フルヴィオ・ヴェルニッツィ

フルヴィオ・ヴェルニッツィ
Fulvio Vernizzi
生誕 (1914-07-03) 1914年7月3日
出身地 イタリアの旗 イタリア
死没 (2005-02-18) 2005年2月18日(90歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

フルヴィオ・ヴェルニッツィ(Fulvio Vernizzi、1914年7月3日[1] - 2005年2月18日)は、イタリア指揮者[2]

経歴[編集]

ブッセートの生まれ。1930年にパルマ音楽院に入学し[3]、ジュゼッペ・アレッサンドロにヴァイオリン、ジョヴァンニ・ダマートにトランペット、アキーレ・ロンゴに音楽学、ジョルジョ・フェデリコ・ゲディーニに作曲を学び、音楽院在学中より、自ら合奏団を結成して音楽活動を行った。1938年にディプロマを得て卒業し、1939年にファシスト党の全国余暇事業団のコンサートに参加している。

1945年にパルマ王立歌劇場でヴァイオリニストのジャンニーノ・カルピと共演して改めて指揮者としてデビューを飾る。1953年からトリノ・イタリア放送交響楽団を指揮するようになり[4]ミラノ・イタリア放送交響楽団も振るようになった。1972年から1973年までトリノ王立歌劇場の芸術監督を務める[3][4]。1977年から再三来日するようになり、1982年から1984年まで京都市交響楽団の常任指揮者を務めた[3]。1987年にスイス・イタリア語放送管弦楽団に客演して以降は表舞台から遠ざかった。

トリノにて没。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ Basso, Alberto; Bassi, Ennio (1991). Il nuovo Teatro regio di Torino. Cassa di risparmio di Torino. p. 158. OCLC 860212411 
  2. ^ FULVIO VERNIZZI TESTIMONIANZE SULLA VITA E SULLA MUSICA”. 2017年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月18日閲覧。
  3. ^ a b c 世界の指揮者名鑑866 2010, p. 176.
  4. ^ a b VERNIZZI, Fulvio” (イタリア語). TRECCNI. 2023年2月23日閲覧。

参考文献[編集]