メガトン打線

メガトン打線(メガトンだせん)は、1960年代中盤の大洋ホエールズ打線愛称である。

概要[編集]

1960年の優勝以来、大洋は長距離打者の桑田武を軸に、長打の打てる選手を補強するなど打線の大型化に努めた。その成果が出た1964年はチーム打率が1位(.255)、本塁打(134)、得点(556)が2位と打線が好調で、その長打力から「メガトン打線」の愛称が付いた。桑田とマイケル・クレスニックに三遊間を組ませ、捕手土井淳に替えて強打の伊藤勲を起用。打撃の良い近藤和彦を2番に据え、小技に長けた近藤昭仁をあえて下位に回すなど、1番から積極的に打って出る布陣を敷いた。チーム打率はリーグ1位ながら3割打者は1人もおらず、一方で2桁本塁打を記録した打者は5人を数えた。チームはリーグ優勝まであと一歩と迫ったが、惜しくも1ゲーム差で阪神タイガースに競り負けた。

布陣[編集]

太字はリーグトップ

1964年[編集]

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁 備考
1 重松省三 .296 15 50 8 ベストナイン(外)
2 近藤和彦 .273 7 35 7 ベストナイン(外)
3 マイケル・クレスニック .266 36 89 1
4 桑田武 .299 27 96 5
5 長田幸雄 .297 6 45 5
6 森徹 .255 15 54 4
7 近藤昭仁 .266 4 28 20 犠打リーグ1位
8 伊藤勲 .217 13 51 1
9

近藤和彦は一塁と外野を掛け持ちしており、ベストナインは外野手として選出された(守備試合数は一塁の方が多い)。

内野の控えにはフランシス・アグウィリー島田幸雄松原誠。外野の控えには黒木基康とアグウィリーがそれぞれ起用されていた。

代打の切り札は不振の麻生実男箱田淳に代わり、金光秀憲が務めている。

1965年は5番打者に定着した黒木が25本塁打を放つなど、チーム本塁打136本でリーグ1位を記録し、「メガトン打線」の愛称通りの長打力を発揮したが、1966年以降は森、黒木、桑田らの国産大砲が相次いで退団し、中距離打者の松原誠を中心とした打線へ再編成されたことから、「メガトン打線」の愛称も消滅していく。

関連項目[編集]