ユッシ・ヤラス

ユッシ・ヤラス
Jussi Jalas
ユッシ・ヤラス(左)。右は指揮者のユージン・オーマンディ (1959年)
基本情報
出生名 Armas Jussi Veikko Blomstedt
生誕 1908年6月23日
フィンランド大公国の旗 フィンランド大公国
ヴァーサ州 ユヴァスキュラ
死没 (1985-10-11) 1985年10月11日(77歳没)
 フィンランド
ウーシマー州 ヘルシンキ
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

ユッシ・ヤラスJussi Jalas, 1908年6月23日1985年10月11日)は、フィンランド指揮者。父親は早世した建築家のゲオルゲ・ブロムステット(1871年 – 1912年)であった[1]

パリに留学してピエール・モントゥー指揮法を学ぶ。1929年8月にジャン・シベリウスの第4女マルガレータ(1908年 - 1988年)と結婚した。マルガリータが15歳の時(1924年)にシベリウスを通じて面識を持ったのが馴れ初めとなった。

1930年から1945年までフィンランド国立劇場の指揮者に、その後は1973年までフィンランド国立歌劇場の音楽監督に就任した。さらに1943年から1950年まで、また1955年から1965年までシベリウス音楽院で初めて指揮法の講座を開いた。1950年から1955年までレオ・フンテクの代理でアメリカ合衆国に演奏旅行を行なった。ヨルマ・パヌラエーロ・ビステル等がヤラスに師事していたのもこの時期である。

シベリウスの一連のピアノ伴奏歌曲を、管弦楽伴奏に編曲している。

シベリウスの交響曲のほかに、レーヴィ・マデトヤのオペラ《ユハ》や、ビヴァリー・シルズとの共演でドニゼッティベッリーニアリアを録音した。

脚注[編集]

  1. ^ シベリウスの娘婿ヤラスによる貴重な録音”. 2016年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月27日閲覧。