ポインター・シスターズ

ポインター・シスターズ
The Pointer Sisters
ポインター・シスターズ(1974年)
基本情報
別名 Pointers, a Pair
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州オークランド
ジャンル R&Bソウルポップスポスト・ディスコダンスカントリー
活動期間 1970年 -
レーベル ブルー・サムABC、プラネット、RCAモータウン、SBK、アトランティック
公式サイト thepointersisters.com
メンバー ルース・ポインター
イッサ・ポインター
サダコ・ポインター
旧メンバー アニタ・ポインター
ボニー・ポインター
ジューン・ポインター
ポインター・シスターズ
1974年

ポインター・シスターズThe Pointer Sisters)は、ポインター姉妹からなるアメリカコーラス・グループ

概要[編集]

カリフォルニア州オークランド出身。ルース(Ruth、1946年3月19日 - )、アニタ(Anita、1948年1月23日 - 2022年12月31日[1])、ボニー(Bonnie、1951年7月11日 - 2020年6月8日)、ジューン(June、1953年11月30日 - 2006年4月11日)の四姉妹は幼い頃からゴスペルに親しみ、聖歌隊で歌い始める。

1971年アトランティック・レコードと契約した時は、アニタ、ボニー、ジューンの3人組だった。1972年12月、ルースが加入し4人組となったシスターズはロサンゼルスに渡りブルー・サム・レコードに移籍[2]1973年2月に発売されたシングル「イエス・ウィ・キャン・キャン」(アラン・トゥーサンの作)はビルボードのポップチャートで11位を記録するヒットとなった[3][4]

ノスタルジックなジャズやカントリーのスタイルで、1975年には「Fairytale」でグラミー賞の最優秀カントリー・ボーカル・グループ賞を受賞した。その後はR&Bやディスコ系に方向性を模索しつつ、1977年にはボニーがソロ転向のため脱退、3人組となる。

その後も「ファイア」「スロー・ハンド」などのヒットを放つ。1984年には流行のダンサブルなサウンドで4曲のトップ10ヒットを放ち、グラミー賞で2部門を獲得するなど、キャリアの絶頂を極めた。1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、「ウィ・アー・ザ・ワールド」のコーラスを担当。1990年代以降は表舞台から遠ざかったが、1996年アトランタオリンピックの閉会式で歌を披露している。2006年、ジューンがのため死去2009年からはルースののサダコ(Sadako Ruth Pointer Johnson、1984年 - 、母親日本人)が加わって活動している。2022年12月31日には、アニタ・ポインターも他界している[5]

なおポインター家の長兄アーロンは元・プロ野球選手で、日本でも西鉄ライオンズでのプレー経験がある。

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • 『ポインター・シスターズ』 - The Pointer Sisters (1973年)
  • 『ザッツ・ア・プレンティ』 - That's a Plenty (1974年)
  • 『ステッピン』 - Steppin' (1975年)
  • 『ハヴィング・ア・パーティー』 - Having a Party (1977年)
  • 『エナジー』 - Energy (1978年)
  • 『褐色の罠』 - Priority (1979年)
  • 『スペシャル・シングス』 - Special Things (1980年)
  • 『ブラック&ホワイト』 - Black & White (1981年)
  • 『ソー・エキサイテッド』 - So Excited! (1982年)
  • 『ブレイク・アウト』 - Break Out (1983年)
  • 『コンタクト』 - Contact (1985年)
  • 『ホット・トゥゲザー』 - Hot Together (1986年)
  • 『シリアス・スラミン』 - Serious Slammin' (1988年)
  • 『ライト・リズム』 - Right Rhythm (1990年)
  • Only Sisters Can Do That (1993年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]