ヘンリー・ブリッグス

ヘンリー・ブリッグス
生誕 1561年2月
イングランド王国の旗 イングランド王国 ヨークシャー、Warleywood
死没 1630年1月26日(1630-01-26)(68歳)
イングランド王国の旗 イングランド王国 オックスフォード
居住 イングランドの旗 イングランド
国籍 イギリスの旗 イギリス
研究分野 数学者
研究機関 グレシャム・カレッジ
オックスフォード大学
出身校 ケンブリッジ大学 セント・ジョンズ・カレッジ
主な業績 10を底とする対数
影響を
受けた人物
ジョン・ネイピア
影響を
与えた人物
ジョン・ネイピア
ジョン・ペル
プロジェクト:人物伝
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ヘンリー・ブリッグス: Henry Briggs, 1561年2月 - 1630年1月26日)は、イングランド数学者であり、ネイピアの対数から常用対数を考案したことで知られている。

生涯[編集]

イングランドはヨークシャーハリファックス近郊にある Warley Wood で生まれる。古典中等学校でラテン語ギリシア語を学び、1577年にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに入学し、1581年卒業[1]。1588年にはセント・ジョンズ・カレッジのフェローに選ばれた。1592年、トマス・リナカーの創設した物理学講義の講師を務め、数学の講師も務めた。このころブリッグスは航法や天文学に興味を持ち、エドワード・ライト英語版と共同研究していた。1596年、ロンドンに新たに創設されたグレシャム・カレッジ幾何学の教授に就任。そこで23年近く務め、グレシャム・カレッジをイギリスの数学の中心地とすべく働き、さらにヨハネス・ケプラーの新しい考え方を支持した。彼は占星術師のクリストファー・ハイドンと友人だった。ブリッグスは Mirifici Logarithmorum Canonis Descriptioジョン・ネイピアの論文)の写しを入手し、想像力を刺激された。そしてグレシャム・カレッジでの講義で、ジョン・ネイピアが対数の底として採用したネイピア数の代わりに、10を底とすることを提案した。その直後にネイピアに手紙を書いている。ブリッグスは様々な領域で活動し、天文学、統計調査、航法、採掘などついてもしばしば提案を行っている。1619年には、北米東海岸への入植を行うロンドン会社(London Company)に出資している。2人の息子のうちヘンリーは後にバージニア州に移住したが、トマスはイングランドに残った[2]にはブリッグスの名を冠したクレーターがある。

数学への貢献[編集]

Canon logarithmorum

1616年、ブリッグスはエディンバラのネイピアを訪ね、対数について話し合った。翌年も同様の目的でネイピアを訪ねている。これらの話し合いで対数の底を10に変更するというブリッグスの提案が受け入れられ、1617年に1000までの常用対数を計算した結果を Logarithmorum Chilias Prima と題して出版した。1619年、オックスフォード大学幾何学の教授として招かれたが、1620年7月まではグレシャム・カレッジの教授に留まった。

1622年、『バージニアの大陸とハドソン湾を通る、南の海への北西航路』 (Northwest Passage to the South Seas, through the Continent of Virginia and Hudson's Bay という小冊子を出版。1624年には、3万個の自然数(1から20,000までと90,000から100,000まで)の常用対数を小数点以下14桁まで計算した対数表 Arithmetica Logarithmica を出版。また、正弦正接の対数値の数表も数百の角度ごとに小数点以下14桁まで計算したものを完成し、さらに正弦関数の数表を15桁、正接関数と逆余弦関数の数表を10桁まで計算した。これらは1631年ゴーダで印刷され、1633年に Trigonometria Britannica の名で出版された。ブリッグスは二項定理を発見していたが、証明したわけではない。

ブリッグスはオックスフォード大学のマートン・カレッジにある礼拝堂に埋葬された。Lives of the Gresham Professors によれば、ブリッグスは誠実な人柄で、富を求めない人だったという。

書誌[編集]

  • A Table to find the Height of the Pole, the Magnetical Declination being given (London, 1602, 4to)
  • "Tables for the Improvement of Navigation", printed in the second edition of Edward Wright's treatise entitled Certain Errors in Navigation detected and corrected (London, 1610, 4to)
  • A Description of an Instrumental Table to find the part proportional, devised by Mr Edward Wright (London, 1616 and 1618, 12rno)
  • Logarithmorum Chilias prima (London, 1617, 8vo)
  • Lucubrationes et Annotationes in opera posthuma J. Neperi (Edinburgh, 1619, 4to)
  • Euclidis Elementorum VI. libri priores (London, 1620. folio)
  • A Treatise on the North-West Passage to the South Sea (London, 1622, 4to), reprinted in Samuel Purchas's Pilgrims, vol. iii. p. 852
  • Arithmetica Logarithmica (London, 1624, folio)
  • Trigonometria Britannica (Goudae, 1663, folio)
  • two Letters to Archbishop Henry Usher
  • Mathematica ab Antiquis minus cognita.

他に、Commentaries on the Geometry of Peter RamusRemarks on the Treatise of Longomontanus respecting the Quadrature of the Circle があるが、出版されていない。

脚注・出典[編集]

  1. ^ Briggs, Henry in Venn, J. & J. A., Alumni Cantabrigienses, Cambridge University Press, 10 vols, 1922–1958.
  2. ^ Boddie, Southside Virginia Families p 104.

参考文献[編集]

  •  この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Briggs, Henry". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 4 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 566.
  • Article at Encyclopædia Britannica

外部リンク[編集]