ベルンハルト2世 (ザクセン=マイニンゲン公)

ベルンハルト2世
Bernhard II.
ザクセン=マイニンゲン公
在位 1803年12月24日 - 1866年9月20日

出生 (1800-12-17) 1800年12月17日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン=マイニンゲン公領マイニンゲン
死去 (1882-12-03) 1882年12月3日(81歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国
ザクセン=マイニンゲン公国マイニンゲン
配偶者 マリー・フォン・ヘッセン=カッセル
子女 ゲオルク2世
アウグステ
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン=マイニンゲン公ゲオルク1世
母親 ルイーゼ・エレオノーレ・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク
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ベルンハルト2世・エーリヒ・フロイント(ドイツ語:Bernhard II. Erich Freund von Sachsen-Meiningen, 1800年12月17日 - 1882年12月3日)は、ザクセン=マイニンゲン公(在位:1803年 - 1866年)。ザクセン=マイニンゲン公ゲオルク1世とその妃ルイーゼ・エレオノーレ・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルクの間の一人息子。長姉アーデルハイトはイギリス王ウィリアム4世の妃。

生涯[編集]

1803年にわずか3歳で父の後を継いだため、母ルイーゼ・エレオノーレが1821年まで摂政を務めた。1826年、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ4世が後継者なく没したことに伴うテューリンゲン諸公国の領土再編に伴い、ヒルトブルクハウゼンザールフェルトを獲得した。普墺戦争で敗北したオーストリア帝国側に味方したため、責任をとって1866年9月20日に一人息子ゲオルクに譲位し、以後は長く隠遁生活を送った。

子女[編集]

1825年3月23日、ベルンハルト2世はヘッセン選帝侯ヴィルヘルム2世の娘マリーと結婚し、一男一女をもうけた。

爵位・家督
先代
ゲオルク1世
ザクセン=マイニンゲン公
1803年 - 1866年
次代
ゲオルク2世