マーキュリー・カプリ

マーキュリー・カプリ(1983年)

マーキュリー・カプリMercury Capri )はフォードがかつて生産していたマーキュリーディビジョン向けのクーペである。

歴史[編集]

初代(1970-1977年)[編集]

初代カプリ

ドイツフォードにて開発された2ドアクーペであるフォード・カプリを、1970年4月からアメリカ市場にてリンカーン・マーキュリー販売店で販売開始。ただし車体にはマーキュリーやリンカーンであることを示すバッジエンブレム等はなく、ただ単に「CAPRI」とだけ書かれたエンブレムが装着されていた。つまりフォードでもマーキュリーでもリンカーンでもないブランドなしの位置付けで販売されていたため、便宜上マーキュリー・カプリと呼ばれていた。これはアメリカ市場では同様のクラスのマスタングピントが存在するために、フォードブランドではなくマーキュリーの販売網で販売することで競合を避ける意味合いもあった。この販売方法を元にフォードはヨーロッパ製フォード車を北米で販売するためのブランド「メルクール(Merkur)」を1985年に設立することになる。

2代目(1979-1986年)[編集]

2代目カプリ

1979年に発表。2代目カプリは同年に発表されたマスタングのマーキュリー版である。それまでマスタングの姉妹車であったマーキュリー・クーガー1974年にフルモデルチェンジした際に、フォード・フェアレーンプラットフォームベースへ格上げされたこと及びヨーロッパより輸入されていた初代カプリを販売中止してアメリカ独自モデルとするために企画された。プラットフォームはフォード・フォックス・プラットフォーム (Ford Fox platform) を使用している。

マスタングのボディは2ドアと3ドアが用意されていたのに対し、カプリは3ドアのみであった。マスタング3ドアとはフレームが同一であるため外見上の差異はフェンダー、ボンネットほか装飾部品にとどまる。インテリアはマーキュリーにふさわしくマスタングよりは豪華な仕様とされていた。1983年のマイナーチェンジではリアゲートドアが設計変更された。これはドアフレームに基本的な変更はないが、後端まで延長された窓枠にバブルバックと呼ばれるわずかに膨らんだガラスをはめた専用品である。

エンジンは2.3リッター直列4気筒SOHC、2.3リッター直列4気筒SOHCターボ、V型6気筒OHV5.0リッター、直列6気筒OHVなどがオプション設定されていた。年式により搭載されるエンジンには何度か変更が加えられているが、これは基本的にマスタングの変更に準じたものである。ターボは1984年モデルを最後に生産終了している。

2代目モデルはかつてのマスタングとクーガーの関係と比較して、性格付けやグレード構成なども含めて差別化ができていたとは言い難く、販売成績は不調であった。そのためマスタングが1993年まで改良・小変更を加えながら生産されたのとは対照的に、1986年モデルを最後に生産を終了した。

3代目(1991-1994年)[編集]

3代目カプリ
リア

1990年に発表、1991年モデルとして発売開始された2+2レイアウトの4シーター・オープンカー。デザインはカロッツェリア・ギアが担当し、リトラクタブル・ヘッドライトの下にマーカーランプが配置された個性的な顔が特徴。しかしこの3代目はそもそも1989年よりフォード・オーストラリアにて生産が開始されたフォード・カプリそのものである。プラットフォームはBF型マツダ・ファミリアフォード・レーザーのものを流用している。

オーストラリアでフォード・カプリがデビューした1989年には、マツダ・MX-5ミアータ(日本名:ユーノスロードスター)やロータス・エランなどの2シーターオープンカーが登場している。そのためアメリカ市場への投入が1990年後半とライバル車に比べ遅かったこともあり、カプリは常に影の薄い存在であった。ただしライバルよりも安価で、4シーターであることやこの種の車としては珍しく長物も搭載可能な大きめなトランクスペースを持つことなど、ライバルとは異なる特徴も持っていた。

しかし、市場への投入が遅れたこともあって販売実績は振るわず、1994年モデルを最後に早々と販売終了している。

関連項目[編集]