ヤコブ・ルニャール

ヤコプ・ルニャールJakob Regnart, 1540年1545年 - 1599年10月16日

ネーデルラント出身(?)の声楽家フランドル楽派作曲家ルネサンス後期のプラハで長く活躍した。ヤコブス・ファートのもとで宮廷礼拝堂の聖歌隊員を務める。1582年から1584年までプラハ宮廷副楽長を勤め、1585年から1596年までインスブルックにてシュタイアーマルク公の宮廷楽長に転身。1596年よりプラハで余生を送る。

37曲のミサ曲と195曲のモテット受難曲を出版。そのほかに40曲あまりのイタリア語の世俗音楽も存在する。最も重要な創作は、イタリアマドリガーレ様式ないしはヴィッラネッラ様式を取り入れた、ドイツ語の世俗歌曲である。ラッススリートに比べると、最上声部が歌謡性に満ちているという点でルニャール作品はイタリア化されている。

ルニャールにはほかに4人の兄弟がおり、いずれも作曲家になったという。

バッハカンタータ第5番《われはいずこにか逃がれゆくべき》に使われているコラール「神様にかけて Auf meinen lieben Gott」の旋律は、ルニャールの旋律が原曲であるといわれる。

出典[編集]