ボストンコモン

ボストン・コモン
Boston Common
1848年10月25日、ボストン・コモンで行われた開水式
ボストンコモンの位置(ボストン内)
ボストンコモン
ボストンコモンの位置(マサチューセッツ州内)
ボストンコモン
ボストンコモンの位置(アメリカ合衆国内)
ボストンコモン
所在地アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン
座標北緯42度21分18秒 西経71度03分56秒 / 北緯42.355度 西経71.065555555556度 / 42.355; -71.065555555556
面積50エーカー (20 ha)[1]
建設1634
建築家オーガスタス・セント・ゴーダンズ他
NRHP登録番号72000144 (オリジナル)
87000760 (新)
指定・解除日
NRHP指定日1972年7月12日 (オリジナル。ボストン・パブリック・ガーデンと共に。)
1987年2月27日 (新。ボストン・コモン単体)[2]
NHLD指定日1987年2月27日[3]

ボストン・コモン または ザ・コモン (英語: Boston Common, the Common)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市中心部にある公園。「ボストン・コモン(Boston Commons )」は誤りである[4][5]。1634年に創立された、アメリカ最古の都市公園である[6]。トレモント、パーク、ビーコン、チャールズ、ボイルストンの各通りに囲まれ、面積は20haである。ザ・コモンの南からロクスバリーのフランクリン・パークまで広がる「エメラルド・ネックレス」の一部となっている。

ボイルストン・ストリート沿いにセントラル埋葬地があり、画家のギルバート・ステュアートや作曲家のウィリアム・ビリングスなどが埋葬されている。またアメリカの初期の詩人であるサミュエル・スプレグおよび息子のチャールズ・スプレグもここに埋葬されている。サミュエル・スプレグはボストン茶会事件に参加し、アメリカ独立戦争で戦った。

1977年、ボストン・ランドマーク委員会からボストン・ランドマークに認定された。

歴史[編集]

1898年-1899年、アフリカ系アメリカ人画家エドワード・ミッチェル・バニスターによるボストン・コモンとその前の通り[7]

ザ・コモンの利用方法はその時代によって変わっている。もともとこの土地はボストンの最初のヨーロッパ系植民者であったウィリアム・ブラックストンが所有していたが、マサチューセッツ湾植民地を創立したピューリタンに買い上げられ共有地となった。1630年代、ボストンは小さな村に過ぎず、多くの家が家畜を保有していたため、牛の放牧地として利用されていたが、数年のうちに裕福な家族らがさらに牛を追加し、過放牧によりコモンズの悲劇の実例となってしまった[8]。1646年以降は最大70頭の制限の下で放牧が行われたが[9]、1830年にハリソン・グレイ・オーティス市長により全面禁止された[10]

1656年6月19日、魔女狩りによりボストン・コモンで行われたアン・ヒビンズの処刑。1886年、F・T・メリル画
ボストン・コモンにあるセントラル埋葬地
1890年のボストン・コモン(右)とパブリック・ガーデン(左)の地図

独立戦争まではイギリス軍のキャンプとして利用されていた。独立戦争の始まりであるレキシントン・コンコードの戦いは、ここから出発したイギリス兵によって火蓋が切られた。

公開処刑場としても使われた。当初はオークの巨木が使用され、1769年に絞首台に置き換えられたが、1817年に廃止された。1660年6月1日、クエーカーメアリ・ダイアーが植民地でのクエーカー禁止法の度重なる無視によりピューリタンにここで絞首された[11]。ダイアーはザ・コモンで処刑された「ボストン殉教者」と呼ばれるクエーカー4名のうちの1人であった[12][13]

1713年5月19日、約200名の市民が食糧不足を市に訴えるためザ・コモンで暴動を起こした。彼らはその後、高利益のためカリブ海地域に穀物を輸出していた裕福な商人アンドリュー・ベルシャーの船や倉庫を襲撃した。この暴動で副知事が銃で撃たれた[14]

1728年、ロンドンのセント・ジェイムズ庭園を真似たトレモント・モールなどの遊歩道ができ、1836年までに周囲の5辺に装飾用鉄柵が設置された。公園としての整備が1728年にまでさかのぼるため、ボストン・コモンを世界初の都市公園とする意見がある。ただしイングランドの初期の都市公園であるダービー森林公園(1840年)、サルフォードのピール・パーク(1846年)、バークンヘッド・パーク(1847年)を初の都市公園とする説もある。

1804年、境界のセントリー・ストリートは当時実際に呼ばれていたパーク・プレイス(現パーク・ストリート)と改名された[15]。1830年までに牛の放牧が終わり、公園として使用されるようになったザ・コモンはワシントン・パークへと改名が提案された。

