マックス・デルブリュック

マックス・デルブリュック
Max Delbrück
生誕 Max Ludwig Henning Delbrück
(1906-09-04) 1906年9月4日
ドイツの旗 ドイツ帝国ベルリン
死没 1981年3月9日(1981-03-09)(74歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州パサデナ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
研究分野 生物物理学
研究機関 ヴァンダービルト大学
カリフォルニア工科大学
出身校 ゲッティンゲン大学
博士課程
指導教員
リーゼ・マイトナー
主な受賞歴 ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞(1969)
ノーベル生理学・医学賞(1969)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1969年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:ウイルスの増殖機構と遺伝物質の役割に関する発見

マックス・ルートヴィヒ・ヘニング・デルブリュック(Max Ludwig Henning Delbrück、1906年9月4日 - 1981年3月9日)は、アメリカ合衆国生物物理学者。1969年度のノーベル生理学・医学賞受賞者。スウェーデンカロリンスカ研究所関係者。

生涯[編集]

ドイツベルリンで生まれた。父のハンス・デルブリュックベルリン大学歴史学者で、母はユストゥス・フォン・リービッヒの孫娘だった。

デルブリュックは宇宙物理学を勉強していたが、ゲッティンゲン大学理論物理学に転向した。1930年に博士号を取得すると、彼はイングランドデンマークスイスなどを旅した。この途中でヴォルフガング・パウリニールス・ボーアらと出会うことによって彼は生物学に興味を持った。1932年にベルリンに帰国し、リーゼ・マイトナーの助手になった。

彼は生物学を追求するために1937年にアメリカ合衆国へ移住し、カリフォルニア工科大学ショウジョウバエ遺伝学の研究を始めた。また彼は、細菌ウイルスバクテリオファージ)の研究も行った。1939年、彼はE.L.エリスと共著でバクテリオファージの成長についての論文を書き、その中でウイルスは細胞でできた生物とは違って、「一段階」で複製することを示した。

彼は1941年にメアリー・ブルースと結婚し、4人の子供をもうけた。

第二次世界大戦中、デルブリュックの兄ユストゥス・デルブリュック、姉エミー・ボンヘッファー、その夫クラウス・ボンヘッファー神学者ディートリヒ・ボンヘッファーの兄)はナチスに対する抵抗運動に参加し、クラウスとディートリヒはヒトラー政権末期に処刑された。

デルブリュック自身は大戦中もアメリカ合衆国に留まり、ナッシュビルヴァンダービルト大学で物理学を教えながら研究を続けた。1942年、彼はインディアナ大学サルバドール・エドワード・ルリアとともに、細菌のウイルス抵抗性は適応の結果によるものではなく、突然変異によるものであることを示した。ルリア-デルブリュックの実験と呼ばれるこの研究によって、彼らはアルフレッド・ハーシーとともに1969年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。1950年代より、彼は生物物理学の手法を使って感覚生理学の研究を始めた。また彼はケルン大学に分子遺伝学の研究所を立ち上げた。

デルブリュックは、20世紀の物理学から生物学へと変遷する潮流の中で、人々に最も影響を与えた人物の一人である。物理学をベースとした生物学の考え方は、エルヴィン・シュレーディンガーの著書「生命とは何か」から影響を受けている。この本はフランシス・クリックジェームズ・ワトソンモーリス・ウィルキンスにも大きな影響を与えた。1940年代に彼は、コールド・スプリング・ハーバー研究所にバクテリオファージ遺伝学の研究所を作った。デルブリュックの推進したファージ・グループは、初期の分子生物学の発展に大きな役割を果たした。

1967年には王立協会外国人会員に選出。またアメリカ物理学会によってマックス・デルブリュック賞が設立された。

受賞歴[編集]

出典[編集]

  • Max Delbrück - Facts
  • Hayes, W. (1982). “Max Ludwig Henning Delbruck. 4 September 1906-10 March 1981”. Biographical Memoirs of Fellows of the Royal Society 28: 58–26. doi:10.1098/rsbm.1982.0003. JSTOR 769892. PMID 11639973.