ファジー・ゼラー

 ファジー・ゼラー 
Fuzzy Zoeller
基本情報
名前 ファジー・ゼラー
生年月日 (1951-11-11) 1951年11月11日(72歳)
身長 178 cm (5 ft 10 in)
体重 86 kg (190 lb)
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ・インディアナ州
ニューオールバニ
経歴
プロ転向 1973年
成績
優勝回数 米PGA10・米シニア2
メジャー:1979年マスターズ
1984年全米オープン
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ファジー・ゼラー(Fuzzy Zoeller、1951年11月11日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州ニューオールバニ出身の男子プロゴルファー。本名はフランク・アーバン・ゼラー・ジュニア(Frank Urban Zoeller Jr.)といい、「ファジー」は彼の愛称である。

人物[編集]

1979年マスターズ1984年全米オープンで優勝し、メジャー大会に2勝を挙げた選手である。1981年全米プロゴルフ選手権2位・1994年全英オープン3位もある。PGAツアーではメジャー2勝を含めて総計10勝を挙げ、50歳以上の選手を対象にしたチャンピオンズツアーでも2勝している。

3歳からゴルフを始め、1973年にプロ入り。1976年には8ホール連続バーディのプロ新記録を達成。プロ7年目の1979年シーズンの3戦目、1月末のサンディエゴ・オープンでゼラーはツアー初優勝し、その資格で初出場したマスターズでメジャー初優勝(ツアー2勝目)。最終ラウンドの終了時点で、ゼラーとトム・ワトソンエド・スニードの3人が8アンダー(-8, 280ストローク)で並んだため、マスターズ史上初めて「サドンデス・プレーオフ」を行い、ゼラーがプレーオフ2ホール目(11番ホール)のバーディで制した。それまでは、マスターズのプレーオフは翌日にもう1日(18ホールの1ラウンド)延長で実施されていたが、この時からサドンデス・プレーオフ方式になり、現在に至っている。マスターズの大会創設期、第1回大会優勝者のホートン・スミスと第2回優勝者ジーン・サラゼンの後は、初出場で優勝した選手はいなかった。

それから5年後の1984年、ファジー・ゼラーは全米オープングレグ・ノーマンオーストラリア)とのプレーオフに勝ち、ここでもプレーオフで優勝をもぎ取った。この年の全米オープン開催コースは、ニューヨークの「ウィングドフット・ゴルフクラブ」(パー70)で、2人の並んだスコアは 4 アンダーパー(-4, 276ストローク)であった。ところが、2か月後の全米プロゴルフ選手権の会場に着いた時、ゼラーは背中の激痛に苦しみ、開幕直前で出場断念を余儀なくされる。脊椎部椎間板ヘルニアの手術を受け、試合への復帰までに半年を要した。手術から復帰した1985年、ゼラーは全米ゴルフ協会から「ボビー・ジョーンズ賞」を授与された。これはゴルフにおいて、優れたスポーツマンシップを発揮した選手に贈られる賞である。PGAツアーでは1986年に年間3勝を獲得したが、それ以後はレギュラー・ツアーでの優勝がなくなった。

自らのマスターズ優勝から18年後、ゼラーは1997年のマスターズ終了後にトラブルを起こした。マスターズの慣習の1つに、前年度優勝者がトーナメント開幕前に主催する「チャンピオンズ・ディナー」がある。1997年マスターズで、当時21歳のタイガー・ウッズ黒人選手として初の優勝を決めた後、45歳のゼラーが「坊やはよくやっているよ。彼が来年(チャンピオンズ・ディナーの主催者として)フライドチキンやコラードグリーンを注文しないように言ってくれ」と話した場面がアメリカのCNNテレビで放映された。フライドチキンやコラードグリーンは、黒人が一般的に好む食べ物であることから、ゼラーの発言は「人種差別発言」の非難を浴び、彼はスポンサー契約解除などの社会的制裁を経験した。ウッズはゼラーの謝罪を受け入れたが、この発言の波紋はその後も広がり続けた。

2002年から、ゼラーは50歳以上の選手を対象にしたチャンピオンズツアーに参戦を開始し、これまでにチャンピオンズツアーで2勝を挙げた。シニア初参戦の年だった2002年に「シニアPGA選手権」でメジャー大会優勝があり、2004年の「マスターカード選手権」でシニアツアー2勝目を獲得している。

プロ優勝 (19)[編集]

PGAツアー (10)[編集]

No. 日付 トーナメント スコア パー ストローク差 2位の選手
1 Jan 28, 1979 アンディ・ウィリアムス=サンディエゴオープン・インビテーショナル 76-67-67-72=282 −6 4打差 アメリカ合衆国の旗 Billy Kratzert, アメリカ合衆国の旗 Artie McNickle,
アメリカ合衆国の旗 トム・ワトソン
2 Apr 15, 1979 マスターズ・トーナメント 70-71-69-70=280 −8 Playoff アメリカ合衆国の旗 エド・スニード, アメリカ合衆国の旗 トム・ワトソン
3 May 17, 1981 Colonial National Invitation 67-69-68-70=274 −6 4打差 アメリカ合衆国の旗 ヘール・アーウィン
4 Apr 18, 1983 Sea Pines Heritage 67-72-65-71=275 −9 2打差 カナダの旗 ジム・ネルフォード
5 Sep 28, 1983 Panasonic Las Vegas Pro Celebrity Classic 63-70-70-64-73=340 −15 4打差 アメリカ合衆国の旗 レックス・コールドウェル
6 1984年6月17日 全米オープン 71-66-69-70=276 −4 Playoff オーストラリアの旗 グレグ・ノーマン
7 Mar 10, 1985 ハインツ・ベイヒルクラシック 70-72-66-67=275 −9 2打差 アメリカ合衆国の旗 トム・ワトソン
8 Feb 2, 1986 AT&Tペブルビーチナショナルプロアマ 69-66-70=205 −11 3打差 アメリカ合衆国の旗 ペイン・スチュワート
9 Apr 20, 1986 Sea Pines Heritage (2) 68-68-69-71=276 −8 1打差 アメリカ合衆国の旗 チップ・ベック, アメリカ合衆国の旗 Roger Maltbie,
オーストラリアの旗 グレグ・ノーマン
10 Jul 13, 1986 Anheuser-Busch Golf Classic 70-68-72-64=274 −10 2 strokes アメリカ合衆国の旗 Jodie Mudd

その他 (4)[編集]

  • 1985 Skins Game
  • 1986 Skins Game
  • 1987 メリルリンチ・シュートアウト選手権
  • 2003 Tylenol Par-3 Challenge

チャンピオンズツアー (2)[編集]

太字はメジャー優勝

その他シニア優勝 (3)[編集]

  • 2002 Senior Slam
  • 2008 Wendy's Champions Skins Game (with Peter Jacobsen)
  • 2009 Wendy's Champions Skins Game (with Ben Crenshaw)

外部リンク[編集]