ビルマのマウントバッテン伯爵

ビルマのマウントバッテン伯爵
Coronet of a British Earl.svg
Lord Mountbatten of Burma-CoA-Knatchbull-Shield.svg

紋章記述

Arms:Quarterly, 1st: azure, three cross-crosslets fitchée between two bendlets or (Knatchbull); 2nd: argent, two pallets sable (Mountbatten); 3rd: azure, a lion rampant double queued barry of ten argent and gules crowned or a bordure compony of the second and third (Hesse, with a bordure for difference); 4th: the Royal Arms differenced with a label of three points argent the centre point charged with a rose gules barbed vert and each of the other points with an ermine spot (Princess Alice) Crests:1st: Out of a Coronet Or two Horns barry of ten Argent and Gules issuing from each three Linden Leaves Vert, and from the outer side of each horn four Branches barwise having three like Leaves pendent therefrom of the last (Hesse); 2nd: Out of a Coronet Or a Plume of four Ostrich Feathers alternately Argent and Sable (Battenberg) Supporters:On either side a Lion double-queued and crowned all Or
創設時期 1947年10月28日
創設者 ジョージ6世
貴族 連合王国貴族
初代 初代伯ルイス・マウントバッテン
現所有者 3代伯ノートン・ナッチブル英語版
相続人 ブレイバーン男爵ニコラス・ナッチブル
付随称号 マウントバッテン子爵
ブレイバーン男爵
ロムジー男爵
(マーシャムハッチの)準男爵
現況 存続
モットー In Honour Bound

ビルマのマウントバッテン伯爵: Earl Mountbatten of Burma)は、連合王国貴族伯爵位。1947年ルイス・マウントバッテンが叙されたのに始まる。

歴史[編集]

王立海軍元帥の初代ミルフォード・ヘイヴン侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテン(第2代ヘッセン大公ルートヴィヒ2世の孫)とその夫人であるヴィクトリア(第4代ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の娘でヴィクトリア女王の孫にあたる)の間の次男であるルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン(1900–1979)は、海軍軍人となり、第二次世界大戦中に東南アジア連合軍最高司令官を務め、日本軍からビルマを奪還した人物である[1][2]。彼は戦後の1946年8月23日には連合王国貴族爵位サウサンプトン州におけるロムジービルマのマウントバッテン子爵(Viscount Mountbatten of Burma, of Romsey in the County of Southampton)に叙せられた[2][3][4]。この爵位は初代伯の嫡出の男系男子に次いで、初代伯の娘(年齢順)とその直系の男系男子を特別継承者(special remainder)とする規定がつけられていた[3][4]。ついで1947年2月に最後のインド総督に任じられ、インド・パキスタン分離独立の処理にあたった[2]。同年10月28日には連合王国貴族サウサンプトン州におけるロムジーのロムジー男爵(Baron Romsey, of Romsey in the County of Southampton)ビルマのマウントバッテン伯爵(Earl Mountbatten of Burma)に叙せられた[2][3][5]。いずれもマウントバッテン子爵位と同じ特別継承者の規定がつけられていた[3]。その後も海軍軍人として地中海艦隊司令長官や軍令部総長、国防総参謀長などを歴任したが、1965年に引退。そして1979年8月27日にアイルランド共和軍により爆殺されるという末路を辿った[1][2]

なお初代伯はヴィクトリア女王の曽孫にあたるとともにエリザベス2世女王の夫であるエディンバラ公フィリップの叔父にあたる。

初代伯には男子がなかったが、特別継承者の規定があったため初代伯の暗殺後、長女のパトリシア・エドウィナ・ヴィクトリア・ナッチブル(1924-2017)が2代伯位を継承した[3]。彼女は襲爵前の1946年に第7代ブレイバーン男爵ジョン・ナッチブル英語版(1924-2005)と結婚していた[3]。そのため、その間の長男であるノートン・ルイス・フィリップ・ナッチブル英語版(1947-)は、2005年の父の死に伴ってケント州ブレイバーンのブレイバーン男爵英語版(Baron Brabourne, of Brabourne in the County of Kent)とその従属称号(マーシャム・ハッチの)準男爵(Baronet "of Mersham Hatch")を継承し、ついで2017年の母の死でビルマの第3代マウントバッテン伯爵位以下の3つの爵位も継承した[3]。2019年現在の当主も彼である。

現当主の保有爵位・準男爵位[編集]

現当主ノートン・ナッチブル英語版は以下の爵位・準男爵位を保有している[3]

  • ビルマの第3代マウントバッテン伯爵 (3rd Earl Mountbatten of Burma)
    (1947年10月28日勅許状による連合王国貴族爵位)
  • サウサンプトン州におけるロムジーのビルマの第3代マウントバッテン子爵 (3rd Viscount Mountbatten of Burma, of Romsey in the County of Southampton)
    (1946年8月23日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • ケント州ブレイバーンの第8代ブレイバーン男爵英語版 (8th Baron Brabourne, of Brabourne in the County of Kent)
    (1880年5月26日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • サウサンプトン州におけるラムジーの第3代ロムジー男爵 (3rd Baron Romsey, of Romsey in the County of Southampton)
    (1947年10月28日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • (マーシャム・ハッチの)第17代準男爵 (17th Baronet "of Mersham Hatch")
    (1641年8月4日の勅許状によるイングランド準男爵位)

ビルマのマウントバッテン伯爵 (1947年)[編集]

系図[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 493.
  2. ^ a b c d e Ziegler, Philip. "Mountbatten, Louis Francis Albert Victor Nicholas, first Earl Mountbatten of Burma". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/31480 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Mountbatten of Burma, Earl (UK, 1947)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年7月11日閲覧。
  4. ^ a b "No. 37702". The London Gazette (英語). 27 August 1946. 2021年1月9日閲覧
  5. ^ "No. 38109". The London Gazette (英語). 28 October 1947. 2021年1月9日閲覧

参考文献[編集]

関連項目[編集]