メスリ山古墳

メスリ山古墳

墳丘(左に前方部、右奥に後円部)
所在地 奈良県桜井市大字高田字メスリ
位置 北緯34度29分56.0秒 東経135度50分52.0秒 / 北緯34.498889度 東経135.847778度 / 34.498889; 135.847778座標: 北緯34度29分56.0秒 東経135度50分52.0秒 / 北緯34.498889度 東経135.847778度 / 34.498889; 135.847778
形状 前方後円墳
規模 墳丘長224m
高さ23m(後円部)
埋葬施設 竪穴式石室(内部に木棺
出土品 三角縁神獣鏡・鉄弓等鉄製品・銅鏃・碧玉管玉埴輪など多数
築造時期 4世紀初頭(古墳時代前期)
史跡 国の史跡「メスリ山古墳」
有形文化財 出土品(国の重要文化財
特記事項 全国第14位の規模
(墳丘長250mとする場合)[1]
地図
メスリ山 古墳の位置(奈良県内)
メスリ山 古墳
メスリ山
古墳
テンプレートを表示

メスリ山古墳(めすりやまこふん)は、奈良県桜井市高田にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されている。

概要[編集]

この古墳は、磐余の地に接した初瀬川の左岸にあり、桜井茶臼山古墳(外山(とび)茶臼山古墳ともいう)らと共に鳥見山古墳群に属する。特徴的なのは、埋葬施設の副石室が遺品庫の様相を呈していることである。箸墓古墳の方が、年代的に先行する。別称は鉢巻山古墳、東出塚古墳などと呼称される。

規模・埋葬品とも大王墓級だが、記紀や『延喜式』などに陵墓としての伝承がない。墳丘規模・埴輪の大きさ・埋葬施設・副葬品収納施設・遺物などを考え合わせると、本古墳は絶大な権勢を誇った首長の墳墓であると考えられる(西藤(1991) 83-84ページ)。

1950年昭和25年)盗掘があったことが確認され、1959年(昭和34年)に発掘調査が実施された。その結果、1980年(昭和55年)3月14日に史跡に指定された。

構造[編集]

メスリ山古墳の空中写真(1985年
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

墳丘長224メートル(復元すると250メートルとする説もある)。後円部は3段築成で径128メートル・高さ19メートル、各段に円筒埴輪列が巡り、斜面には人頭大の葺石がある。円筒埴輪は、後円部の三段と方形壇の墳頂部に密集して二列、また、墳頂部では二列の埴輪の間隔をとっている。

後円部の頂に竹垣を巡らしたように埴輪[注釈 1]の囲いがしてある箇所は、長辺約11.3メートル、短辺約4.8メートル、想定された高さ1メートルを下らない長方形の壇がある。直径1メートルもの円筒埴輪は方形埴輪列の最内側の角や辺を等分する位置に立っている。

前方部は二段築成で幅80メートル・高さ8メートル。埴輪は、方形壇の外側に間隔を置いて点在する。陪墳群は見られない。前方部を西に向けて立地する。

器台型埴輪は、高さ2.4メートル、径1.3メートルで日本最大である。朝顔形(円筒埴輪の上に壺形埴輪を載せている)埴輪も出土している。

埋葬施設[編集]

後円部頂上の中央に木棺を納めた主石室(長さ約8.06メートル、幅約1.18メートル、高さ1.76メートル、8石の天井石で覆われている。)にあたる竪穴式石室がある。盗掘によりほとんど遺物を残していない。

主石室の横にあった副石室は、長さ6メートル、幅70センチメートル、高さ60~70センチメートルで盗掘を免れている。また、古墳時代の一つの特徴である自然石を徐々に内側に持ち送り天井部で合掌式の竪穴式石室で、内部には遺骸がなく、武器ばかりが埋納されていて、格納庫、遺品庫であったと考えられる。

副葬品[編集]

副葬品は奈良県の前期古墳の埋納品の一端がしのばれる。主石室は、遺体を埋葬し、玉石製品では翡翠勾玉碧玉管玉、貝輪を真似た石製の腕輪類、ミニチュア化した石製の椅子合子などを納めた。盗掘のため著しい破壊を受け、盗掘の激しさを物語っている。出土した遺物は、内行花文鏡三角縁神獣鏡の破片、石釧(いしくろ)・鍬形石・車輪石・椅子形石製品・櫛形石製品、石製合子(ごうす)などと玉類・刀剣などである。

副石室は、副葬品を納め、212本の茎式鉄、これらの鉄矛は、約半数ずつ石室の両端に鋒(きつさき)を向け合った形になっていた。いずれも長柄をつけていたと想像される。集団戦に用いられる武器である。鉄剣形の先にした鉄矛は、朝鮮半島南部や北九州でも出土していて、当時の武器の中心になっていた。この武器は日本列島で大流行し、日本でも鍛造技術が駆使されたことは間違いない。236本の銅、50本の石鏃、鉄1本(長さ182センチメートル、弦も鉄製)、鉄製5本(長さ80センチメートル)、漆塗り。鉄弓や鉄矢は、実用性ではなく、武器本来の機能である威嚇用である。木製の弓もあったであろうと思われる。鉄剣、鉄刀それぞれ1本。さらに、(鉄斧14)、手(19)、、やりがんな(51)、錐、刀子などの農耕具。玉状に似た石製品。

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

国の重要文化財「奈良県メスリ山古墳出土品」の明細

主室出土

  • 銅鏡残欠 3面分
  • 碧玉管玉 55点
  • 石製品 38点
  • 鉄刀・鉄剣残欠 一括
  • (附指定)石製品残欠 一括

副室出土

  • 銅鏃 236点
  • 碧玉管玉 16点
  • 石製品 58点
  • 鉄製品 372点
  • (附指定)鉄製品残欠 一括

墳丘出土

  • 大型埴輪 9点
  • 土師器 3点
  • (附指定)埴輪・土師器残欠 一括

国の史跡[編集]

  • メスリ山古墳 - 1980年(昭和55年)3月14日指定[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 106本の埴輪、うち8本が巨大埴輪、A-68号が巨大

出典[編集]

  1. ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2018年5月13日更新版)。
  2. ^ 奈良県メスリ山古墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ メスリ山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献[編集]

  • 西藤清秀、文化庁文化財保護部史跡研究会監修『メスリ山古墳/図説 日本の史跡 第3巻 原始3』同朋舎出版、1991年。ISBN 978-4-8104-0926-0 

外部リンク[編集]