マヌエル・フラガ・イリバルネ

マヌエル・フラガ・イリバルネ

マヌエル・フラガ・イリバルネManuel Fraga Iribarne1922年11月23日 - 2012年1月15日)は、スペインの政治家。フランコ政権の閣僚(情報・観光大臣、1962年 - 1969年、副首相兼内務大臣、1975年 - 1976年)駐英大使 (1973年 - 1975年)。国民党創設者。元ガリシア州首相(1990年 - 2005年)。

経歴[編集]

1922年、マヌエル・フラガはガリシア地方ルーゴ県ビラルバに生まれた。サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学で法学を学んだ。

フランコ政権時代[編集]

1962年から1969年までの間フランコ政権の情報・観光大臣を務める。情報観光大臣時代、限定的な出版物の自由化を認める出版法(通称フラガ法)を制定した。1973年から1975年までの間、駐英大使としてロンドンに赴任している。

スペインの民主化、野党国民党の創設[編集]

フランコ死去後の最初の政府であるカルロス・アリアス・ナバーロ政権で副首相兼内務大臣に任命される。

1976年、国民党(PP)の前身である国民同盟(AP)を創設した。

ガリシア州首相時代[編集]

出身地のガリシア州首相(Presidente da Xunta)を、1990年から2005年までの15年間務めた。

2012年1月15日、死去[1]。89歳没。

脚注[編集]