ブレイクニー

ブレイクニー
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1966年
死没 1992年
Hethersett
Windmill Girl
母の父 Hornbeam
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Arthur Budgett
馬主 Arthur Budgett
調教師 Arthur Budgett
競走成績
生涯成績 12戦3勝
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ブレイクニー(Blakeney)は、イギリスの競走馬種牡馬。主な勝ち鞍は1969年のダービーステークス。引退後、種牡馬としても成功を収めた。

生い立ち[編集]

ブレイクニーは馬産家で馬主・調教師でもあったアーサー・バジェット英語版によって生産された。父ヘザーセット英語版は1962年のセントレジャーステークス勝ち馬である。母ウインドミルガールは1964年のオークスステークス2着の実績があり、繁殖牝馬としても後に2頭のダービー馬(ブレイクニーとモーストン英語版)を出産した。

ブレイクニーは1歳時にニューマーケットのセリ市に出されたが、セリの直前に他馬に蹴られて怪我をしてしまい、それが原因で売れ残ってしまった[1]。そのためブレイクニーはバジェットの主取りとなった[2]

戦績[編集]

1968年(2歳シーズン)[編集]

2歳の秋にデビュー。9月にアスコット競馬場で開催されたクラレンスハウスステークスでは、のちにコロネーションカップを制するキャリバンに次ぐ4着に入線した。1ヶ月後、ニューマーケット競馬場で行われたレースでアーニー・ジョンソン英語版が騎乗し初勝利を記録した[3]

1969年(3歳シーズン)[編集]

3歳シーズンは始動が遅れ、ダービーステークスの2週間前に行われるダービートライアルステークスでシーズン初出走。ジェフ・ルイス英語版が騎乗し、ザエルクに次ぐ2位でフィニッシュした[4]

ダービーステークスではニューマーケットでの初勝利以来となるアーニー・ジョンソンが再び騎乗し、15/2のオッズでスタートした。レースはムーンマウンテンがペースを作り、直線で内から抜け出すとラスト1ハロンで先頭に立ち、2着シューメーカーから1馬身差で勝利した[2][5]

1969年は他に3レースに出走したが、勝利を挙げることはできなかった。6月末のアイリッシュダービーではプリンスリージェント英語版の4着、9月のセントレジャーステークスではインターメゾの5着に終わった。シーズン最終レースとなった凱旋門賞ではレヴモス英語版の前に敗れ去った[3]

1970年(4歳シーズン)[編集]

4歳シーズンは4月にニューマーケットで行われたジョッキークラブステークスで始動し、5位に終わった。翌5月、チェスター競馬場オーモンドステークス英語版を制してダービー以来の勝利を挙げた。その後、バジェットはブレイクニーをアスコットゴールドカップに出走させることに決めた。アスコットゴールドカップは約4,000mの長距離レースで、1945年のオーシャンスウェル英語版以来、ダービーとゴールドカップ両方を勝った馬はいない中での決断であった。距離が大きく異なるにもかかわらず、ブレイクニーは好走しプレシピスウッドの4分の3馬身差の2着に入線した。

7月にアスコットで行われたキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでは、キャリバン(コロネーションカップ勝ち馬)、クレペラーナ(ディアヌ賞勝ち馬)、カラバス(ワシントンDCインターナショナル勝ち馬)らを抑え、ニジンスキーの2着に好走した[6]。現役最後のレースとなった凱旋門賞はササフラの5着に終わった[3]

種牡馬時代[編集]

ブレイクニーはニューマーケットのナショナルスタッドで種牡馬入りした。初年度でオークスステークス優勝馬のジュリエットマーニー英語版を輩出し、その後もジュリオマリナー英語版ターナボス英語版マウンテンロッジ英語版ロゼエイトターン英語版などの産駒が主要レースで勝利を収めた。またブルードメアサイアーとしてはダービー勝馬のサーパーシー英語版キングカメハメハの母マンファスなどを出した[7]

ブレイクニーは1992年11月6日に安楽死させられ、ナショナルスタッドに埋葬された[8]

血統[編集]

ブレイクニー血統 (血統表の出典)
父系 トウルビヨン系

Hethersett
1959 鹿毛
父の父
Hugh Lupus
1952 鹿毛
Djebel Tourbillon
Loika
Sakountala Goya
Samos
父の母
Bride Elect
1952 鹿毛
Big Game Bahram
Myrobella
Netherton Maid Nearco
Phase

Windmill Girl
1961 鹿毛
Hornbeam
1953 栗毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Thicket Nasrullah
Thorn Wood
母の母
Chorus Beauty
1952 鹿毛
Chanteur Chateau Bouscaut
La Diva
Neberna Nearco
Springtime
母系(F-No.) (FN:20-c)
5代内の近親交配 Tourbillon 4×5、Nearco 4×4.5


脚注[編集]

  1. ^ Horse Racing. “Arthur Budgett: A rare breed indeed”. Telegraph. 2011年10月14日閲覧。
  2. ^ a b Fairy Tale win for Blakeney”. Glasgow Herald. 2011年9月5日閲覧。
  3. ^ a b c Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1978). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane’s. ISBN 0-354-08536-0 
  4. ^ Blakeney taken to win Derby”. Glasgow Herald. 2011年9月5日閲覧。
  5. ^ Luck played a major role says owner”. Spokesman-Review. 2011年9月5日閲覧。
  6. ^ Nijinsky wins 10th”. Daytona Beach Morning Journal. 2011年9月5日閲覧。
  7. ^ Blakeney Offspring”. Pedigreequery.com. 2011年11月5日閲覧。
  8. ^ Grave Matters National Stud”. Tbheritage.com. 2011年11月5日閲覧。

外部リンク[編集]