1837年、西側にボストン・パブリック・ガーデンが造られたが、境界となるチャールズ・ストリート側はコモン、ガーデン共に最も低い地帯であり、非公式ではあるがゴミ廃棄場として使用されていた。この地帯はガーデンの塩沼と共に湿気や臭気が強く歩きにくく、来訪者が近付かないようになっていたのである。コモン、ガーデンに一部接しているチャールズ・ストリートの勾配を変える計画が長らくあったが、コモン用に62,000立法ヤード(47,000m3)、重さ93,000ショートトン(84,000,000kg)、ガーデン用に9,000立法ヤード(6,900m3)、重さ14,000ショートトン(13,000,000kg)の土が必要であり、これらを運ぶ費用がかさむため中止になった。1895年夏、トレモント地下鉄トンネル掘削で出た大量の土を利用できることになり、勾配を変えることができた[16]

1965年初頭、ベトナム戦争に抗議するためザ・コモンに約100名の人々が集まった。1969年10月15日、2度目の抗議集会が開かれ、10万人もの人々が集まった[17]

今日では公園としてボストン市民や観光客に親しまれており、公式・非公式の様々な集まりに利用されている。コンサート、抗議集会、ソフトボール大会などが開かれるほか、冬季は園内のフロッグ池でアイススケートも楽しめる。また、この公園で演説を行った著名人には、マーティン・ルーサー・キングヨハネ・パウロ2世などがいる。1967年8月31日、ジュディ・ガーランドがザ・コモンでコンサートを行ない、10万人以上が詰めかけた。

1987年、アメリカ合衆国国定歴史建造物に認定された[3][18]。ボストン・コモンは公立公園としてボストン公園局により管理されている。民間の支援団体フレンズ・オブ・パブリック・ガーデンが保全やイベントの資金を供給している[19]

2006年10月21日、ライフ・イズ・グッド・パンプキン・フェスティバルにおいて、30,128個のジャック・オー・ランタンに火を灯したとして世界記録になった[20]。それまで2003年、ニューハンプシャー州キーンの28,952個が最高であった[21]

2007年8月27日、十代の若者2名が銃で撃たれた。銃撃のうち1発がマサチューセッツ州会議事堂に当たった[22]。以降夜間外出禁止令が出され、市内のホームレスから抗議が起こった[23][24]

特徴[編集]

秋のボストン・コモン

グラウンド[編集]

建造物[編集]

  • パーク・ストリートとトレモント・ストリートの交差点にある記念碑には以下の文言が記されている:
In or about the year of our Lord One Thousand Six Hundred thirty and four the then present inhabitants of the Town of Boston of whom the Hon John Winthrop Esq Gov of the Colony was Chiefe did treat and agree with Mr William Blackstone for the purchase of his Estate and any Lands living within said neck of Land called Boston after which purchase the Town laid out a plan for a trayning field for which ever since and now is used for that purpose and for the feeding of cattell.
  • 1876年、暴風雨により崩壊したニレの巨木を記念する銘板。ボストンの象徴的な木で、著作などに書かれた[26]
  • ロバート・グールド・ショーアフリカ系アメリカ人による第54マサチューセッツ歩兵連隊の記念碑が北東のビーコン・ストリートとパーク・ストリートの交差点、マサチューセッツ州会議事堂向かいにある。
  • 南北戦争で亡くなった者のための戦勝記念塔である陸海軍人記念碑がザ・コモンのフラッグ・スタッフ・ヒルにある。
  • ボストン虐殺事件記念碑が1888年11月14日に建てられた。
  • 1862年にオナイダ・フットボール・クラブにより全米で初めてフットボールの試合がザ・コモンで行われたことを記念したオナイダ・フットボール記念碑がある[27]
  • 北部に位置するフロッグ・ポンドの池は冬季にアイス・スケートのリンクになる。
  • パーク・ストリートとトレモント・ストリートの交差点、パーク・ストリート駅近くにブリュワー・ファウンテンの噴水がある。22-フート-tall (6.7 m)、15,000-ポンド (6,800 kg)の青銅の噴水はパリで鋳造され、ガードナー・ブリュワーから市に寄贈された。1868年6月3日に初めて稼働した。
  • 西半球初の地下鉄駅であるボイルストン駅が南角に、パーク・ストリート駅が東角にある。1897年9月1日のトレモント路面電車(現MBTAのグリーン・ライン)開業からほぼ継続して運行を続けている。
  • 東側にあるパークマン・バンドスタンドの野外ステージがミュージカルや演劇などに使用される。

近隣の建造物[編集]

  • マサチューセッツ州会議事堂がザ・コモン北部、ビーコン・ストリートを挟んで向かいにある。
  • ボストン・パブリック・ガーデンがザ・コモン西部、チャールズ・ストリートを挟んで向かいにある。当初はザ・コモンの一部であった。
  • フリーメイソンのマサチューセッツ州グランド・ロッジ本部がザ・コモン南部、ボイルストン・ストリートとトレモント・ストリートの交差点にある。
  • エマーソン大学のキャンパスがザ・コモン南部、ボイルストン・ストリートとトレモント・ストリート沿いに位置する。
  • サフォーク大学の寮がザ・コモン南東部、トレモント・ストリート沿いにある。

恒例イベント[編集]

