ヒーバー・ダウスト・カーチス

ヒーバー・ダウスト・カーチス

ヒーバー・ダウスト・カーチス(Heber Doust Curtis、1872年6月27日 - 1942年1月9日) は、アメリカ合衆国天文学者銀河系の大きさと星雲までの距離についてのハーロー・シャプレーとの大論争で有名である。

来歴[編集]

ミシガン州マスキーゴンで生まれた。1902年ヴァージニア大学で天文学の博士号を得て、リック天文台で働いた後、1920年からアレゲニー天文台の所長、1930年からミシガン大学天文台の所長を務めた。1910年から星雲写真に取り組み、渦巻き星雲中に発見した新星の明るさから、星雲が銀河系の外にあることを示した。

1920年4月26日、アメリカ国立科学院においてハーロー・シャプレーと『宇宙の大きさ』と題する公開討論会を行った(この討論は天文学者にとっては影響が大きく、後に「大論争(The Great Debate)」あるいは「シャプレー・カーチス論争」と呼ばれるようになった)。だが、その場では決着がつかなかった。

銀河系の大きさについてはカーチスは小さく見積もり過ぎていたものの、「渦巻き銀河は銀河系の外にある独立した銀河である」とした点はカーチスが正しかったということが、1924年にハッブルがアンドロメダ銀河の中に2つの変光星を発見しアンドロメダ銀河までの距離を約100万光年と計算したことによって明らかになった。

ミシガン州アンナーバで没した。

関連項目[編集]

脚注[編集]