合では、5度にわたる逆転劇の末、 19-27で敗れた[213]

28日の秩父宮では、双方ノートライで、日本の得点は山口良治が挙げた1ペナルティゴールのみだったが[214]、後半32分頃にあと2センチあればトライを取れていたプレイがあるなど、イングランドと互角に渡り合い、3-6で惜敗した[215] 。これは日本代表試合史に残るベストゲームとして語り継がれている[216][217][218][219]。この後、大西は監督を辞任した。

1972年~ 相次ぐ海外遠征

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海外遠征の増加

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1972年に同志社大学の指揮を執る岡仁詩が後継監督となった。23歳未満で構成のオーストラリア代表コルツが来日し1勝1分を記録する[194][220] など、国内強化試合を含めて無敗を記録した。8月、岡が指導する同志社大で練習中に部員が死亡する事故が起き[221]、岡は監督を辞任した。

1973年イギリス・フランス遠征の監督には急遽横井久が就任、当時主将は実弟の横井章が務めており、「横井兄弟体制」となった。10月6日に当時世界一の評価を得ていたウェールズと、10月28日にフランスと、それぞれ初のテストマッチを行なった。ウェールズには14-62で敗れたが、フランス戦では18-30と健闘した[221]

1974年、明治大学OBの斎藤寮が監督に就任し、4月下旬から1か月にわたり、6年ぶりにニュージーランド遠征を実施。遠征最終戦で、「大西ジャパン」時代でも勝利できなかったNZU(ニュージーランド大学選抜)に対し、「アニマル」こと藤原優の逆転トライが利いて24-21で初勝利を挙げた[222]

1975年、岡仁詩が監督に復帰し、7月中旬から約1か月間、オーストラリア遠征を実施した。オーストラリア代表とテストマッチを2試合行い、第2試合では25-30と健闘した[223]。この頃までは、IRFB正加盟国8カ国[注 7] の代表に対し、勝てないまでも、健闘する試合が少なくなかった[223]

1975年9月24日、来日したウェールズとの第2試合もノートライで6-82の大敗だったが、「Red Devil(赤い悪魔)」と呼ばれた長身のウィング、J・Jウィリアムズを小柄な石塚武生がタックルで止めたプレーは高く評価され、石塚は試合後に胴上げされた[224]

ラグビーブームとは裏腹の日々

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1970年代後半から80年代前半まで、大学チームを中心に国内ラグビーが空前のブームとなった。早明戦早慶戦全国大学ラグビーフットボール選手権大会