フランコ・ペッリツォッティ

フランコ・ペッリツォッティ
Franco Pellizotti
個人情報
本名 Franco Pellizotti
フランコ・ペッリツォッティ
愛称 ペッロ
生年月日 (1978-01-15) 1978年1月15日(46歳)
国籍 イタリアの旗 イタリア
身長 176cm
体重 62kg
チーム情報
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 クライマー
プロ所属チーム
2001–2004
2005–2010
2012.5–2016
2017–2018
アレッシオ
リクイガス
アンドローニ・ジョカットーリ
バーレーン・メリダ
グランツール最高成績
主要レース勝利
ジロ・デ・イタリア 区間通算3勝
イタリアの旗 イタリア選手権 ロード 2012
最終更新日
2019年6月12日

フランコ・ペッリツォッティ(Franco Pellizotti、1978年1月15日- )は、イタリアラティザーナ出身の元自転車競技選手。

来歴[編集]

2006年のジロでは第10ステージで勝利。

2007年のジロでは第1ステージで行われたチームタイムトライアルにおける、リクイガスの勝利に貢献した。

2008年のジロでは、

  • 山岳タイムトライアルとなった第16ステージにおいて、同年のジロで山岳賞を獲得したエマヌエーレ・セッラらを下して勝利。
  • また第2~第5ステージまでマリア・ローザ(総合首位)を堅持。その後一旦順位を落としたものの、後半に組まれた山岳レースでの健闘もあり、総合4位に入った。

2009年

  • ジロでは山岳コースにおいて健闘を見せ、特に、延々標高約1600m分を上るという、過酷な第17ステージを制覇した他、総合3位に入る健闘を見せた。
  • ツールでは総合こそ37位にとどまったものの、カテゴリー超級である第9ステージのツールマレー峠、第16ステージのグラン・サン・ベルナール峠において首位通過し、また中盤ステージ以降は山岳賞狙いに照準を定め、山岳ポイントをコンスタントに稼ぐ策に出たことも功を奏し、マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュを獲得した。
  • しかし2009年のこれらの成績は、ドーピング疑惑によりすべて取り消されることになる。

2010年

  • 5月3日、バイオロジカル・パスポートによりドーピングの疑いが発覚。ジロの出場メンバーにも選ばれていたが急遽取り消される事態となった。
  • 10月21日、イタリア国立アンチドーピング裁判所(Italian national anti-doping court、略称:TNA)は、「血液ドーピングに関与したという十分な証拠が得られない。」と結論付け、ペッリツォッティの嫌疑を晴らす裁定を下した。ペッリツォッティはこの裁定に基づき、国際自転車競技連合(UCI)に金銭的補償を求める意向も示している[1]。これに対しUCI会長、パット・マッケイドは同月28日、TNAの裁定に不服の意を示し、スポーツ仲裁裁判所(CAS)への上訴も視野に入れていると、記者会見で表明した[2]

2011年

  • 3月8日、スポーツ仲裁裁判所は、UCIのバイオロジカルパスポートを支持し、ペッリツォッティに2年間の出場停止処分および2009年シーズンの全成績の取り消し処分を下した。出場停止期間は2012年5月まで[3]

2012年

2013年

2017年

2018年

  • 年末をもって引退。

ジロ・デ・イタリア戦績[編集]

  • 2002 : 16位
  • 2003 : 9位
  • 2004 : 11位
  • 2006 : 8位、第10ST優勝
  • 2007 : 9位、チームTT優勝
  • 2008 : 4位、第16ST優勝、 マリア・ローザ4日間保持
  • 2009 : 3位、第17ST優勝も、ドーピング違反により抹消

脚注[編集]

  1. ^ Franco Pellizotti cleared to race - cyclingnews.com 2010年10月21日付記事(英語)
  2. ^ McQuaid defends UCI Passport in light of Pellizotti case - cyclingnews.com 2010年10月21日付記事(英語)
  3. ^ Pellizotti banned for two years by the Court of Arbitration for Sport - cyclingnews.com 2011年3月8日付記事(英語)
  4. ^ Pellizotti signs for Androni-Venezuela - cyclingnews.com 2012年4月30日付(英語)

外部リンク[編集]