ボリス・シボー
ボリス・オシポヴィチ・シボー | |
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生誕 | 1880年??月??日 |
出身地 | ロシア帝国、トルジョーク |
死没 | 1961年??月??日 |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
ボリス・オシポヴィチ・シボー(ロシア語:Борис Осипович Сибор, ラテン文字転写:Boris Osipovich Sibor, 1880年[1] - 1961年)は、ソビエト連邦のヴァイオリニスト。本名はリフシツ(Лифшиц)。
略歴[編集]
トルジョークに生まれる。ヴァイオリンをレオポルド・アウアーについて学び、1904年からコンサート活動を始める。1906年にモスクワ人民音楽院の創設者となった。1909年にはセルゲイ・タネーエフの協奏的組曲の初演を行っている[2]。 ロシア革命ならびにロシア内戦時にはキエフに住み、その後シベリアに住んだ。そしてその後再びモスクワに戻り、1923年から母校のモスクワ音楽院の教授として教鞭をとった。1925年にはロシア連邦共和国功労芸術家の称号を贈られている。
学生ならびに家族[編集]
彼の学生には、アンドレイ・アブラメンコフ、イヴァン・ガラミアン、コンスタンチン・モストラスほかがいる。 レオポルド・アウアーの娘のナデージダ(1876~1976)と結婚した。 娘のナタリア・ボリソヴナ・シボーはハープ奏者で音楽教育家となり、グネーシン音楽大学教授であった。