フリオ・エリセギ

フリオ・エリセギ
名前
本名 フリオ・アントニオ・エリセギ・カンス
Julio Antonio Elicegui Cans
ラテン文字 Julio Elicegui
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1910-12-05) 1910年12月5日
出身地 カステホン
没年月日 (2001-08-31) 2001年8月31日(90歳没)
選手情報
ポジション FW (CF)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1930-1933 スペインの旗 レアル・ウニオン 37 (41)
1933-1936 スペインの旗 アスレティック・マドリード 58 (46)
1938-1939 スペインの旗 アラベス
1939-1940 スペインの旗 アトレティコ・アビアシオン 20 (10)
1940-1943 スペインの旗 デポルティーボ・ラ・コルーニャ 36 (35)
1943-1944 スペインの旗 ヒムナスティック
通算 151 (132)
代表歴
1933 スペインの旗 スペイン 4 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フリオ・アントニオ・エリセギ・カンスJulio Antonio Elícegui Cans1910年12月5日 - 2001年8月31日)は、スペインカステホン出身の元サッカー選手。ポジションはFW

クラブ経歴[編集]

1930-31シーズン、レアル・ウニオンでプロデビューし、1932-33シーズンはセグンダ・ディビシオンで30ゴールを挙げて得点王に輝いた。1933年、同じくセグンダに在籍していたアトレティコ・マドリード (当時はアスレティック・マドリード)に移籍し、加入1年目のシーズンはリーグ戦15ゴールを挙げた。

1936年7月から開戦したスペイン内戦の影響でリーグ戦が中断した後、1938年にデポルティーボ・アラベスへ加入した。翌年からはアトレティコ・アビアシオンへと改名した古巣アトレティコ・マドリードに1シーズンのみ在籍し、リカルド・サモラ監督の下、クラブは初のラ・リーガ優勝を果たし、エリセギも10得点を記録した。

1940年、セグンダ・ディビシオンのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍した。デポルティーボでは、1シーズン目からレギュラーとして活躍し、リーグ戦18試合で26得点を挙げて、自身2度目となるセグンダ得点王を獲得。クラブもラ・リーガ昇格を達成した。1943-44シーズンは、当時はアマチュアリーグだったテルセーラ・ディビシオンヒムナスティック・タラゴナに在籍し、1シーズンを過ごしたが、膝の怪我もあって同シーズン終了後に33歳で現役を引退した[1][2]

代表経歴[編集]

1933年4月2日、ポルトガル代表との親善試合でスペイン代表デビューを果たすと、デビュー戦ながら2ゴールを挙げた。同年5月21日のブルガリア代表戦ではハットトリックも記録した[3]

代表ゴール[編集]

No. 日付 会場 対戦国 得点 結果 大会
1 1933年4月2日 バライードス, ビーゴ, スペイン  ポルトガル 2–0 3–0 親善試合
2 3–0
3 1933年4月30日 スタディオンSKユーゴスラビア, ベオグラード, ユーゴスラビア ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア 1–0 1–1
4 1933年5月21日 エスタディオ・チャマルティン, マドリード, スペイン  ブルガリア 5–0 13–0
5 6–0
6 8–0

タイトル[編集]

クラブ[編集]

アトレティコ・アビアシオン

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Elicegui”. BDFutbol. 2020年11月6日閲覧。
  2. ^ Julio Antonio Elícegui, el expreso de Irún” (スペイン語). Marca (2014年12月7日). 2020年11月6日閲覧。
  3. ^ National football team player Elícegui”. eu-football.info. 2020年11月6日閲覧。

外部リンク[編集]