ホセ・サントス

ホセ・アテオン・サントス・レオンJosé Adeón Santos León1961年4月26日 - )は、主に北アメリカ西海岸地区で騎乗していた元騎手チリコンセプシオン出身。

来歴[編集]

父のマヌエル、および7人兄弟のうち3人が騎手という競馬一家に生まれ、1975年頃、14歳でチリ・コンセプシオンのイピコ競馬場で行われたレースに初騎乗し、騎手デビューを果たす。

1984年、騎乗拠点を北アメリカの激戦区・カリフォルニア州に移す。

1990年、第10回ジャパンカップに出走するアルワウーシュと共に初来日を果たし、インターナショナルジョッキーズにも参加した。11月24日東京競馬場での第8競走で10番人気だったエリーズタイムに騎乗してJRA初騎乗を果たし(結果は7着)、翌11月25日の第3競走を1番人気だったツクバナイスで勝利しわずか3戦目でJRA初勝利を挙げたが、ジャパンカップは7番人気で5着という結果だった。

1991年、第5回ワールドスーパージョッキーズシリーズに初参戦する。

1998年12月1日から翌年の2月28日までJRAの短期免許を取得する。身元引受人は、萩原清調教師有限会社クローバークラブ。しかし日本での騎乗開始後2週間で35戦0勝(JRAのみの成績)と有力馬への騎乗依頼を集めることができず、アメリカから騎乗要請を受けたことを理由に急遽帰国し、12月16日付けで短期免許は取消となった。

2002年、第16回ワールドスーパージョッキーズシリーズに参戦し、45ポイントで総合2位となる。

2003年、第17回ワールドスーパージョッキーズシリーズに2年連続で参戦するも27ポイントで7位だった。

2007年、2月にアケダクト競馬場で騎乗した際落馬し、背骨5ヶ所と肋骨骨折した。5月にアメリカ競馬名誉の殿堂博物館の殿堂入りを果たす。しかし怪我の回復が困難なため、7月30日に引退を発表する。北アメリカ通算25928戦4083勝(チリでの成績を含めると4600勝以上)、JRA通算63戦4勝、地方競馬浦和船橋)通算3戦0勝。

表彰[編集]

1988年
2007年

主な騎乗馬[編集]

関連項目[編集]