マルディン

マルディン
Mardin
位置
マルディンとマルディン県の位置の位置図
マルディンとマルディン県の位置
位置
マルディンの位置(トルコ内)
マルディン
マルディン
マルディン (トルコ)
マルディンの位置(中東内)
マルディン
マルディン
マルディン (中東)
マルディンの位置(ヨーロッパ内)
マルディン
マルディン
マルディン (ヨーロッパ)
座標 : 北緯37度19分 東経40度44分 / 北緯37.317度 東経40.733度 / 37.317; 40.733
行政
トルコの旗 トルコ
 地方 南東アナトリア地方
  マルディン県
 市 マルディン
地理
面積  
  市域 8,806 km2 (3,400 mi2)
標高 1,083 m (3,553 ft)
人口
人口 (2009年現在)
  市域 82,444人
    人口密度   80人/km2(207.2人/mi2
その他
等時帯 極東ヨーロッパ時間 (UTC+3)
郵便番号 47xxx
市外局番 0482
ナンバープレート 47
公式ウェブサイト : www.mardin.gov.tr

マルディントルコ語: Mardinクルド語: Mêrdîn / مێردین)は、トルコ共和国南東部のシリア国境部の都市である。マルディン県大都市自治体であり、アルトゥク様式の建築からなる古い町並みと、北シリアの平原を見下ろす岩山の上にあるという戦略上の要地であることで知られる。2012年の大都市自治体指定に伴い、旧マルディン市はアルトゥクル(Artuklu)に改名した[1]

歴史[編集]

3世紀にマルディンを開いた住民はシリア正教会キリスト教徒たちであった。マルディンには7世紀12世紀にかけてのアラブ人の支配時期にも、12世紀から14世紀にかけてセルジューク朝系のアルトゥク朝が首都としていた時代ですら、大部分がキリスト教徒地区であった。アルトゥク朝は1394年ティムール朝により滅亡するが、彼らはこの地域を統治することはなかった。

マルディンは1517年オスマン帝国セリム1世の時代に征服され、第一次世界大戦の敗戦までその一部となっていた。しかしマルディンは1832年クルド人による反乱の舞台となっている。また、マルディンを建設した住民たちの子孫であるキリスト教徒たちは、ケマル・アタテュルクによるトルコ共和国の独立戦争(1919年1923年)の際に多くが殺されるか追放されるかして、現在キリスト教徒は町の少数派となってしまっている。

2012年にマルディン県大都市自治体に指定され、旧マルディン市はアルトゥクルに改名した[1]

マルディンからの眺め、レイハーン・モスクのミナレットが手前に見えている

脚注[編集]

  1. ^ a b Başbakanlık Mevzuatı Geliştirme ve Yayın Genel Müdürlüğü”. www.resmigazete.gov.tr (12/11/2012). 2022年2月9日閲覧。

関連項目[編集]