ボシュコ・バラバン

ボシュコ・バラバン
名前
ラテン文字 Boško Balaban
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1978-10-15) 1978年10月15日(45歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 リエカ
身長 183cm
体重 75kg
選手情報
ポジション CF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-2000 クロアチアの旗 リエカ 97 (21)
2000-2001 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 27 (14)
2001-2003 イングランドの旗 アストン・ヴィラ 8 (0)
2002-2003 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ (loan) 24 (15)
2003-2007 ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ 83 (40)
2007-2009 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 31 (17)
2009-2011 ギリシャの旗 パニオニオス 50 (12)
2012 マラヤ連邦の旗 セランゴール 20 (12)
代表歴
2000-2007 クロアチアの旗 クロアチア 35 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年10月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ボシュコ・バラバンBoško Balaban, 1978年10月15日- )は、ユーゴスラビア(現クロアチア)・リエカ出身のサッカー選手。元クロアチア代表。ポジションはフォワード

経歴[編集]

クラブ[編集]

初期[編集]

リエカに生まれたバラバンは、地元のHNKリエカでキャリアを始め、1995年から2000年までの間で97試合21得点を記録。特に1999-2000シーズンでは、チーム内最多の15得点を挙げる活躍を見せた結果、同リーグの強豪NKディナモ・ザグレブから注目を集めた。翌シーズンにディナモと契約後も変わらず得点を量産し、再びチーム内最多の14得点(25試合)を挙げた。翌2001-02シーズンはディナモで2試合出場後、2001年8月に週給1万5000ポンド、移籍金580万ポンドでアストン・ヴィラFCと5年契約を締結した[1]

アストン・ヴィラ[編集]

着実にステップアップしていたかに思われたが、在籍2年半で僅か8試合(うち先発2)無得点と居場所を見つけられず散々な結果に終わった[2]。2002-03シーズンは古巣のディナモ・ザグレブに期限付き移籍で復帰[3] すると、24試合15得点を記録し好調さを見せていたが、2003年12月にアストン・ヴィラから契約解除が言い渡された[2]

2007年7月4日にタイムズ紙が選定するプレミアリーグでプレーした50人の最悪な選手の1人に選出された[4]

クラブ・ブルッヘ[編集]

2004年1月20日に自由移籍でクラブ・ブルッヘと契約した[5] バラバンは、アストン・ヴィラ時代とはうってかわり定期的に得点していき、1試合で4得点挙げる活躍を見せたことでファンから"Super Bosko"の愛称で親しまれ、素晴らしい時間を過ごしていた。しかし、2006-07シーズン終了後にクラブが同シーズンの得点王に輝いたフランソワ・ステルシュルen)と契約したため、バラバンは古巣のディナモ・ザグレブへと戻っていった。

晩年[編集]

3度目のディナモ・ザグレブ、ギリシャ1部パニオニオスGSSを経て、2012年2月にマレーシア1部セランゴールFAと契約を締結[6] し、14日のケランタンFA戦で初出場を飾ると決勝点を挙げた[7]。以降20試合12得点を記録し、AFCカップ2013出場権獲得に貢献したが、双方合意により契約延長することなく退団となった[8]

代表[編集]

U-21代表を経て、2000年8月16日のスロバキア戦(1-1)でA代表初出場及び初得点を記録。2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では全試合に出場し、ラトビア戦(4-1勝利)でのハットトリックを含み5得点を挙げ、予選突破に貢献。2002 FIFAワールドカップの一員に選出されるも、グループリーグの全3試合をベンチで過ごした。

2003年2月から2004年8月までの間に招集されなかったことでUEFA EURO 2004予選に1試合も出場することなく、当然のことながらUEFA EURO 2004の一員から漏れた。その後、2004年9月2日に2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ブルガリア戦で久しぶりに復帰し、以降同予選に4試合出場。また、2005年9月3日のアイスランド戦で2得点を挙げるなど活躍を見せた。2006 FIFAワールドカップの一員に選出されるも、全体会同様にグループリーグの全3試合をベンチで過ごした。

2006年9月初旬の深夜にザグレブのクラブで遊んでいたところを発見されたことでスラベン・ビリッチ監督の怒りを買い、同僚のイヴィツァ・オリッチダリヨ・スルナと共にロシアとのUEFA EURO 2008予選初戦に向けた一員から外された[9]。しかし、1ヶ月後に同予選の第2試合アンドラ戦(7-0勝利)で処分された3人の中で唯一バラバンだけが招集された。試合は4得点と活躍したムラデン・ペトリッチに変わり途中出場すると、20秒足らずで得点を挙げ、代表史上最大差勝利タイ記録に貢献した[10]

タイトル[編集]

クラブ
NKディナモ・ザグレブ
クラブ・ブルッヘ
個人

脚注[編集]

  1. ^ "Balaban leaves Villa"
  2. ^ a b "Balaban's contract terminated by Villa"
  3. ^ "Balaban goes back to the future"
  4. ^ "The 50 worst footballers" Times Online
  5. ^ "Brugge snap up Balaban"
  6. ^ "Irfan ikat bekas peledak Croatia"
  7. ^ "Selangor 2-1 Kelantan: Bosko Balaban proves he is worth the wait"
  8. ^ "T-Team to give Balaban a tryout"
  9. ^ "Kroatisches Trio fliegt nach Disko-Trip raus"
  10. ^ "Petrić inspires Croatian record"

外部リンク[編集]