フリードリヒ・エルンスト・ルートヴィヒ・フィッシャー

Friedrich Ernst Ludwig von Fischer (1782--1854)

フリードリヒ・エルンスト・ルートヴィヒ・フィッシャー(Friedrich Ernst Ludwig Fischer、1782年2月20日 - 1854年6月17日)はドイツ生まれで、ロシアで働いた植物学者である。

略歴[編集]

ハルバーシュタットで生まれた。ハレ大学で自然科学を学び、博士号を得た。1806年にロシアの元教育大臣のアレクセイ・ラズモフスキー(Alexeï Razoumovski)に招かれ、モスクワ近くのGorenkiの私設植物園の管理を行った。1808年に植物園の目録を発表し、私設植物園としてはヨーロッパで有名な植物園となった。フィッシャーは1822年までラズモフスキーの植物園で働いた。1812年からはモスクワ大学で植物学を教えた。

1823年に、サンクトペテルブルクの薬草園が帝立植物園(サンクトペテルブルク植物園)となると、園長に任命され、1850年までその仕事を続けた。この間、標本館やライブラリーを設立し、ロシア各地に探検隊を派遣し、植物の収集を行ない多くの新種植物の記載を行った[1]。フィッシャーの没後、サンクトペテルブルク植物園の園長は、ドイツ(現ベラルーシ)生まれのマイヤー(Carl Anton von Meyer)が引き継いだ。

1819年からロシア科学アカデミーの准会員に選ばれた。セリ科の属名、Fischeraに献名された。

著作[編集]

  • Beitrag zur botanischen Systematik..., 1812
  • Enumeratio plantarum novarum a cl. Schrenk lectarum, Carl Anton von Meyerと共著, 1841–1842
  • Sertum petropolitanum,Carl Anton von Meyerと共著, 1846–1852
  • Synopsis Astragalorum tragacantharum, 1853

参考文献[編集]

  1. ^ JSTOR Global Plants (biography)