ヘスス・ロハス

ヘスス・ロハス
基本情報
通称 キキ
階級 フライ級
スーパーフライ級
身長 168cm
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
誕生日 (1964-01-31) 1964年1月31日(60歳)
出身地 ベネズエラの旗 ベネズエラ
ミランダ州スクレ市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 51
勝ち 36
KO勝ち 20
敗け 10
引き分け 4
無効試合 1
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ヘスス・キキ・ロハスJesus Kiki Rojas1964年1月31日 - )は、ベネズエラの元男性プロボクサーである。ミランダ州スクレ市出身。元WBA世界フライ級スーパーフライ級王者。

来歴[編集]

1985年9月13日、プロデビュー(4回判定勝ち)。

1988年4月24日、日本のリングに初登場。後楽園ホール(同国人のWBAミニマム級王者レオ・ガメスの防衛戦前座)で桜井靖高と対戦し、8回KO勝ち。

1989年3月1日、陳潤彦韓国)とのノンタイトル戦で10回判定負け。プロ初黒星を喫した。

1989年9月30日、世界初挑戦。WBA世界フライ級王者フィデル・バッサコロンビア)に挑み、12回判定勝ち。22戦目で世界王者となった。

1990年3月10日、初防衛戦。元WBC世界ライトフライ級王者李烈雨韓国)と対戦し、12回判定負けで王座から陥落した。

1990年12月6日、世界再挑戦(日本のリング再登場)。7月に李を破ってWBA世界フライ級王座を獲得したレパード玉熊に挑む。フルラウンドの死闘の末、引き分けで惜しくも王座返り咲きならず。

1993年4月20日、3度目の日本での試合。元日本フライ級王者ピューマ渡久地と対戦し、9回TKO勝ち。

1993年11月26日、WBAラテンアメリカフライ級王座獲得。

1994年4月10日、3年4か月ぶりの世界挑戦。WBA世界フライ級王者セーン・ソー・プロエンチットタイ)に挑んだが、12回判定負け。

1995年11月11日、同国人で元WBA世界フライ級王者でもあるデビッド・グリマンを12回判定に降し、WBC中米カリブ海スーパーフライ級王座獲得。1996年2月17日の初防衛戦でもグリマンと再戦し、12回判定で返り討ち(この試合は空位のベネズエラ同級王座決定戦も兼ねて行われた)。その後、2度目の防衛にも成功。

1997年8月8日、2階級制覇を目指し、WBA世界スーパーフライ級王者ヨックタイ・シスオー(タイ)に挑戦したが、12回判定負け。

1998年10月3日、WBAラテンアメリカスーパーフライ級王座獲得。

1998年12月23日、ヨックタイを降してWBA世界スーパーフライ級王座を獲得した飯田覚士に挑戦。王者が5回に右肩を脱臼するというアクシデントも手伝い、12回判定勝ちで2階級制覇を達成した[1]1999年3月28日の初防衛戦では前王者のジムの後輩でもある戸高秀樹と対戦。3回に偶然のバッティングでロハスが負傷。続く4回にドクターストップがかかり引き分け[1]。不本意な形ではあったが、防衛に成功した。

1999年7月31日、2度目の防衛戦で戸高と再戦。1度のダウンを奪われた末の12回判定負けで王座から陥落した[1]

2001年9月1日、世界王座返り咲きを懸け、WBA世界スーパーフライ級王者セレス小林に挑戦。フルラウンドの死闘を展開したが、判定負けで王座返り咲きならず[1]。この試合後、2年間試合から遠ざかる。

2004年3月20日、元WBA世界フライ級王者エリック・モレルプエルトリコ)と空位のNABO北米スーパーフライ級王座決定戦を行うが、12回判定負け。この試合を最後に引退した。

通算戦績51戦36勝(20KO)10敗4分

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
フィデル・バッサ
WBA世界フライ級王者

1989年9月30日 - 1990年3月10日

次王者
李烈雨
前王者
飯田覚士
WBA世界スーパーフライ級王者

1998年12月23日 - 1999年7月31日

次王者
戸高秀樹