パイク (SS-6)

艦歴
発注
起工 1900年12月10日
進水 1903年1月14日
就役 1903年5月28日
退役 1921年7月25日
除籍
その後 標的艦
性能諸元
排水量 107トン
全長 64 ft (20 m)
全幅 12 ft (4 m)
吃水 11 ft (3 m)
機関
最大速 水上:8ノット (15 km/h)
水中:7ノット (13 km/h)
乗員 7名
兵装 18インチ魚雷発射管1門

パイク (USS Pike, SS-6) は、アメリカ海軍潜水艦プランジャー級潜水艦の一隻。

艦歴[編集]

パイクは1900年12月10日にカリフォルニア州サンフランシスコユニオン・アイアン・ワークスで起工した。1903年1月14日に進水し、1903年5月28日にアーサー・マッカーサー・ジュニア大尉(後の陸軍元帥ダグラス・マッカーサーの兄)の指揮の下、姉妹艦のグランパスと共にメア・アイランド海軍造船所で就役する。

パイクはメア・アイランド海軍工廠から3年以上を実験および訓練任務に費やした。1906年4月18日にサンフランシスコ地震が発生すると、パイクの乗組員は被災者に対する救援活動を行った。

パイクは1906年11月28日に退役し、不活性化状態のまま保管される。1908年6月8日に再就役し、太平洋水雷小艦隊に配属、沿岸での作戦活動に従事する。パイクは1912年6月まで同部隊と共に活動した。パイクは1911年11月17日に A-5 と改名された。

A-5 は1912年6月26日にピュージェット・サウンド海軍工廠に到着し、その2日後予備役となる。続く2年半を不活性化のまま保管され、1915年2月15日に給炭艦ヘクター (USS Hector, AC-7) に搭載され(翌日姉妹艦の A-3 が搭載された。)、フィリピンに運搬される。A-5 は3月26日にオロンガポに到着し、4月13日に進水、4月17日に再就役しアジア艦隊に配属された。

アメリカ合衆国第一次世界大戦に参戦した直後の1917年4月15日、A-5 は係留されていたカヴィテ海軍工廠で沈没した。沈没の原因は主バラストタンクの漏水によるものであった。4月19日に引き揚げられ、修理が行われた後現役任務に復帰した。A-5 は姉妹艦同様マニラ湾の入り口の偵察任務に従事した。

A-5 は1920年7月17日に船体番号 SS-6 を与えられ、1921年7月25日に退役した。その後は標的艦として認可され、1922年1月16日に除籍された。

外部リンク[編集]