  • コモンウェルス・シェイクスピア・カンパニーによる「シェイクスピア・オン・ザ・コモン」
  • ボストン・リリック・オペラによる「アウトドア・オペラ・シリーズ」
  • エンシャント・フィッシュワイア・プロジェクトによる展示
  • マサチューセッツ大麻解禁同盟によるフリーダム・ラリー
  • ノバスコシア州ハリファックスからのボストン・クリスマス・ツリー点灯式
  • 年越しの花火

脚注[編集]

  1. ^ James H. Charleton (November, 1985). National Register of Historic Places Inventory-Nomination: Boston Common (PDF) (Report). National Park Service. 2009-06-22閲覧 {{cite report}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  2. ^ National Park Service (23 January 2007). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  3. ^ a b Boston Common”. National Historic Landmark summary listing. National Park Service. 2008年4月16日閲覧。
  4. ^ Boston Common”. City of Boston. 2011年11月9日閲覧。
  5. ^ Place Names: Boston English”. Adam Gaffin and by content posters. 2011年11月9日閲覧。
  6. ^ Boston Common”. CelebrateBoston.com (2006年). 2011年3月26日閲覧。
  7. ^ Boston Street Scene (Boston Common)”. The Walters Art Museum. 2011年3月26日閲覧。
  8. ^ Loewen, James (1999). Lies Across America: What Our Historic Sites Get Wrong. New York: The New Press. p. 414. ISBN 0-9650031-7-5 
  9. ^ Boston Common & Public Gardens - Great Public Spaces | Project for Public Spaces Archived 2011年11月8日, at the Wayback Machine.. PPS. Retrieved on 2013-08-21.
  10. ^ Lowen, James (1994) Planning the City Upon a Hill: Boston Since 1630University of Massachusetts Press (Boston) ISBN 0-87023-923-6, ISBN 978-0-87023-923-6, p. 53
  11. ^ Rogers, Horatio, 2009. Mary Dyer of Rhode Island: The Quaker Martyr That Was Hanged on Boston pp.1–2. BiblioBazaar, LLC
  12. ^ J. Besse, A Collection of the Sufferings of the People called Quakers, 1753, Vol. 2, pp. 203-05.
  13. ^ ODNB article by John C. Shields, ‘Leddra, William (d. 1661)’, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, Sept 2004; online edn, May 2007 [1], accessed 16 Aug 2009
  14. ^ Zinn, Howard. A People's History of the United States. New York: Perennial, 2003. p.51 ISBN 0-06-052837-0
  15. ^ A Brief History of the Union Club”. The Union Club of Boston. 2012年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。4 October 2012閲覧。
  16. ^ Most, Doug (2014). The Race Underground: Boston, New York, and the Incredible Rivalry that Built America's First Subway. St. Martin's Press. pp. 233–234. ISBN 978-1-250-06135-5 
  17. ^ Zinn, Howard. p.486
  18. ^ James H. Charleton (November 1985) (PDF). National Register of Historic Places Inventory-Nomination: Boston Common. National Park Service. http://focus.nps.gov/pdfhost/docs/NHLS/Text/87000760.pdf 2009年6月22日閲覧。  and Accompanying photos: one aerial from 1972 and three from 1985 (1.43 MB)
  19. ^ http://www.friendsofthepublicgarden.org
  20. ^ "Life is good" site Archived March 9, 2008, at the Wayback Machine.
  21. ^ Levenson, Michael; McCabe, Kathy (2006年10月22日). “A love in Common for pumpkins”. The Boston Globe. http://www.boston.com/news/local/massachusetts/articles/2006/10/22/a_love_in_common_for_pumpkins/ 
  22. ^ Drake, John C. (2007年8月28日). “Shots on Common strike teens, State House”. The Boston Globe. http://www.boston.com/news/local/massachusetts/articles/2007/08/28/shots_on_common_strike_teens_state_house/ 
  23. ^ Abel, David (2007年8月30日). “Curfew targets crime on Common”. The Boston Globe. http://www.boston.com/news/local/articles/2007/08/30/curfew_targets_crime_on_common/ 
  24. ^ Homeless Protest Boston Common Curfew: Park Closed After 11 P.M.”. TheBostonChannel.Com (2007年8月30日). 2008年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月16日閲覧。
  25. ^ Research at Boston University. Bu.edu (2007-01-10). Retrieved on 2013-08-21.
  26. ^ . http://www.celebrateboston.com/sites/boston-common-great-elm.htm 
  27. ^ Winthrop Saltonstall Scudder, An historical sketch of the Oneida football club of Boston, 1862-1865 (Boston, 1926)

参考文献[編集]

  • The public rights in Boston Common: Being the report of a committee of citizens. Boston: Press of Rockwell and Churchill, 1877 Google books
  • Samuel Barber. Boston Common: a diary of notable events, incidents, and neighboring occurrences, 2nd ed. Boston: Christopher Publishing House, 1916. Google books

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯42度21分18秒 西経71度03分56秒 / 北緯42.35500度 西経71.06556度 / 42.35500; -71.06556

先代
スタート地点
フリーダムトレイル
ボストン・コモン
次代
マサチューセッツ州会議事堂