ライムント時代の調べ

1898年に制作されたフェルディナント・ライムントの像。

ライムント時代の調べ』(ドイツ語: Klänge aus der Raimundzeit作品479は、ヨハン・シュトラウス2世が作曲した幻想曲。作曲者にとって作品番号が付けられた最後の楽曲である。

楽曲解説[編集]

「ライムント時代」とは、かつて劇作家フェルディナント・ライムントが活躍した時期のことであり、ヨハン・シュトラウス1世ヨーゼフ・ランナーによって「ワルツ合戦」が繰り広げられた頃を示している。1898年、ライムントを記念する銅像の除幕式に先立って、新曲を作ってほしいという依頼がワルツ王ヨハン・シュトラウス2世のもとに持ち込まれた[1]

ヨハン2世は、晩年になって自らの死が近づいていることを感じ取っていた。この『ライムント時代の調べ』は、ライムントの作品の歌詞である「さらば友よ」と、もう一つの別れの歌「さようなら、静かな我が家よ」で始まり、それに続いてランナーの『シュタイヤー風舞曲』や『シェーンブルンの人びと』、父ヨハン1世の『人生は踊り』や『ドナウ川の歌』など5曲のモチーフが次々と現れ、再びライムントの二つの歌に戻って終わるというワルツのメドレーである[2]。自らの命がもう長くないことを予感していたヨハン2世は、1848年革命以前の「古き良き時代」を感傷的に回顧してこの楽曲を作曲したのである[2]

花を手向けられたヨハン2世の遺骸。(1899年6月撮影)

ヨハン2世は、体調に不安を抱えながらも自ら指揮棒を取って初演した[1]。そしてこの回顧的な作品こそが、作品番号が付けられた最後のヨハン2世の作品となってしまった[1]。ヨハン2世は翌1899年6月3日に死去したが、彼が死の床で口ずさんだ言葉も、ライムントの歌詞「さらば友よ、だれにもいつかは別れの時がくる」だったと伝えられている[2]

出典[編集]

  1. ^ a b c 小宮(2000) p.207
  2. ^ a b c 加藤(2003) p.218

参考文献[編集]

  • 小宮正安『ヨハン・シュトラウス ワルツ王と落日のウィーン』中央公論新社中公新書〉、2000年12月10日。ISBN 4-12-101567-3 
  • 加藤雅彦『ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産』日本放送出版協会NHKブックス〉、2003年12月20日。ISBN 4-14-001985-9 

外部リンク[編集]