ファッツ・ナヴァロ

ファッツ・ナヴァロ
Fats Navarro
ファッツ・ナヴァロ(1947年)
基本情報
出生名 Theodore Navarro
別名 Fats、Fat Girl
生誕 (1923-09-24) 1923年9月24日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フロリダ州キーウェスト
死没 (1950-07-07) 1950年7月7日(26歳没)
ジャンル ジャズビバップ
職業 ミュージシャン、作曲家
担当楽器 トランペット
活動期間 1943年 - 1950年
共同作業者 ビリー・エクスタインチャーリー・パーカーマイルス・デイヴィスバド・パウエルコールマン・ホーキンスディジー・ガレスピーライオネル・ハンプトンベニー・グッドマンギル・エヴァンスアンディ・カークチャールズ・ミンガスエディ・ロックジョウ・デイヴィスケニー・クラーク

ファッツ・ナヴァロFats Navarro1923年9月24日 - 1950年7月7日[1]は、アメリカ合衆国のトランペット奏者。1940年代のビバップ・スタイルの即興ジャズのパイオニアの一人であった彼は、クリフォード・ブラウンをはじめとした多くの演奏家たちのスタイルに強い影響を与えた。

略歴[編集]

ナヴァロは、アメリカ合衆国フロリダ州キーウェスト[1]で、キューバ人、アフリカ人、中国人の血を継ぐ子孫として生まれた。6歳でピアノを弾き始めたが、13歳でトランペットを始めるまで音楽に真剣に取り組んではいなかった[1]。ドラマーのアル・ドリーアスとは幼なじみ[2]。ダグラス高校を卒業するまでに、彼はキーウェストから離れたいと考え、中西部へと向かうダンス・バンドに参加した。

ナヴァロは、スヌーカム・ラッセルのテリトリー・バンドなど、バンドでのツアーによって貴重な経験を積んだ。そこでは、若きJ・J・ジョンソンと出会い、影響を与えてもいる。移動生活に疲れたナヴァロは、1946年にニューヨークで定住するようになり、そこでのキャリアをスタートさせた[3]。とりわけチャーリー・パーカーと出会い、一緒に演奏するようになった[4]。しかし、ナヴァロは高い給料を要求する立場にあり、パーカーのレギュラー・グループの1つに参加しなかった。また、ヘロイン中毒、結核、および体重の問題を抱えていた(彼はその体重と高い話し声から「ファット・ガール」と呼ばれていた)。これらによる苦痛はゆっくりと健康を蝕んでいった。ナヴァロは1950年7月1日に入院し、5日後の7月6日に26歳で亡くなった。彼の最後の公演は、7月1日にバードランドでチャーリー・パーカーと共演したときとなった[5]

ナヴァロは、アンディ・カークビリー・エクスタインベニー・グッドマンライオネル・ハンプトンのビッグ・バンドで演奏し、ケニー・クラークタッド・ダメロンエディ・ロックジョウ・デイヴィスコールマン・ホーキンスイリノイ・ジャケーハワード・マギーバド・パウエルとの小グループのレコーディング・セッションに参加した[1]

その死[編集]

ナヴァロは1950年7月6日、妻のレナ (旧姓クラーク、1927年-1975年) と娘のリンダ (1949年-2014年) に見守られながら、ニューヨークで結核とヘロイン中毒によって亡くなった[6][7]。彼は、ニュージャージー州リンデンのローズ・ヒル墓地にある目印のない墓、番号414に埋葬された[7]

1982年、ナヴァロは『ダウン・ビート』誌の殿堂入りを果たした[8]

2002年9月、友人たちや家族がファッツ・ナヴァロの墓に墓石を捧げた。献石のイベントはジャズ・アライアンス・インターナショナルが後援し、その日はリンデン市長によってファッツ・ナヴァロ・デーとして宣言された[7]

式典では、リンデン高校合唱団が「アメイジング・グレイス」をパフォーマンスし、トランペット奏者のジョン・ファディスがナヴァロの「Nostalgia」を演奏した。同じ日の夜、14人のトランペット奏者がマンハッタンにおいて、ジャズ・スタンダードとなったナヴァロの歌集を称えるためのステラー・リズム・セクションに参加した。ドン・シックラーによる音楽監督の下でセクションを組み立てたファディスには、ドラマーのビリー・ドラモンド、ベーシストのピーター・ワシントン、ピアニストのジェイムス・ウィリアムスが同行した[7]

ディスコグラフィ[編集]

リーダー・アルバム[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Colin Larkin, ed (1992). The Guinness Encyclopedia of Popular Music (First ed.). Guinness Publishing. p. 1797. ISBN 0-85112-939-0 
  2. ^ Leonard Feather; Ira Gitler (1999). The Biographical Encyclopedia of Jazz. Oxford University Press. p. 192. ISBN 019532000X. https://archive.org/details/biographicalency00feat 
  3. ^ Leif Bo Petersen; Theo Rehak (2009). The Music and Life of Theodore "Fats" Navarro: Infatuation. The Scarecrow Press. p. 346. ISBN 978-0810867215 
  4. ^ Ira Gitler (1966). Jazz Masters of the Forties. New York: Macmillan. p. 101. https://archive.org/details/jazzmastersoffor00gitl 
  5. ^ Carl Woideck (1998). Charlie Parker: His Music and Life. University of Michigan Press. p. 258. ISBN 0472085557 
  6. ^ “Fats Navarro: 'The Fats Navarro Story'”. NPR. (2001年8月1日). https://www.npr.org/2011/06/20/4192940/fats-navarro-the-fats-navarro-story 2019年8月1日閲覧。 
  7. ^ a b c d “Dedicated to Fats Navarro”. DownBeat. (2002年10月10日). http://downbeat.com/news/detail/dedicated-to-fats-navarro 
  8. ^ DownBeat Hall of Fame”. 2022年11月15日閲覧。

外部リンク[編集]